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彷徨する自由帖

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敬愛する夏目漱石先生のお誕生日を祝って

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参考サイト:

新宿区立漱石山房記念館

 

猫の命日には、妻がきっと一切の鮭と、鰹節をかけた一杯の飯を墓の前に供える。今でも忘れた事がない。

ただこの頃では、庭まで持って出ずに、たいていは茶の間の箪笥の上へ載せておくようである。

 

夏目漱石「永日小品(猫の墓)」より

 

 

 今日、新暦の2月9日は私の敬愛する小説家、夏目漱石のお誕生日です。

 

 中学時代の衝撃的な邂逅から十数年、今は彼のほとんどの著作に触れたとはいえ、まだすべての作品・講義録・手紙などを精査して自分の所感をまとめる地点までは到達できていません。

 ですから、あまり得意になって漱石先生について語れるような身分ではないのです。

 それでも2022年現在、ここに彼と彼の作品をこよなく愛していることを綴り、なかでも繰り返し頁をめくって参照している短編の好きな部分も併せて紹介したく、誕生日のお祝いとして当ブログに記事を投稿します。

 

目次:

 

漱石先生ってどんな人

 時は慶応3(1867)年、江戸の牛込馬場下横町(現・東京都新宿区喜久井町)にて、8人きょうだいの五男——末っ子として生まれた彼。

 本名を夏目金之助といい、漱石、の筆名は「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」という中国の故事から借りたものでした。これは唐の時代の歴史書「晋書」に記載されている人物、孫楚についてのエピソードのひとつです。

 失敗や誤りを指摘されても屁理屈を並べて言い逃れること、また、非常に負け惜しみが強いさまをあらわす言葉で、漱石が自身の筆名に、そこから取った2字を採用した意図に思いを巡らすのも面白いですね。

 

 生前に最も親しくしていた人物のひとりとしては、正岡子規の名が挙げられます。

 漱石が文部省より命を受け、明治33(1900)年に官費での英国留学へ赴く際にも出立の直前、高浜虚子とともに送別の句を贈ってくれました。

 その際の子規の俳句が以下のふたつです。

 

萩すすき来年あはむさりながら

秋の雨荷物濡らすな風ひくな

 

 漱石が帰国した明治36(1903)年までに正岡子規は亡くなっており、残念ながら、出航後の再会はかないませんでした。

 

 ……と、こういった事実は各種年表や、記念館が公開して下さっている資料を調べれば誰でも同じように得られる情報でして、せっかく個人ブログに投稿する記事ですので自分自身の印象を述べたいと思います。

 

 漱石先生は、一体どのような人か。

 

 無数に存在する言葉の中からぴったりのものを選ぶのは難しいですが、考えた末、「本当にとても真面目な人だった」としか言えなくなりました。いや、もうそれ以上の表現はないのでは、という気すらしてきて……。

 時に軽妙で機知に富んだ、ユーモアに溢れた表現が作中にみられるのも、ひとえにその真面目さが根となり、結果的に枝葉が伸びて花が咲いた、そんな性質を持っていると思います。

 

 観察する対象の全体を眺め、それから徹底的に分解し、本質に近い部分を探り当てたら、今度はもう一度自分の言葉を使って組み立て直してみる。

 それが文章としてあらわされたとき、一般にいわれるところの「漱石のユーモア」が光って見えるのです。

 敢えておもしろおかしく書こうとするのではなく、真剣に対象と向き合ったからこそ生まれた表現が、読者におもしろく受け取られる。世の中に対して、単純に斜に構えていただけでは絶対に書けないもの。

 実際に作品を読んでいると、そういう箇所が非常に多いことに気が付かれるはず。

 

 彼は最期まで、決して「考える」ことを止めなかった作家でした。

 

 例えば、人としてどう歩むべきかの理想像が都度、生まれる。こうなれたらよい、という姿。

 けれどそんな風にはなれない。あるいは時に可能でも、常には実行できない。しかし、できない己に対して見て見ぬ振りをすれば、一瞬は楽かもしれないが後で必ず苦しくなる。なのに定期的にその事実から目を逸らさなければ、到底人の心は耐えられない……。

 こういう種類の問題が私たちには付きまとっています。

 永劫に続くかと思われるそれらの葛藤の中で、夏目漱石は懸命にもがきました。人間なんてそんなものだ、と安易に開き直って肯定しない、誠実さと苦しさ。

 とにかく「思考する」ことに対して誰より真面目な姿勢を貫いていましたから、またそれとは性質の異なる誠実さ、「信仰」の方に救いを求めるもかなわず、明治27(1894)年の末から翌年1月7日まで北鎌倉の円覚寺に参禅するも、望んだ効果は出なかったようです。

 けれど、その経験は確かに意味のあるものとして作品に反映されました。

 

 もちろん小説や随筆の好みに関しては分かれると思いますが、難しい、とか、内容に馴染みがない、自分とは関係が薄すぎる、という理由で夏目漱石作品を敬遠している方がもしいれば、そんなことはないんじゃないか……と伝えたい。

 慶応3年に生まれ、様々な要因で人間の暮らしも価値観も大きく揺さぶられた明治の時代を生き抜き、大正5年に享年50歳で亡くなった彼。

 当時の漱石や同時代の人々が直面していたものは、現代の私達にも無関係ではなく、むしろ同感したり、親近感をおぼえたりするような叙述や描写に、きっとどこかで出会うはず。

 

 彼が本格的に執筆活動を始めたのは38歳の頃と、以外にも人生の半ばを過ぎてから。

 それまでは教師として各地を転々とし、のちに英国留学、旧帝大の英文科講師の職(小泉八雲の後任)などを経て、最終的に朝日新聞社にて小説の連載を開始したのでした。

 正岡子規と彼の共通の友人であった高浜虚子も、漱石の執筆を後押しした人物のひとり。

 

 今、幸いにも漱石の作品の多くはパブリックドメインになっており、誰でも気軽に読めるようになっています。

作家別作品リスト:夏目 漱石|青空文庫

 

昔は死ぬか生きるかのために争ったものである。
(中略)
今日は死ぬか生きるかの問題は大分超越している。それが変化してむしろ生きるか生きるかと云う競争になってしまったのであります。生きるか生きるかと云うのはおかしゅうございますが、Aの状態で生きるかBの状態で生きるかの問題に腐心しなければならないという意味であります。

 

夏目漱石述「現代日本の開化」より

 

 これを機に、彼の作品に触れてみませんか。

 

 

 

 

おすすめ作品・好きな描写

 心情描写、情景描写、その他……

 どれをとっても「この書かれ方、良い」と思わず感動してしまう箇所が各作品に散らばっていて、簡潔にこういうところが魅力だと言い切ってしまえないのが漱石の文章。

 

 そんな中でも私が好きなのは、目の前の現実がふと淡い霧に覆われて、そこに違う映像がぼんやり浮かんでくるような、幻想的描写。彼はこれの名手です。それがあらわれているのは、有名な「夢十夜」だけじゃない……!

 また、つい笑みを浮かべてしまうような独特の比喩表現。わかるわかる、と頷けるようなものも、それって本当にそんな感じだったのかな!? と何度も目でなぞってしまう表現もあります。

 

婆さんの淀みなき口上が電話口で横浜の人の挨拶を聞くように聞える。

 

夏目漱石「カーライル博物館」より

 

 個人的には長編よりも短編や中編の作品が好み。

 もちろん前者にもおもしろいところは沢山ありますが、時に顕著になる冗長な部分が後者ではバッサリと削がれ、驚くほどキレキレになっているものが多いです。ということで、短めのものを執筆年代順に紹介してみます。

 

 好きな箇所を引用しますので、気になる作品があれば、ぜひとも実際に全文を読んでみてください。

 

  • 短編

倫敦塔(1905年)

 こちら、以前にも当ブログで紹介したことがあります。

 作者がイギリスの首都・ロンドンの観光名所「ロンドン塔(Tower of London)」を訪れた際の出来事が、臨場感とともに描写されているもので、普段から空想癖を持つ人なら特に没入できること請け合い。

 

あたりを見廻わすと男の子を連れた女はどこへ行ったか影さえ見えない。狐に化かされたような顔をして茫然と塔を出る。帰り道にまた鐘塔の下を通ったら高い窓からガイフォークスが稲妻のような顔をちょっと出した。「今一時間早かったら……。この三本のマッチが役に立たなかったのは実に残念である」と云う声さえ聞えた。

自分ながら少々気が変だと思ってそこそこに塔を出る。

 

 歴史的建造物や史跡を見学していて、思わず思考が引っ張られ、当時の様子をはっきりと眼前に描き出してしまうことってありますよね。

 漱石が塔を出て、宿に戻った後の主人とのやり取りも含めて楽しめる作品。

 

 

薤露行(1905年)

 昔の美術雑誌(週刊朝日百科 世界の美術)を読んでいて、そこで「アール・ヌーヴォー的文体」の作品として言及されていたのがこの短編。

 正直、目から鱗でした。これだけ彼の作品に言及し、並行して同時代の芸術運動と流れを幾度となく参照しておいて、自分の中ではそれらが全然別の点として扱われていたので。頭が固すぎたようです。

 

ぴちりと音がして皓々たる鏡は忽ち真二つに割れる。割れたる面は再びぴちぴちと氷を砕くが如く粉微塵になって室の中に飛ぶ。七巻八巻織りかけたる布帛はふつふつと切れて風なきに鉄片と共に舞い上る。

紅の糸、緑の糸、黄の糸、紫の糸はほつれ、千切れ、解け、もつれて土蜘蛛の張る網の如くにシャロットの女の顔に、手に、袖に、長き髪毛にまつわる。

 

 トマス・マロリーの「アーサー王物語」とその題材に着想を得て、漱石はここで自身ならではの解釈と新しい筋書きを展開しています。

 上の引用部分は、塔に幽閉され、本来であれば鏡越しでしか世界を見ることのできなかったシャロットの女が、窓越しに直接ランスロットを垣間見た場面。美しいですね。読んでいて純粋に楽しいです。

 

 

草枕(1906年)

 序盤の「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される」であまりにも有名なのが「草枕」ですが、真におもしろいのはその内容です。

 絵描きの主人公は旅先で、後の長編「虞美人草」に登場する藤尾を彷彿とさせる、魅力的な女性・那美と出会います。賢く、美しいけれど、どこか情け深い心に欠けている感じの……。主人公と彼女の会話はいつまでも読んでいたくなる。

 

いろいろに考えた末、しまいにようやくこれだと気がついた。多くある情緒のうちで、憐と云う字のあるのを忘れていた。

憐れは神の知らぬ情で、しかも神にもっとも近き人間の情である。御那美さんの表情のうちにはこの憐れの念が少しもあらわれておらぬ。そこが物足らぬのである。ある咄嗟の衝動で、この情があの女の眉宇にひらめいた瞬時に、わが画は成就するであろう。

 

 最後、主人公が那美にかけた台詞と、その声音の温度感(まるで意趣返しみたいな……)が最高なんですよ。

 

 

文鳥(1908年)

 こちら、以前にも当ブログで紹介したことがあります。

 知己のある三重吉という人物からすすめられ、文鳥を飼うことにした主人公。仕事に集中していたり、他のことに気を取られたりして世話はおろそかになりがちだが、それでも家の誰かが水や餌を換えてくれることもあって、文鳥との生活は続いていました。

 小さな生き物を眺めているうちに、彼は誰かの面影を想起します。

 

この一本をふかしてしまったら、起きて籠から出してやろうと思いながら、口から出る煙の行方を見つめていた。するとこの煙の中に、首をすくめた、眼を細くした、しかも心持眉を寄せた昔の女の顔がちょっと見えた。

自分は床の上に起き直った。寝巻の上へ羽織を引掛ひっかけて、すぐ縁側へ出た。そうして箱の葢をはずして、文鳥を出した。

 

 繊細な描写が痛々しいほど胸に迫る、とても切ないお話。

 

 

  • 随筆

硝子戸の中(1915年)より

 今度は小説ではなく、晩年に執筆された随筆です。

 全部で39本の短い文章から構成されており、なかでもうちの33番目はこれから紹介する「行人」にも共通する主題を持つもの。まず、書き出しからしてじわじわと染み入ります。

 

世の中に住む人間の一人として、私は全く孤立して生存する訳に行かない。

自然他と交渉の必要がどこからか起ってくる。時候の挨拶、用談、それからもっと込み入った懸合――これらから脱却する事は、いかに枯淡な生活を送っている私にもむずかしいのである。

 

 漱石はこの短い項を通し、他人と何らかの接触を持つうえで、必ずしも「正解」を選ぶことのできない難しさについて述べています。現代でもコミュニケーションというものを語る際、必ず話題になる普遍的な要素。

 私達は時に、そんなつもりがなくても相手を馬鹿にしてしまうことがある。また時には、相手から何らかの言葉をかけられたとき、それが善意なのか悪意によるものなのか判断できずに、悩む。

 頼りになるのは自分が過去に経験した諸々の事柄と、そこから導き出される感覚しかない。

 一体どれが良くてどれが悪いのか?

 誰にも分からないし正解はない、その、怖さ。難儀さ。

 

もし世の中に全知全能の神があるならば、私はその神の前に跪いて、私に毫髪の疑いを挟む余地もないほど明らかな直覚を与えて、私をこの苦悶から解脱せしめん事を祈る。

でなければ、この不明な私の前に出て来るすべての人を、玲瓏透徹な正直ものに変化して、私とその人との魂がぴたりと合うような幸福を授けたまわん事を祈る。

 

 ううん、本当にしんどいですね。人と人との関わりというものは。

 

 

 ……関連して、以下は短編ではなく長編になるのですが、どうしても読んでほしいという気持ちが抑えきれないので最後に紹介しておきます。

 過去記事もぜひ参照してください。

 

  • おまけ:長編

行人(1912年)

兄さんは鋭敏な人です。

美的にも倫理的にも、智的にも鋭敏過ぎて、つまり自分を苦しめに生れて来たような結果に陥っています。

 

「彼岸過迄」と「こころ」に並ぶ、後期三部作のうちのひとつ。

 初めて手に取ったとき、最後に本を閉じて、ああとんでもないものを読んでしまったと息を吐いたのを憶えています。もちろん、よい意味で。けれど同時に、作者と登場人物の苦しみを感じて、つらく悲しくて。

 とにかく切れ味が鋭いです。

 

兄さんの心を悉皆奪い尽して、少しの研究的態度も萌し得ない程なものを、兄さんに与えたいのです。
(中略)
神を信じない兄さんは、其処に至って始めて世の中に落ち着けるのでしょう。

 

 生きること、在ること、信心、愛。

 その、突き詰めてしまえば説明も解決もできない事柄に対して、登場人物の一郎は本文中の言葉を借りるなら「天賦の能力と教養の工夫とで」明敏な視点を持ち、物事を深く思考することが「できてしまう」から、この人間社会にただ存在しているだけでこんなにも苦しむ。

 思考よりも盲目的な崇拝の方が、いわゆる幸福な状態に近いから。

 けれど、考える、という行為を捨ててまで得る幸福は、本当にその人にとっての幸福といえるのか。

 

 

 思考も何もかもすべて放棄して楽になりたいけれど、そんな風になり果てた自分を想像すると、どこまでも嫌な気持ちになる。到底存在を認めることができない。

 同じように感じる人は少なくないのではないでしょうか?

 そんな方にもそうでない方にも、「行人」はおすすめのお話です。

 

ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー

 

 上で紹介した小説以外の長編作品、あと随筆や講義録などに関しても、今後少しずつ取り上げて魅力を語りたいもの。ひとまずこの記事をもって、本日のお誕生日のお祝いとさせていただきます。

 漱石先生、ずっと大好きです。