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彷徨する自由帖

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サマセット・モーム《月と六ペンス》ストリックランドは何に「成り果てようとしていた」のか

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生まれる場所をまちがえた人々がいる。
彼らは生まれたところで暮らしてはいるが、いつも見たことのない故郷を懐かしむ。生まれた土地にいながら異邦人なのだ。幼いころから知っている葉影の濃い路地も、遊び慣れたにぎやかな街路も、彼らにとっては仮の住まいでしかない。

 

(新潮文庫「月と六ペンス」(2014) 著:W. S. モーム / 訳:金原瑞人 p.305)

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書籍:

月と六ペンス(著:W. S. モーム / 訳:金原瑞人 / 新潮文庫)

 

 

目次:

 

《月と六ペンス》サマセット・モーム

 

 ウィリアム・サマセット・モームの著した「月と六ペンス」は昔、まだ大学を辞める前に人に薦められて読んだ小説だった。

 作者はフランス生まれのイギリス人で、10歳の頃に両親を亡くし、パリからイングランドのケント州に渡って学校に通った。過去に医療助手として勤めていたことがあり、その経験を活かして書いた小説の発表から、本格的な作家活動を始めることに。

「月と六ペンス」の構想を練っていたのは肺病の療養期間中だといわれている。

 

 今日はこの作品の話をしたかった。


 ……私は小説が好きだから、よく読む。これは単純。

 けれど、では「なぜそれが小説でなければならないのか」と考え出すと、途端に難しい。世にある書物の数は無尽蔵だし、その種類も多いのに、どうしても小説と呼ばれるものを進んで摂取したいのだった。

 無意識から湧いてくる衝動に理由を与えるのは不可能に近い。それゆえ詳らかに説明はできないけれど、この「月と六ペンス」のような本に出合うと、そうそう……私はこういう物語に触れてみたいから小説を読んでいるのだった、と思う。


 現実のドキュメンタリーでないという点では虚構に分類され、さらに文中では登場人物のひとりが語り手となって他の登場人物について述べる、重層的な虚構。

 それなのにこの「小説」は随分と鮮烈だ。むしろ、だからこそ小説なのだと言い換えることもできる。

 最後のページを閉じて感じる圧倒的な虚脱感は、現実世界を生きていておぼえる類のものとは全く異なり、不思議と胸を満たすほどにとても心地が良いのだった。

 

  • あらすじ

 

 証券取引所の仲買人としてロンドンで勤務し、周囲からは正直で、退屈で、平々凡々と形容される中年の男。

 それがチャールズ・ストリックランドだった。

 文化人との交流が好きな妻とは、結婚してもう17年。

 息子と娘にも恵まれて穏やかな生活を送り、身の丈に合った成功と幸福な将来を約束された、何ら特筆すべき部分のない人間だと思われていた彼だが……40歳になってすべてを一変させてしまう。

 

 あるとき、ストリックランドは10行にも満たない短い手紙だけを残して、家を出た。

 

 もう自宅に戻るつもりはなく、その心は変わらない、と書かれてはいるが、肝心の理由の方には一言も言及されていない。行先はフランスの首都・パリ。

 一体全体、何をしにそんなところまで?

 結果的に捨てられた形となる夫人・エイミーは自分と子ども達の今後を思って嘆き、また、夫の心をそこまで動かしたものの正体に対する疑念を抱く。そして彼女の姉や、その夫であるマカンドルー大佐は、家族としてひどく憤った。当然だろう。

 

 ストリックランドの真意を探るため白羽の矢が立てられたのが、この物語の語り手であり、関係者と知己でもあった小説家の「わたし」だった。

 初秋にパリへ渡り、さっそく問いただしてはみたものの、どんな言葉をかけても彼の返事はにべもない。もう妻を愛してはいないし、家族がどうなろうと知ったことではない、と言い放つ口調も辛辣だ。

 すべてを捨ててパリまで来た理由にはこう答えた。

 

 絵を描きたくなったからだ、と。

 

 ロンドンに帰った「わたし」が彼の言葉を伝えても、ほとんどの人間は信じなかった。

 それもそのはず、あれほど安定した生活を送っていた人間が、40歳を過ぎてからあまりにも危険な人生の賭けに身を投じるなど、当時の常識からして普通ではない。みな、どうせ出来心からの行動で、すぐに逃げ帰ってくると言葉を交わす。

 だが、ストリックランド夫人の方は何かを悟ったようだった。例えば別の女性にそそのかされたのならば、夫はいつか戻ってきた。しかし別のものが彼の心を捉えたとあれば、本当に、二度と家に帰っては来ないのだろうと。

 最後には、むしろ帰ってきてほしくないと呟く。

 

 この騒動の一端を見届けてから5年後、ロンドンの生活に倦怠を感じた「わたし」は再びパリへと向かい、今度はしばらくそこで生活しようと決めた。

 そして、現地に到着して2週間後。

 彼は、ストリックランドに再会することになる……。

 

 

 

 

  • ストリックランドの面白さ

 

 この登場人物は本当に興味深い。

 気まぐれで、独特のそっけない口調で話をし、時に人を傷つけて楽しむふしがある。硬質な言葉の棍棒をもって、相手の最も触れられたくない精神的な弱点を、容赦なくつつき回す男。チャールズ・ストリックランド。

 ははぁ……ずいぶん自分好みの登場人物が出てきたな……と思って、中盤まではウキウキでお話を読んでいた。

 

 やがてその視点は、大きく変えられてしまったのだが。

 

欧州にいた彼が成り果てようとしていたもの

 

 ストリックランドは物語全編を通して、大きな変化を2度経験したのだと思う。

 ひとつ目は彼自身の変化。

 まず、以下が「わたし」の抱いたストリックランドの第一印象だったときちんと記憶しておきたい。

 

ストリックランドは、際立った部分がなにもない、善良で退屈で正直な、絵に描いたような凡人だった。悪い人間ではないが、友人になりたいとは思えない。つまり、どうでもいい存在なのだ。

(中略)

時間をかけて相手をするほどの価値はない。

 

(新潮文庫「月と六ペンス」(2014) 著:W. S. モーム / 訳:金原瑞人 p.35-36)

 

 家を出たのを皮切りとして、ストリックランドは今まで持っていたものをすべて捨て、己の望む絵を眼前に顕現させるため、できることはなんでもする心持ちだった。とにかくそれを邪魔するこの世界の煩わしさ、社会的、あるいは人間的束縛のすべてから逃れようと躍起になっていた。

 そこに以前の「平凡な株式仲買人」の面影は、もはやない。

 しかし……だからといって彼が、単純に「型破りな鬼才の画家」になろうとしていたのだとも、私は思わない。

 

 ここから物語の後半にかけてストリックランドがなりかけていた存在とは、人間でも画家でもなく、例えるなら「天災」に近い何かだ。

 それは要するにどういうことなのか。

 考える鍵になるのは、何度も繰り返される「わたし」の問いかけである。

 本当に、本当の本当に人目を気にしないで済む人間など、存在するのか。そもそも存在することが可能なのだろうか、という問い。

 

「憎まれようが蔑まれようが、どうでもいいんですか?」
「ああ」

(中略)

「周囲の非難を知りながら、心穏やかに暮らせるものですか? 本当に気にならないんですか? だれだって多少の良心は持ち合わせているものです。遅かれ早かれ、心が痛みはじめます」

 

(新潮文庫「月と六ペンス」(2014) 著:W. S. モーム / 訳:金原瑞人 p.73)

 

 周囲に何もなく誰もいない場所、地球上のどこかでなら、あるいはそうやって生きることも可能かもしれない。

 けれど反対に、ひとりでも自分以外の人間が存在しているところで、その存在自体を完全にないものとして振る舞えてしまうのであれば、彼はもはや人間ではない。正確には「人間というくくりには分類できないもの」になる。

 ましてやストリックランドがいたのは大都会のパリ。生きて行動していれば、必ず他人と関係する。否応なしに。

 それなのに徹底した無頓着と無関心をやってのけようとした。

 結果的に彼は人間というよりも、例えば暴風雨だとか大雪だとか、あるいは日照りのような自然現象、天災に性質を近づけていく。私達のことなど一顧だにしないし、不用意にこちらから接近すれば滅茶苦茶にされるのがわかる。

 

「人が人を完全に無視するなど、可能でしょうか」
わたしはどちらかというと、自分に問いかけていた。
「生きている以上、人はほかの人にあらゆることを願っている。(中略)あなたは不可能なことをしようとしている。遅かれ早かれ、あなたの中に潜む人間性が、人との絆を懐かしく思うはずだ」

 

(新潮文庫「月と六ペンス」(2014) 著:W. S. モーム / 訳:金原瑞人 p.251-252)

 

 上に対するストリックランドの答えは「ばかばかしい。どうでもいいことだろう」だった。

 

 彼がしようとしている、いやまさに実行している存在の仕方は、いわゆる隠遁とも厭世とも全然本質から異なる、実の意味でこの世界から遠ざかり、残ったわずかな糸も煩わしくて自ら望んで断ち切る行為。

 社会や世間に存在していても、人間としては消え、最終的に別のモノになる……。

 

 ストリックランドはとにかく藻掻いていた。己の内から湧き上がる衝動をどうにかしようとして、絵画という手段を選択することになり、さらになりふり構わず邁進した。

 この様子を目の当たりにした「わたし」の疑問は的を射ていると思う。

 つまり、本当にこれは絵でなければならないのか。そういう性質のものなのか。読者としても、結果的にそうなっただけで、彼が「絵というものそれ自体」に終始拘泥していたようには見受けられないと感じる。

 だから私はこの頃のストリックランドを指して、鬼才の「画家」ではなく、「天災」と呼ぶ。

 

「表現の手段をまちがえているんじゃないですか」
「どういう意味だ」
「あなたはなにかをいおうとしている。それがなにかはよくわかりませんが、そのなにかを表現する最良の方法は、本当に絵なのですか」

 

(新潮文庫「月と六ペンス」(2014) 著:W. S. モーム / 訳:金原瑞人 p.257)

 

 あまりに的確な問い。

 

 彼の筆跡は人間の画家の軌跡ではなくて、嵐や雷雨が大地を翻弄した痕跡の方に、とてもよく似ている。

 描画をするのに一応現実の対象を求めはするが、そのくせ、まったく周囲の表層に関心を払わない人間が生み出した絵の性質として。

 他者を顧みないことにはまだ理解が及ぶとしても、渦を巻く衝動を昇華するために、「自分自身ですらどうでもよくなる」というのが、ストリックランドの特異な点である。

 私達だって似た思いを抱くことはもちろんあるが、だからといって自分を本当にどうでもよいものとして扱うことなどできない。本能か何なのかはわからなくても、必ず、精神か肉体のどちらかが、最後の一線を越えるのに歯止めをかけるから。

 

ストリックランドはパリで暮らしながら、テーベの砂漠に住む隠者よりも孤独だった。周囲になにを求めるでもなく、望みはただ、放っておいてもらうことだけ。
ひたむきに努力し、理想を追い求めるあまり自分を犠牲にしたばかりか——これだけなら珍しくもない——他人まで犠牲にした。

 

(新潮文庫「月と六ペンス」(2014) 著:W. S. モーム / 訳:金原瑞人 p.268)

 

 けれど容易に柵を飛び越え、そんな風に滅茶苦茶になりかけているストリックランドがパリの街中に居て、絵という作品と行為を通して誰かと接触してしまう。「わたし」然り、友人のストルーヴェ然り、その妻のブランチ然り。

 それ自体がもう災害であり、当然のように、目を覆うほどの大惨事を引き起こしてしまうのだった。

 

 もはや人間ではなく自然現象に成り果てかけていた男。

 ここで冒頭の「わたし」の評価を思い出してほしい。

 当初は周囲の側からどうでもいい存在だと捉えられていた彼だが、そのうち、他ならぬ彼にとって、むしろ全世界の側がどうでもいい存在になってしまう逆転の現象が起こっている。

 

ストリックランドは夢の中に生きていた。
現実に起こることは、どうでもよかったのだ。

 

(新潮文庫「月と六ペンス」(2014) 著:W. S. モーム / 訳:金原瑞人 p.130)

 

 

 

 

南の島・タヒチに渡った後の変化

 

 こうして40歳を境に「目覚めて」しまったストリックランドは、ロンドンの家庭を捨て、今まで社会の中で構築してきたすべてを捨てて、画家のような天災のような何かになろうとしていたのだった。

 これが一つ目の変化だとするならば、二つ目の変化は南の島、タヒチに腰を据えたことでもたらされたといえる。

 ひょんなことからタヒチに渡る機会を得た「わたし」の表現を借りるならば、こういうことだ。

 

それらの絵は、風変わりで斬新な想像力に満ちている。あたかも、居場所を探してさまよいつづけてきた魂が、はるか遠くの地でようやく肉体を得たかのようだ。
あえて陳腐な表現を使うなら、この地で、ストリックランドは彼自身を発見したのだ。

 

(新潮文庫「月と六ペンス」(2014) 著:W. S. モーム / 訳:金原瑞人 p.272)

 

 現地の民の女性・アタとの関わり方からしても、パリにいた頃から究極に自己中心的な姿勢を一切変えていないように見えて、らしくなく殊勝な言葉を零し、涙を流す場面もあった。ハンセン病に罹患していると宣告された箇所などだ。

 訪問した医師に対して絵を渡し、かけた言葉も感慨深い。あなたは本当にあのストリックランドですか?  と尋ねたくなるくらいに「人間らしい言語」を使っている。

 もちろん病の進行度と、そこから予期される自分の最後、残された時間は少ないと悟ったゆえの心境の変化はあったはず。

 だがそれ以上に、ようやく己が己の望む姿でいても煩わしい問題が起こらない、衝動を絵筆に乗せて動かし続けるのに最適な環境に出会ったことで、彼の魂は周囲にとっての災害ではなくなった。

 

イギリスやフランスにいたときのストリックランドはさしずめ丸い穴に打ちこまれた四角い釘だった。だがここでは、穴に形がない。だから合わない釘はない。
彼がこの島にきて多少なりとも優しくなったとは思えないし、利己的でなくなったとも、残忍でなくなったとも思えない。まわりの人間が好意的だったのだ。

 

(新潮文庫「月と六ペンス」(2014) 著:W. S. モーム / 訳:金原瑞人 p.330-331)

 

 小説中で、ストリックランドの作品が描写される部分のうち、やはり印象的なものは前半(パリ時代)と後半(タヒチでの絶筆)に分かれている。この二つの対比は重要だ。

「わたし」はパリにいた頃の彼の絵から、真実や自由を探して彷徨い、もがき続ける巡礼者の姿を見た。

 そしてクトラ医師の証言を受けて、ストリックランドの苦悩する魂についに安らぎが訪れたのだと感じ、例の静物画と対峙して「秘密を墓場まで持っていってしまった」彼の背中を見送った。

 実際にほとんどの視力を失い、それでも描き続けたことによって、もはや「盲目」という比喩を使って彼を表現することすら許さなかったとは、天災でなくなってからも本当に恐ろしいままでいた男であった。

 

「視力が衰えてくると、ストリックランドは、あの狭い家に何時間もこもって絵を描いていたそうです。みえぬ目で絵をみながら、おそらく、それまでみてきた以上に多くのものをみたのでしょう」

 

(新潮文庫「月と六ペンス」(2014) 著:W. S. モーム / 訳:金原瑞人 p.357)

 

 ストリックランドは自分の死後に家ごと壁の絵を燃やせと命じ、そのまま旅立った。完成したひとつの世界とともに。

 

 この「月と六ペンス」が面白いのは、情熱に取りつかれた芸術家の軌跡を追う物語として展開しておきながら、もう一段階深い場所……人間の相互不理解と、個々が心に持てる世界の計り知れなさまでに踏み込んでいるところではないだろうか。

 それは完全に客観的な視点から描かれるのではなく、語り手の「わたし」という、個性的なひとりの小説家の目を通して叙述されるからこそ、良さが際立つ。

 

わたしたちはみな、たったひとりでこの世界に存在している。それぞれが真鍮の塔に閉じこもり、合図によってのみ仲間と意思を通わせることができる。すべての合図が固有の価値観を持っているので、他人の感覚は漠然として捉えどころがない。

(中略)

だからわたしたちはいつまでも孤独で、相手がすぐそばにいながらひとつになれず、相手を理解することも自分を理解してもらうこともできずにいる。

 

(新潮文庫「月と六ペンス」(2014) 著:W. S. モーム / 訳:金原瑞人 p.257-258)

 

「わたし」は当然、他の登場人物の脳内を覗けるわけではないから、作中で出会った人間たちが考えていたのが本当はどんなことなのか、永劫にわからない。だが、自分はこのように思う、あるいはこんな風に解釈した、と言えるまで対象の一挙一動に注意を傾け、何かを読み取ろうとする。

 どこかから発された不可解な信号、その波形に、意味を汲めそうな法則がないかと細かく分析するように。

 その姿勢は時に痛々しく愛おしい。

 

 だからこの小説は発表されて以来、多くの読者を惹きつけてやまないのだろう。

 

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