以下のふたつの記事の続きになります。
書籍:
中島敦 (ちくま日本文学 12) (著:中島敦 / 筑摩書房)
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まったく馴染みのない風景を前にして、あるいは初めて聴く音楽に触れて、どうやら自分は以前からそれを知っているのではないか……と感じたことはあるだろうか。
一体いつ、どこで体験したのかは思い出せない。それでも確かに頭の隅にあり、ふとした瞬間に浮かび上がってくる泡、もしくは絡まって解けない糸のようなもの。そんな感覚を抱いていた一人の男が登場する物語が、日本の近代文学作品の中にある。
中島敦の手がけた「木乃伊(ミイラ)」という短編。
「山月記」をはじめ「狐憑」や「文字禍」など《古譚》と題された連作を構成する四編のうちのひとつで、長さでいうと最も短いのだが、著者の巧みな文章表現によってとりわけ奇怪かつ幻想的な印象を読者の胸に残していく作品だった。
目次:
《木乃伊》あらすじ
物語のはじまりは古代、アケメネス朝ペルシア。カンビュセス2世の時代のこと。
ペルシア軍の部将にパリスカスという男がいた。
地方の出身で周囲にあまりなじめず、どこか夢想的な(この部分はどことなく『狐憑』のシャクを連想させられる)人間で、それゆえ地位があるのにもかかわらず、他人からはどうも軽んじられる傾向にあった。
父祖は、ずっと東方のバクトリヤ辺から来たものらしく、いつまでたっても都の風になじまぬすこぶる陰鬱な田舎者である。
(筑摩書房「中島敦 (ちくま日本文学 12)」(2008) 著:中島敦 p.180)
そんな彼らの軍が、侵略のためエジプトへと足を踏み入れたとき。
パリスカスはいつにも増して落ち着きのない振る舞いを見せていた。というのも、エジプトの風物や、現地で使われている言語に触れるたび、「何かを思い出そうとして思い出せず苛立っている」ような様子なのだった。
彼はエジプト人捕虜の話す言葉を聞いて、実際に自分がそれを使うことはできないが、確かに話されている意味だけは理解できるような気がしていた。不可解にも、心の底からそう感じていたのである。
彼は今までに一度も埃及(エジプト)に足を踏入れたこともなく、埃及人と交際をもったこともなかったのである。激しい戦の最中にあっても、彼は、なお、ぼんやりと考えこんでいた。
(筑摩書房「中島敦 (ちくま日本文学 12)」(2008) 著:中島敦 p.181)
奇妙な感覚は、古都メンフィスの城の門をくぐる時点でさらに強くなっていた。
現地のオベリスクを前にして、パリスカスは表面に書かれた文字(内容はどうやらこのオベリスクを建てた王に関する記述らしかった)をじっと見つめ、さらには同僚たちの前でそれを読み上げ始めた。
皆も、またパリスカス自身でさえ、彼がエジプトの言語を操れるなどとはまったく知らなかったのにもかかわらず。一体、どうしたというのだろうか。
過去に一度も足を踏み入れたことのない「はずの」場所。また、少しもなじみのないはずの物事に対する、異様な既視感……。
心の中に、何か、ある、解けそうで解けないものが引掛っているような風である。
(筑摩書房「中島敦 (ちくま日本文学 12)」(2008) 著:中島敦 p.183)
そんな状態の続いたある午後、ペルシア軍はカンビュセス王の命で、エジプトの先王アメシスの墓を暴き辱めるために捜索を行っていた。
パリスカスは常のようにぼんやりしていたところで、ふと古い墓の中、うす暗い場所に一人で立っていることに気が付く。あたりを見回すと彫像や壁画があり、略奪の際に壊れたウシャブティの首なども転がっていて、彼は魅入られるようにしてどんどん奥へと進んだ。
そこで、一体の平凡な木乃伊(ミイラ)に遭遇する。
彼はその顔から目を逸らせずに硬直し、やがてエジプトの地に足を踏み入れてからの奇妙な感覚、その根幹をなす疑問が、徐々に氷解していくのを確かに感じていた。
朝になって思出そうとする昨夜の夢のように、解りそうでいて、どうしても思出せなかったことが、今は実に、はっきり判るのである。なんだ。こんな事だったのか。彼は思わず声に出して言った。
「俺は、もと、この木乃伊だったんだよ。たしかに。」
(筑摩書房「中島敦 (ちくま日本文学 12)」(2008) 著:中島敦 p.185)
この木乃伊が前世の己であったという確信を得て、次の瞬間、パリスカスの胸には遠い過去の世——すなわち、前世の、前々世の、そして前々々世の記憶までもが次々と子細に蘇り、めまぐるしく展開し始めた。
眼前の闇には過去に自分が経験してきた物事のすべてが横たわり、それに向かってさらに目を凝らすと、また何かが見えてくる。
それは数ある前世のどこかに存在していた彼の姿で、ペルシア軍に所属している現在の自分自身に酷似しており、うす暗い墓所に一人で立っているところまでまったく一致していた。
前世のパリスカスは一体の木乃伊と向き合い、今と同じように、過去の出来事を思い出している。その木乃伊が、前世(それを眺めている現世のパリスカスにとっては前々世)の自分の身体であることを認識しながら。
すると、その視界の中にはさらに前世のパリスカスがいて、彼も過去の出来事を垣間見、その中にもさらに「前世の前世の彼」が存在していて……と、無限に続く紋様を描いている……。
彼はそれらを前にして逃げ出すこともできず、ただ凍り付いたようにして立ちすくんでいた。
翌日、他の部隊の波斯(ペルシア)兵がパリスカスを発見した時、彼は固く木乃伊を抱いたまま、古墳の地下室に倒れていた。介抱されてようやく息をふき返しはしたが、もはや、明らかな狂気の徴候を見せて、あらぬ譫言をしゃべり出した。その言葉も、波斯語ではなくて、みんな埃及語だったということである。
(筑摩書房「中島敦 (ちくま日本文学 12)」(2008) 著:中島敦 p.189)
物語の面白さと好きな部分
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生活の中の既視感(デジャヴュ)
改めてあらすじを振り返りながら、パリスカスだけでなく私まで混乱してきたし狂うかと思った。
既視感、デジャヴュという言葉が一般的に使われるようになって、もう久しい。
普段から「ぜんぜん知らないはずの物事なのに、確かにどこかで見た/聞いた/経験したことがある」ような感覚にとらわれたとき、私たちはデジャヴュを感じる、と口にする。
この「木乃伊」に登場するパリスカスの場合は、それが常人よりもだいぶ強く、周囲から訝しがられるほどで、さらに既視感の根幹に触れる機会(王命によるエジプトの侵略)を偶然にも得たことから、最後に正気を失ってしまった。
文中の言葉をそのまま用いるなら「合せ鏡のように、無限に内に畳まれて行く不気味な記憶の連続」によって精神に異常をきたし、この世界に生きたままで、別の世の幻影をずっと見続けることになってしまったのだ。
彼はぞっとした。一体どうしたことだ。この恐ろしい一致は。怯れずになお仔細に観るならば、前世に喚起した、その前々世の記憶の中に、恐らくは、前々々世の己の同じ姿を見るのではなかろうか。
(筑摩書房「中島敦 (ちくま日本文学 12)」(2008) 著:中島敦 p.188)
人間の心は、私たち自身が意識せずとも己を守ろうとしてさまざまな働きを見せる。
彼がずっと何かを思い出そうとして思い出せなかったのも、一種の防衛反応なのかもしれない。思い出してしまったら最後、元に戻れなくなってしまうから、しっかりと鍵をかけて記憶の奥底にしまってある。
五感から得られる情報もきっとそう。取捨選択を行わずにすべてを認識していたら、人間にとっては狂気に繋がるのだ。
たとえば、麻酔なしで大掛かりな手術を行うことを想像してみてほしい。あまりに凄惨すぎると思う。だから痛みを鈍らせるように、思い出さなくてもよい事柄は、できるだけ思い出せないようになっている。普通に生活を送るために。
物語の中では、パリスカスの既視感は前世の経験からもたらされたとされているが、私たちが生活の中でしばしば感じる既視感は、果たしてどこからくるものなのだろう。
ひょっとしたらそれも、むやみに思い出さない方がいい「何か」なのかもしれない。
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文章表現、描写の妙
中島敦の作品の大きな魅力は、その題材や鋭い着眼点、人間というものの分析もさることながら、整然としていながら抒情性を失わない文章そのものにこそ詰まっていると個人的に思う。
特に、パリスカスが前世の己の記憶を再生していたとき、どんな風にそれが展開していたのかに注目してほしい。
少し長くなるが以下に引用してみる。
ふと、自分が神前に捧げた犠牲の牡牛の、もの悲しい眼が、浮かんで来た。誰か、自分のよく知っている人間の眼に似ているなと思う。そうだ。確かに、あの女だ。
たちまち、一人の女の眼が、孔雀石の粉を薄くつけた顔が、ほっそりした身体つきが、彼に馴染のしぐさと共に懐かしい体臭まで伴って眼前に現れて来た。ああ懐かしい、と思う。それにしても夕暮の湖の紅鶴のような、何と寂しい女だろう。それは疑いもなく、彼の妻だった女である。
(筑摩書房「中島敦 (ちくま日本文学 12)」(2008) 著:中島敦 p.186)
未だぼんやりとして曖昧な記憶の底から連想を広げ、最後に何か特定の物事を思い浮かべる際の描写で、これほどまでに美しく的確な表現があるだろうか。
生贄に捧げた雄牛の目を「もの悲しい」とするのも、どこか言葉にできない切なさを印象に残すようで大好きだ。
それに「夕暮の湖の紅鶴のような、何と寂しい女」という一節なんて、本当にどこから浮かんでくるのか分からない。これはもう言葉でしか表現できない、小説ならではの視覚表現で、素晴らしいと思う。
だから何度でも読み返したくなる。
「木乃伊」はパブリックドメイン作品で、以下のリンクから全文が読めるので、興味をそそられた方はぜひ。
中島敦 - 木乃伊 全文|青空文庫
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