読書
夏目漱石が自らの留学体験をもとに著した、ほとんど随筆に近い短編小説。そのうちのひとつに「倫敦塔」があり、それと様々な点で対になるような位置づけの作品が、この「カーライル博物館」だった。わずかなページ数に彼独自の視点と文章表現の良さが凝縮さ…
先日某所に足を運んで、自分の子どもを本好きにしたい、と思う人間の数はそれなりに多いらしいと気が付いた。幼少期からこの絵本でひたすら文字に触れさせ、何歳になったらこれを読ませ、さらに就学したらこれを順に読ませる……云々と書かれた商品ポップ。現…
ウィリアム・サマセット・モームの著した「月と六ペンス」は昔、まだ大学を辞める前に人に薦められて読んだ小説だった。作者はフランス生まれのイギリス人で、10歳の頃に両親を亡くし、パリからイングランドのケント州に渡って学校に通った。過去に医療助手…
今日、新暦の2月9日は私の敬愛する小説家、夏目漱石のお誕生日です。それでも2022年現在、ここに彼と彼の作品をこよなく愛していることを綴り、なかでも繰り返し頁をめくって参照している短編の好きな部分も併せて紹介したく、誕生日のお祝いとして当ブログ…
人間、生き物が生存を続けるうえで、「真摯な思考」よりも「盲目的な崇拝」の方が幸福に近い状態だという事実は、あまりに苦しすぎる。また大抵の場合、崇拝は無意識に行われていて、信念や希望という概念がそもそも何かに目を瞑ることで成り立っている事実…
人生(あるいは人間存在)に対して自分を偽らず、誠実に、まっすぐに、真面目に向き合おうとすればするほど首の締まる世の中である。その渦中にあって正気を保ち続けていられるのは、意志や外的要因によって少なからず「何か」を看過しているからだし、強く…
まったく馴染みのない風景を前にして、あるいは初めて聴く音楽に触れて、どうやら自分は以前からそれを知っているのではないか……と感じたことはあるだろうか。一体いつ、どこで体験したのかは思い出せない。それでも確かに頭の隅にあり、ふとした瞬間に浮か…
かのスティーヴン・キングにも大きな影響を与えた小説、「ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス (The Haunting of Hill House)」を原文で読んだ。1959年に米国で出版されたもので、ゴシック・ホラーやサイコ・ホラーの枠に分類されることが多い。著者はサン…
この世界で、全てにおいて心から満足している誰かがいたとすれば、その人間は「幸福とは何か」を考える必要性には迫られない。また「理想」について、あえて言葉で語ることすらないだろう。言うまでもなく、現状こそがそのまま完璧を体現しているに等しいか…
中島敦の連作「古譚(こたん)」のうちのひとつ、狐憑。かつて中央アジアに国家を形成していた遊牧騎馬民族、スキタイ(スキュティア)人のとある部族に生まれた一人の男と、彼の辿った運命の物語。それが、人間社会のなかに存在する芸術家(作中では「詩人…
私は幼いころから「怖い話寄りの不思議な話」が好きだった。それらの何に惹かれるのか改めて考えてみると、例えば発生する(遭遇する)怪異の怖さ・奇妙さそのものとか、あるいは祟りの発端、根本原因を探る面白さとかが挙げられるけれど、一番はお話に登場…
わずか数ページに収まる量の文章で、読後に長く残る余韻を読者のなかに残していくのがシャーリイ・ジャクスンの短編小説「くじ」だ。先日、同作者の《We Have Always Lived in the Castle (ずっとお城で暮らしてる)》を手に取り、嗜好に合ったのでこちらも…
なにも予定のない休日の朝に起きて、まずやることといえば、玄関の扉がきちんと施錠されているかの確認だろう。もちろん前日の夜、就寝前にしっかり鍵はかけている。それでも念には念を入れて、間違いなく家の安全が保障されているかどうかを確認してようや…
己の半身。あるいは魂の片割れ、とも呼べる「なにか」。果たしてそんなものが、本当にこの世界に存在するのかどうか、実際に確かめるすべなどない。だからその判断は個々の意識にのみ委ねられている。要するに問題は、当事者であるふたりが周囲の目にどう映…
イギリス、サリー州在住の小説家、サム・ロイドの新刊《The Rising Tide》が2021年7月8日に発売された。正式な日本語訳版がまだ出ていないので、ここではタイトルを「満ち潮」と訳することにしてみる。前作《The Memory Wood》に引き続き、今作も物語の開始…
アンデルセンの紡いだ数々の作品は、いわゆる「昔話」と呼ばれる童話(ここではヨーロッパのものを指している)の形式や特色とはまた違った種類の魅力、すなわち近代の童話としての良さをたくさん持っている。ここで紹介するお話「木の精のドリアーデ」には…
夏目漱石の作品のなかでも、現代文の教科書でよく取り上げられる「こころ」や「草枕」に比べると、話題にのぼる機会が驚くほど少ない「坑夫」という小説。私はこれがとても好きなのだ。物語全体の流れも、内容も本当に面白いから。著者が「坑夫」を執筆する…
温室と言えば、折に触れて脳裏に浮かぶ童話がある。「ある母親の物語」といって、近代のデンマークを代表する作家、ハンス・クリスチャン・アンデルセンが手掛けた短いお話だ。彼にとっての主要なテーマだといえるキリスト教的な信仰や、もっと普遍的な「運…
「視ること、それはもうすでに なにか なのだ。自分の魂の一部分或いは全部がそれに乗り移ることなのだ」この部分を読んだとき、高校現代文の授業で「Kの昇天 - 或はKの溺死」が取り上げられた際にはうまく呑み込めなかったある種の感覚に、少しだけれど近付…
わりとよく足を運ぶ公園の片隅で、また新しい宝物を見つけたような気分になったけれど、すぐそれはあまりに傲慢な意識だと思いなおす。だって、昔から幾度となくこの前を通っていたのにもかかわらず、中を覗いてみようともしなかったのは自分の側なのだから…
この物語は、現代のイギリスを舞台とし、架空の誘拐事件を扱ったサスペンス・スリラー小説だ。イギリスの作家、サム・ロイドのデビュー作である「チェス盤の少女」の原題は、ザ・メモリー・ウッド(The Memory Wood)。直訳すると「記憶の森」になる。英国ハ…
夏目漱石が1908(明治41)年に発表した短編小説《文鳥》。初めて読んだときは冒頭から中盤にかけて、これは作中の「自分」が文鳥を飼うこととその様子を、淡々と繊細に描写した話なのだろう……と勝手に思い込んでページをめくっていた。実際、そんな感じで物…
柳広司による小説作品「D機関シリーズ」。現在、角川文庫から既刊4巻が刊行されており、2016年4月からはProduction I.Gによって制作されたアニメーション(全12話)も放映されていた。それから今年でちょうど5周年を迎える。私は基本的に原作のファンなのだ…
まだ幼い頃、夢中になって読んだだけでなく、いまでも自分の心を捉えて離さない。もしもそんな児童文学作品をひとつ選んで挙げなさいと言われたら、私は間違いなく「シェーラ姫の冒険です」と答えるだろう。主に1990~2000年ごろ生まれた方々の中で、児童書…
フランスの都市リヨン生まれのアントワーヌ・サン=テグジュペリ(1900~1944)は、優秀な成績を残したパイロットであり、また寡作ながら深く心に刻まれる作品を生み出した作家でもある。代表的な「星の王子さま」は私にとって本当に重要な物語で、今までに何…
泉鏡花の小説、また戯曲は、第一に取っつきにくい。そしてどうにか取っついたとしても、読み進めるのが難しく、かつては紐解こうとしたけど断念してしまった。あるいはとにかく表現が晦渋だ。……などなど。現代、令和の時代を生きる読者にとって、鏡花の作品…
君の好きそうな、ぐっとくる主従関係が描かれているよ——と教えられて、その長編小説に脇目もふらず手を出した。結果、ものの見事に落ちてしまったのだ。底の見えないほど深い深い沼に。ステイホーム期間中に、全巻を読みました。十二国記は1991年に刊行され…
開港や文明開化の影響、そして政府の意向もあり、公共の施設をはじめとした数々の建造物が洋風の趣を纏うようになった明治時代。その頃は官庁や銀行、学校、駅舎などに見られる様式が代表的な例だった。当時の市井の人々(今もそうかもしれない)にとって、…
昔も今も変わらない、人が誰かを恋い慕う心。だがその向かう先、行きつく場所はそれぞれに違う。私が折に触れて読み返す、樋口一葉著の短編《たけくらべ》には、決して声高に叫ばれることのない感情のやりとりと結ばれ方がとても丁寧に描かれていた。時代は…
文字の霊などというものが、一体、あるものか、どうか。中島敦の短編《文字禍》はこんな書き出しで始まる。題の字を読むごとく、文字による禍(わざわい)の話だ。舞台は遠い昔の新アッシリア帝国。そこで紀元前7世紀頃に支配者として君臨していたアッシュー…