金沢なる浅野川の磧(かわら)は、宵々ごとに納涼の人出のために熱了せられぬ。
泉鏡花の小説、また戯曲は、第一に取っつきにくい。そしてどうにか取っついたとしても、読み進めるのが難しく、かつては紐解こうとしたけど断念してしまった。あるいはとにかく表現が晦渋だ。
……などなど。
現代、令和の時代を生きる読者にとって、鏡花の作品はそんな風に捉えられがちである。
確かに諸手を挙げて「親しみやすい」とは言いがたい。私も始めて彼の作品に興味を持った中学生の頃は、お話の内容を理解するのに精一杯で、洗練された文章の美しさや著者の持ち味にまで意識を向けるのはなかなかできなかったのを記憶している。
今でもその魅力を十二分に理解できているわけではないけれど、泉鏡花の物語は本当に面白い、とためらいなく口にできるくらいには作品の良さを知ったし、何度も繰り返して読むほどにその念は強くなる。もっと知りたい、と思わされる。
その一端を伝えられれば……。
参考サイト・書籍:
青空文庫(電子図書館)
泉鏡花記念館(記念館ウェブサイト)
外科室・海城発電(著・泉鏡花 / 岩波文庫)
高野聖(著・泉鏡花 / 集英社文庫)
目次:
泉鏡花(1873~1939)
彼は明治6年、北陸における「小京都」と称されて独特な文化の花開く、石川県金沢市に生まれた。名高い加賀百万石の城下町である。
9歳の頃に死別した母・鈴は江戸の生まれで、大鼓師の娘であったことから能楽に造詣があり、子である鏡花も彼女の影響を少なからず受けていたのだろうと伺える。加えて父は彫金師であり、加賀藩の細工方を務める金工の弟子だった。
そんな鏡花に人生の転機が訪れたのは明治20年の頃。
通っていた北陸英和学校を中退し、数々の小説を読み漁る生活を始め……さらに18歳となる明治23年には、本格的に文学を志し東京へ出る決意を固める。それも、かの尾崎紅葉の作品に心を動かされたために。紅葉に弟子として迎え入れられた鏡花は、もはや崇拝にも近い、師への強い敬愛とともに自らの小説を磨き上げていった。
これから紹介する作品《義血侠血》は「ぎけつきょうけつ」と読む。明治27年、11月中の読売新聞に掲載されていた、彼の代表的な作品の中でも最初期に発表されたものだ。
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《義血侠血》あらすじ
一、乗り合い馬車の御者と乗客
物語は富山の高岡から始まる。
越中高岡より倶利伽羅下の建場なる石動(いするぎ)まで、四里八町が間を定時発の乗り合い馬車あり。
そこでは人力車と乗り合い馬車の勢力がしのぎを削り、乗客を奪い合っていた。
乗り合い馬車の方はなんといっても賃銭が安い。それゆえ人力車を利用する人々が減少し、車夫は不景気を嘆き、御者とはたびたびの衝突を免れなかった。そんな、ある夏のこと。一人の謎めいた美しい女性が、客引きの奴(やっこ)の前を通りかかる。
勧誘に応じて颯爽と馬車に乗り込んだ彼女は何者だろうか。
その年紀は二十三、四、姿はしいて満開の花の色を洗いて、清楚たる葉桜の緑浅し。色白く、鼻筋通り、眉に力みありて、眼色にいくぶんのすごみを帯び、見るだに涼しき美人なり。
(中略)
人を怯れざる気色は、世磨れ、場慣れて、一条縄の繋ぐべからざる魂を表わせり。
いかにも、という感じが怪しい。道中、横から煽ってくる乱暴な人力車の車夫にも、そのせいでがたがたと大きく揺れる車体にも全く動じない。ただ満面に笑みをたたえ、状況を面白そうに見守っている。
また、ようよう騒がしくなる状況の中で平静を失わずにいる者が、彼女の他にもう一人だけいた。
それが……馬車の手綱を握って馬を駆る、御者の青年である。彼は乗客が揃うまでは待合所の隅で書物を手に取り、犬を撫でながら黙って座っていた。
向者より待合所の縁に倚りて、一篇の書を繙ける二十四、五の壮佼(わかもの)あり。
(中略)
渠の形躯は貴公子のごとく華車に、態度は森厳にして、そのうちおのずから活溌の気を含めり。陋しげに日に黒みたる面も熟視れば、清矑明眉、相貌秀でて尋常ならず。とかくは馬蹄の塵に塗れて鞭を揚ぐるの輩にあらざるなり。
いよいよ発車という折になれば翻然と御者台に乗り移る。そして、黙々と業務をこなす。しかしその容貌はとてもこの仕事に似合うようには思えない。彼は人生で何を経験し、いかにしてこの職場に辿り着いたのだろうか。
子細ありげな男女がふたり揃って、いよいよ物語は動く。
そのうち馬車は、こちらへの罵倒を続ける人力車に追い抜かれ、乗り合わせた乗客たちは悔しがって御者を激励した。皆で出し合った酒手(要するにチップのこと)をとらせる、だから馬をもっと早く駆けさせ、人力車よりも先を行ってくれ、と。
合計で六十六銭五厘の金が集まったが、青年は簡単に縦に首を振らない。
御者は流眄(ながしめ)に紙包みを見遣りて空嘯ぬ。
「酒手で馬は動きません」
それを受けて、発言をしたのが例の女性だった。
相手に対して詰るような言葉を使いつつも、その声音はどこか戯れの延長のようだ。本気の叱責ではない。
「馬丁様、真箇(ほんと)に約束だよ、どうしたッてんだね」
実はというと、六十六銭五厘の酒手のうち、大部分を占める五十銭を出したのが彼女なのである。決して安い金額ではなく、ひょいと懐から半円銀貨を出してしまえる人物が只者でないのは明らかで、周囲はざわついた。
御者の青年は再び鞭を振るう。
だが石動まであとわずかというところで、このままでは人力車に追いつけなさそうだと判断する。だいぶ無理をさせた馬も疲弊していた。そこで彼の取った行動は……なんと、まず御者台から飛び降りること。そしておもむろに一頭の馬を馬車から外す。
あっという間に彼は馬の背へ飛び乗り、さっきの女性をさっと横に抱え上げて、一直線に目的地へと駆け去ってしまった。
魂消たるは乗り合いなり。乗り合いは実に魂消たるなり。渠らは千体仏のごとく面を鳩め、あけらかんと頤を垂れて、おそらくは画にも観るべからざるこの不思議の為体に眼を奪われたりしに、その馬は奇怪なる御者と、奇怪なる美人と、奇怪なる挙動とを載せてましぐらに馳せ去りぬ。
車上の見物はようやくわれに復りて響動めり。
置き去りにされた他の乗客からすればたまったものではない。不平不満、罵詈雑言の矛先は同乗していた奴(やっこ)に向かい、可哀相な彼は小さくなって頭を下げるばかりであった……。
一方、風のように駆ける御者に連れられた女性の心に、この出来事はあまりにも強烈な印象を残した。彼女は石動へ着いた途端に気絶してしまったが(無理もない)、あとから人に尋ねると、御者の青年の名は金様(きんさん)なのだと判明する。方正謹厳な人柄で知られ、加えて学問が好き。だから仕事の合間に黙々と本を読んでいたのだ。
それからというもの、彼女は自分の行く先々で、金様に似た者の面影を探しては目で追ってしまうのであった。
二、友と欣弥 - 二人の交わした約束
さて、そんな女性の方は一体何者なのか。
彼女の名前は水島友(みずしま とも)、また人呼んで「滝の白糸」という。天涯孤独で、とある見世物小屋に身を寄せ、水芸で評判を集める売れっ子の太夫だった。本来であれば興行は夜のみであるにもかかわらず、その人気ぶりといったら、昼にも開場して客を入れなければならないほど。
乗り合い馬車で五十銭の半円銀貨を無造作に放り投げられたのは、この実績あってこそだったのだ。
あるとき、彼女は仕事を終えた夜に涼もうと川原を散歩していた。そこでなんと、ずっと忘れられなかった金様に再会することになる。彼は月の下で橋の欄干にもたれ、ぐうぐうと寝息を立てていた。二人は邂逅に驚き、共に身の上を語り合う。
「おまえさん、金沢へは何日、どうしてお出でなすったの?」
四顧寥廓として、ただ山水と明月とあるのみ。飂戻たる天風はおもむろに馭者の毛布(ケット)を飄せり。
「実はあっちを浪人してね……」
「おやまあ、どうして?」
「これも君ゆえさ」と笑えば、
「御冗談もんだよ」と白糸は流眄に見遣りぬ。
聞けば、御者の本名は村越欣弥(むらこし きんや)。だから金様の愛称で呼ばれていたのだろう。あの乗せ逃げ事件のおかげで馬車会社から責を問われ、解雇されてしまったため、金沢に出て仕事を探しているのだがなかなか見つからない。
彼は士族の出だが、早くに父を亡くして高岡に越してきた経緯がある。その折に学校を辞め、母を養うためにも働かなければならず、学問……特に、法律で身を立てたい望みとの間で苦悩していた。
友は欣弥の話にひとしきり耳を傾けたあと、こう言う。
「あなた、お出でなさいな、ねえ、東京へさ。もし、腹を立っちゃいけませんよ、失礼だが、私が仕送ってあげようじゃありませんか」
突拍子もない提案に、もちろん彼は度肝を抜かれた。
「なんだって?」
美人も希有なる面色にて反問せり。
「なんだってとは?」
「どういうわけで」
「わけも何もありはしない、ただおまえさんに仕送りがしてみたいのさ」
「酔興な!」と馭者はその愚に唾するがごとく独語ちぬ。
押し問答の末、欣哉はついに折れた。仕送りを受ける。そのかわり、恩返しとして貴女の願いを叶えることにしよう……と。
友が彼に求めたのは、欣弥と「ただ他人らしくなく、生涯、親類のようにして暮らしたい」というものだった。ひとりの家族もなく、見世物小屋で毎日を過ごしている彼女にとっての切実さを伺わせる、ささやかな願い。彼はそれに答えて「よろしい。決してもう他人ではない」と頷いた。
これが二人の交わした約束だ。
欣弥は心を決めたあとすぐに実家へと発ち、資金援助を受けることになった旨を伝えて、東京へと旅立っていった。法律を学ぶために。
それからというもの、友は欣弥の学費、そして彼の母の分も含めた生活費を自分の稼ぎから捻出し、定期的に送った。売れっ子の太夫とはいえ日々のやりくりは一気に厳しくなったが、尊い家族の縁を結び、気持ちの上では水島友ではなく「村越友」として奮闘する生活は、三年間も続いた。
渠はついにその責任のために石を巻き、鉄を捩じ、屈すべからざる節を屈して、勤倹小心の婦人となりぬ。
だが、それに終止符の打たれる瞬間がやってくる。
奇しくも、欣弥の望みが叶う時と、友の望みが絶たれる時は、ほぼ同時に訪れることとなってしまう。
三、恐ろしい事件
ある夜のこと。
霞ケ池のほとりに、まるで死んだように倒れている女性がいた。
四肢を弛めて地に領伏し、身動きもせでしばらく横たわりたりしが、ようよう枕を返して、がっくりと頭を俛れ、やがて草の根を力におぼつかなくも立ち起がりて、踽く体をかたわらなる露根松に辛くも支えたり。その浴衣は所々引き裂け、帯は半ば解けて脛を露し、高島田は面影を留めぬまでに打ち頽れたり。
彼女は他ならぬ滝の白糸、水島友。
興行を終えたあとに水辺で休んでいて、なんと運悪く、強盗に遭ってしまったのだ。
懐に抱いていたのは、自分が日々を暮らすためだけの金ではない。欣弥と母の元に送り、そのつつがない生活を支えるための、基盤となる大切な財産。額はおよそ半年分。それが奪われたとあれば援助ができず、彼らは困窮してしまうだろう。
友は大きな混乱と深い絶望に陥った。
だがここに、決定的なすれ違いがひとつあった。欣弥は卒業と就職を間近に控え、その夢を叶える一歩手前まで来ており、もはや半年もの援助は必要としていなかったのだ。あってもせいぜい二、三か月ほどか。もちろん、当時は今のようにすぐ誰かと連絡の取れる時代ではないから、そんなことを確認する手段もない。
それゆえ追い詰められてしまった彼女は、ついに……自分を襲った強盗が落としていった出刃包丁を握って、近隣の家に押し入った。どうにかして仕送りの金を工面しなければならず、もうそうするしかないのだ、と頑なに思い込んでしまったために。
これまでなりと観念したる白糸は、持ちたる出刃を取り直し、躍り狂う内儀の吭を目懸めがけてただ一突きと突きたりしに、覘いを外して肩頭を刎ね斫りたり。
内儀は白糸の懐に出刃を裹みし片袖を撈り得てて、引っ掴みたるまま遁れんとするを、畳み懸けてその頭に斫り着けたり。渠はますます狂いて再び喚かんとしたりしかば、白糸は触るを幸いめった斫りにして、弱るところを乳の下深く突き込みぬ。これ実に最後の一撃なりけるなり。
初めは金品だけを持ち逃げするつもりだったのだが、騒がれてしまい、後には引けなくなった彼女が思い切り振るった刃は、家の主人とその妻を惨殺した。
滅多切り、それはもうむごたらしく、あまりにもおぞましい形で。
単なる被害者であった彼女、美貌の太夫・滝の白糸は一転、この時点で立派な人殺しになってしまった。
風やや起こりて庭の木末を鳴らし、雨はぽっつりと白糸の面を打てり。
殺人犯は発見され次第警察に捕まり、法廷などしかるべき場所で、相応の裁きを受けるものだ。細かな仕組みは異なれど、この図式だけは現代と変わらない。
裁判といえば。私たち読者は、ふと考える。
滝の白糸たる水島友が資金援助をしていた村越欣弥は、そういえば、法律を勉強してはいなかっただろうか。
四、裁判所へ向かう検事代理
水島友の裁判は実に奇妙なものになった。
なぜなら彼女の用いた凶器(出刃包丁)は、もとはといえば、彼女を襲った強盗の男が落としたものだからだ。別の事件で嫌疑をかけられていた強盗は、家宅に侵入して夫婦を殺害した罪を問われ、きっぱりと否定している。確かにひとりの女を脅して金品を奪ったが、殺人までは犯していない、と。
どうにも事実が証言から捻じれているため、予審は「強盗が夫婦も殺した」との判決を出して終結した。そして、いよいよ次なる公判が開かれる。
このまま何事もなければ、彼女は己の犯した罪から逃げおおせたかもしれない。……だが。
公判の日、老いた母親を伴って馬車から降りた乗客があった。
渠らの入りたる建場の茶屋の入り口に、馬車会社の老いたる役員は佇めり。渠は何気なく紳士の顔を見たりしが、にわかにわれを忘れてその瞳を凝らせり。
たちまち進み来たれる紳士は帽を脱して、ボタンの二所失れたる茶羅紗のチョッキに、水晶の小印を垂下げたるニッケル鍍の鎖を繋けて、柱に靠れたる役員の前に頭を下げぬ。
「その後は御機嫌よろしゅう。あいかわらずお達者で……」
(中略)
当時盲縞の腹掛けは今日黒の三つ紋の羽織となりぬ。金沢裁判所新任検事代理村越欣弥氏は、実に三年前の馭者台上の金公なり。
立派な風体の紳士は、昔ここで御者として働いていた、あの欣弥に他ならなかった。
彼は無事に学問を修め、検事代理となり、恩人である友の裁判へ向かっているところだったのである。
何という巡り合わせだろうか。
二人を待ち受けている運命が気になる方は、ぜひ一旦ここで記事を読むのをやめて、まず物語の結末をご自分の目で見届けてほしい。
パブリックドメイン作品なので、以下のリンクから全文が読めます。
泉鏡花 - 義血侠血 全文|青空文庫
これより先、お話の展開や結末に言及しています。ネタバレが苦手な方はご注意。
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注目したい要素
冒頭と終盤の鮮やかな対比
するりと馬車から降りた検事代理、欣弥の変貌もさることながら、私が心動かされたのは友の変化だった。
裁判所で判決の時を待つ彼女は、欣弥が出廷するのを目に入れた瞬間にさっと蒼褪める。今までは彼のことを、頼りがいのある馬丁でありながら、懸命に勉学に励む可愛らしい書生だと思っていたのだ。それなのに、目の前に現れたのは畏敬の念すら胸に呼び起こす、ひとりの法律家。
彼女は生涯を通し、これほどまでに憔悴し打ちのめされたことはなかった。
また欣弥のほうも、かつては闊達豪放だった友を前にして、感極まる。
謎めいた美貌の太夫。出会ったばかりの頃は堂々とした振る舞いと、煙に巻く言動で彼を翻弄しつつも、時には激励してくれた。長らく自分と母を支え続けてくれた恩人。彼女がいなければここに自分もいなかっただろう。けれど今その人は法廷でうなだれ、冷灰のようにじっとしている。
この二人の置かれた状況、様子の、あまりにも鮮やかな序盤と終盤の対比がただ悲しい。もちろん、そうでなければ面白くないのだけれど。
物語の構成、劇的な演出
そもそもどうしてこんなことになってしまったのだろうか、という問いは作品を読んでいて頻繁に浮かぶ。何かひとつでも不運なすれ違いをなくせば、あるいは用心深く事件を避けられれば、物語は円満に終わるはずったのに。
しかしそれを考えても無駄だ。これは、ロマン主義や江戸文芸の影響を色濃く反映した、鏡花の初期の作品。
冒頭、美女を突然抱え上げて馬に乗せ、他の乗客を置き去りにして駆け去る御者。偶然の再会と仕送りの約束。強盗に遭った被害者が殺人犯に。そして、下された判決と最後に欣弥が選んだ道。どれも突拍子もない。
こうしたあらゆる極端な要素が順序だてて並べられ、劇的な物語を構成しているところに、自然さや平穏さを求めるのはお門違いなのである。
白糸は生まれてより、いまだかばかりおびただしき血汐を見ざりき。
一坪の畳は全く朱に染みて、あるいは散り、あるいは迸り、あるいはぽたぽたと滴りたる、その痕は八畳の一間にあまねく、行潦のごとき唐紅の中に、数箇所の傷を負いたる内儀の、拳を握り、歯を噛い緊めてのけざまに顛覆りたるが、血塗れの額越しに、半ば閉じたる眼を睨むがごとく凝えて、折もあらばむくと立たんずる勢いなり。
この場面、私は読んでいて純粋にやりすぎだと思った。あんまりにも凄艶で残酷で。
でも、だからこそ一幅の絵になる……。
重ねられる言葉の心地よさ
鏡花の作品に散りばめられている修辞についてはすでに沢山の解説がなされている。私が個人的に好きなのは、ある表現を繰り返し反復することで増幅していく情景や、感情の味わい深さ。
例えば上に挙げた殺傷のシーンでも、
白糸は生まれてよりいまだかばかりおびただしき血汐を見ざりき。
から数行の後、さらに
白糸は生まれてより、いまだかかる最期の愴惻を見ざりしなり。かばかりおびただしき血汐! かかるあさましき最期!
と似た言葉が重ねられている。法廷における場面でもそうだ。
欣弥が友を視界に収めて想った彼女の様子が、
恩人の顔は蒼白めたり。その頬は削けたり。その髪は乱れたり。乱れたる髪! その夕べの乱れたる髪は活溌々の鉄拐を表わせしに、今はその憔悴を増すのみなりけり。
のように表現されていた。
その髪は乱れたり、乱れたる髪、その夕べの乱れたる髪……思わず声に出して音読したくなる。実に舞台映えしそうな表現だ。
この《義血侠血》という作品が「滝の白糸」の題でドラマや映画、オペラなどに変換され人気を博しているのは、単純な物語の内容だけでなく、言語表現の特徴も大いに影響しているように私には感じられる。
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その後の二人の運命は
裁判を経て迎えるお話の結末はこうだ。最終的に、友は欣弥の尋問を受けて、自分が家宅に侵入し殺人を犯したと自白する。この場面はぜひ本文中の台詞や描写をじっくりと読んでいただきたい。涙が出てくるし、引き裂かれそうになる。
やがて人生最大の恩人を殺人犯として起訴した欣弥は、死刑に処される彼女の後を追い、宣告の下された日の夕べに自ら命を絶った。
かつて「決してもう他人ではない」と誓った、大切な者との別れを憂いて。
ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー
紙媒体で読みたい方はこちら。
個人的に思ったのですが、この題の《義血侠血》は「議決、評決」と非常に音が似通っていますよね。
関連する内容なのでちょっと面白いなあと。
お読みいただきありがとうございました。
関連する過去記事(日本の近代文学):
はてなブログ Odai「我が家の本棚」