読書
ハーディング作品で最初に手に取ったのは『カッコーの歌』だった。英国幻想文学大賞受賞、そしてカーネギー賞の最終候補作。あらすじに惹かれたのか、表紙が印象に残ったのか……もう覚えていないけれど、とにかく仕事帰りに書店で購入していて、しばらく本棚…
カルデスとペルシールの間に戦が起こった。放っておけば、美しき山々と魔法学院を擁する土地ショームナルド……山羊飼いやさすらい人たちの憩いの地も、間違いなく巻き込まれる戦だった。それを止めるため、通常であれば力のバランスを保つため人界にはかかわ…
ページを開いて眼で文字をひとつひとつ飲みこみ、噛み砕き、頭の中である一幅の画を織り上げているあいだ……実際の身体の周囲にある音も、色も、暑さも寒さすらも消え失せる瞬間が確かに訪れる。それを称して「本には魔力が宿る」と比喩されるのだが、図書館…
先日クラフトコーラの原液を買ってきて、炭酸水で割ったら、きれいな金色になった。少しもアルコールの含まれていない、炭酸と各種香辛料だけがぱちぱちと刺激的な甘い飲み物だけれど、想像力を駆使して杯を傾ければちゃんとワームスプアーの模造品になる。…
ハガード王が治める街ハグスゲイトの住民たちも、彼と同じく「何物も永遠には続かぬ」を理由として何にも愛着を持てずにいる。魔女が城にかけた呪いの予言によって、いかなる事物もどうせ未来に失われることが分かってしまっているから、幸福な状態になるこ…
先日読み終わった3部作「イルスの竪琴 (The Riddle-Master trilogy)」の余韻に浸りながら、さらにこれまで読んだ作品との関連も含めて、パトリシア・マキリップの描く物語に繰り返し登場するいくつかの要素を考えていた。特に「妖女サイベルの呼び声」と「オ…
「そなたが、私がこれほどまでに愛した者でなければよかったのに」……人間が抱きうる欲望のうち、知を求める気持ちは私がとりわけ愛おしいと感じるもので、けれど同時に「知りたい」というのはとても危険な願いの発露でもあると分かっている。ある問いにうっ…
原文「Od Magic」から、日本語版「オドの魔法学校」原島文世訳の方に切り替えて再読した。故郷であるヌミス王国北方の辺境で、植物や動物などの声を聴き暮らしていたブレンダンは、ある日〈オド〉と名乗る女巨人に魔法の才を見出され都のケリオールへと赴く…
マストドン上の読書タグの投稿を見て、そういえばこちらのタイトル、確か自分の本棚にも(かなーり前から)放置してあったのでは……と積読していたのを出してきた。表紙が真っ赤。西加奈子「通天閣」は、果たしてどこで買ったのか覚えていない。
作中で「消失」と称される現象。これは一部の例外を除いた人々から、特定の物事に対する感慨を取り去る。そして「秘密警察」なる組織はそれを推し進める……。例えば香水が消失を迎えれば皆、香水を前にして何の香りも思い出も喚起できなくなり、さらには香水…
同じ著者の「何かが道をやってくる」でも描かれていた〈秋の民〉。邪悪な存在と推測され、魔力を持ち、死なず永遠に存在し続ける闇の住民たち。どうやら「塵よりよみがえり」の方では、この秋の民の一族から見た情景や、さらにその屋敷に置き去りにされた『…
ブラッドベリは幼少期から、遊園地や道化師がもたらすイメージを恐れつつ、心の一部を囚われてきた。怪しげな存在に翻弄される2人の少年・ジムとウィルはある意味で著者の分身ともいえる。原題にある"Something Wicked"……何か邪悪なもの、というのはシェイク…
2冊のどちらもいくつかの話に(「薬指の標本」表題作では特に印象に残る存在として)『サイダー』『ソーダ』など炭酸水が登場する。炭酸飲料は性質からして官能的な気がする。サイダー類の液体がたとえば、あの大小の泡で上唇や口内、舌の先や表面、歯茎、喉…
単色に輝く建造物によって構成された壮麗な「白の都(White City)」。また、現実を変容させる道具としての「緑色をしたゴーグル(Green Goggles)」。ボームがこれらを目撃したことは、世界で長く読み継がれている《オズの魔法使い》の根本に今も息づいている。…
なぜ、和尚なのか。なぜ、時計なのか。なぜ「何か」がそれらの姿をとって現れなければならなかったのだろうか……侍(さむらい)も夏目漱石自身も、宗教と文明というふたつの要素に引き裂かれていた。それらを象徴する「和尚」と「時計」のイメージ。
耳は聞こえるが声を発することができぬ唖者のため、手話を用いて意思の疎通を行う《図書館の魔女》、名をマツリカ。そして、常人よりはるかに鋭敏な感覚を持っているものの、文字の読み書きができない少年キリヒト。1の言葉で100を想像させる表現があるとす…
時代や地域を特定させる固有名詞が意図して省かれているにもかかわらず、読んでいれば、舞台が第二次世界大戦中のヨーロッパのどこかであることはすぐ明らかになるだろう。アゴタ・クリストフ「悪童日記 (Le grand cahier)」は、3部作を構成するうちの初めの…
絶版の日本語版は手に入らなかったので、原著の電子書籍を購入して読む。「オドの魔法学校」は何より、ヌミス王国の都ケリオールに存在する区画のひとつ、トワイライト・クォーター(Twilight Quarter, 原島文世氏訳だと「歓楽街《黄昏区》」となっている)…
スーパーマーケットの、お菓子作りの材料が置いてある一角で見かける、「ケーキマジック」という商品を眺めるのが幼い頃から好きだった。特別な存在だった。それは製菓用に売られているお酒で、楕円形をし、底だけが平たくなった取手付きのガラス瓶に、エプ…
古い監獄の敷地内にグミ(茱萸)の実が落っこちていた。 もちろん忽然と出現したわけではなく、通路近くの茂みには元となる樹が生えていて、枝から地面に落下してきたのだろう。実の、張り詰めたうすい皮は光を透かして、同じように半透明の果肉を輝かせ、磨…
来年で原著の出版から50年を迎える作品、パトリシア・A・マキリップの《The Forgotten Beasts of Eld》を読んだ。第一回世界幻想文学大賞の、大賞受賞作。タイトルは安直に訳すると、「エルドの忘れられた獣たち」……に、なるだろうか。その通りに、作中には…
夏目漱石は大正4年に「ニコニコ倶楽部」という雑誌社からの取材を受けていた。とはいっても写真を1枚提供しただけのことだが、それが疑惑の1枚となった。この「ニコニコ倶楽部」は「ニコニコ主義」なるものを提唱していたらしく、発行していた月刊雑誌の名前…
「あづま菊いけて置きけり火の国に住みける君の帰りくるかね」上の手紙と同じ明治三十三年の6月中旬、子規が漱石に寄せた書簡に記されていたもの。差出人の住所は下谷区上根岸町(現在の東京都台東区)。そして、受取人の住所は熊本市北千反畑、旧文学精舎跡…
アンナ・カヴァンの《氷》(山田和子訳)を読んでいた。白い魔にほぼ閉ざされた世界の物語といえば、カヴァンと同じ英国出身の作家・セローの「極北」が私には身近だけれど、その趣は全然違う。いや、そもそも……と《氷》の内容を回想した。原題も"Ice"なので…
昨年の秋、ふと太宰治の「津軽」を手に取ってから、実際の津軽地方に足を運んでみたい気持ちが強まった。それで間を置かず(つまり衝動の熱が変質してしまう前)に行ってみた。羽田から青森へ飛ぶとなんと1時間半程度で着いてしまう。青森空港のガラス壁に、…
先週の話。9月の京都文フリで出る合同誌へ寄稿する文章、その提出期限がジリジリ迫っていて、しかしこれは確実に終わるだろう……と目途は立った。ような、気がした。気がしたから退勤後に、最寄り駅から少し離れた洋菓子店へと足を延ばした。珍しくケーキが食…
「日本の新聞黎明期。女だからと侮られ、回ってくるのは雑用ばかり。婦人記者たちは己の体一つで、変装潜入ルポ〈化け込み記事〉へと向かっていった——」明日発売される書籍で、自分が日頃抱いている関心と重なるものをお送りいただいたため、ここで紹介する。
アンデルセンはアメリカに行かなかった。1858年、ニューヨークへ渡るはずだった親友・ヘンリエッテの乗っていた蒸気船が大西洋で炎上し、乗客の大半が命を落としたことをきっかけに、恐怖をおぼえた彼はコツコツと練っていたアメリカ旅行の構想を全て反故に…
百合といって、根ではなく花の方から真っ先に連想させられるものといえば、私にとっては夏目漱石の小説《夢十夜》の第一夜に登場する一文かもしれない。作中の「自分」によって、「真白な百合」が「鼻の先で骨に徹(こた)えるほど匂った。」と述べられる部…
ふと思ったのが、これと同著者の小説「1984年」を並べてみた時にどちらが好みだと思うかは、読者によって真っ二つに割れるだろうということだった。もしも選ぶとしたら私は随筆が断然好きで。彼が自分の実体験をもとに撚り合わせた糸で紡いだ『お話』より、…