書籍:
The Lottery and Other Stories (English Edition)(Shirley Jackson / Kindle版)
くじ(著:シャーリイ ジャクスン / 訳:深町 眞理子 / ハヤカワ・ミステリ文庫)
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※物語の核心や結末への言及を含む、ネタバレありの感想記事です。
“It isn’t fair,” she said. A stone hit her on the side of the head.
(Jackson, Shirley. The Lottery and Other Stories (p.211). Kindle版)
夏至から1週間ほど経った時期。
草花の映える、その美しく晴れた日に、ある村で行われる「伝統的な」風習。
……特に、流血と死をともなうもの。
これらの要素を含む物語の中でも、わずか数ページに収まる量の文章で、読後に長く残る余韻を読者のなかに残していくのがシャーリイ・ジャクスンの短編小説「くじ」だ。
先日、同作者の《We Have Always Lived in the Castle (ずっとお城で暮らしてる)》を手に取り、嗜好に合ったのでこちらも英語版を紐解いてみた。
「くじ」の原題は "The Lotrery" で、そのままくじ引きや抽選を意味する言葉。
重要なのはそれが一体どのようなくじなのか、序盤で提示されることのないまま(しかし、さまざまな実態の片鱗を確実にのぞかせながら)話が進み、終盤ではっきりと明かされる部分。
本を閉じてから、アリ・アスター監督の手による映画「ミッドサマー(2019)」(→鑑賞メモ)が脳裏に浮かんだので、検索してみるとインタビューの中でシャーリイ・ジャクスンの名前が言及されていた。
彼の映画では、ホルガ村にダニーたち一行が訪問者として入り込んだ(むしろ連れて来られた)が、くじの舞台となる村には外部の人間が誰も訪れない。また仮に訪れていたとしても、例の「伝統的な行事」にはおそらく何の影響も及ぼさない。
ここが一番の違いである気がする。
それ以外でも、ミッドサマーとくじでは物語の主題も描かれているものも大きく異なるし、どのような形で監督が影響を受けたのかを窺い知れる部分はないが、きっと各要素の持つ性質はどこかに継承されているのだと感じた。
興味のある人がいればぜひ両方の作品に触れてみてほしい。
私たちも普段の生活のなかでよく目にしているような、とても平凡な日常的風景や人々の振る舞い、何の変哲もないような事実の記述が、実はとある出来事に起因するものだったのだとわかる瞬間。しかも、不穏な方の。
「くじ」という小説にはその面白さがある。
たとえば、丸くてすべすべとした石を選んで集めたり、広場の片隅に石の塔を作って遊んだりする少年たちの姿は、実にありふれたものだ。のどかでほほえましいとも言っていい。しかし、彼らが「何のために」石を手にしていたのか理解した読者にとって、もはやそれは見えているままの情景ではありえない。
夏空の下、より小さな子供が土ぼこりを立てて転がっているのも必要以上に牧歌的な描写で、物語の怖ろしさとおかしさを一層引き立てる。
そもそも、くじの風習は村の設立当初からあった風に叙述されているものの、もともと使われていた箱は遠い昔に失われており、より重要なことには「そもそもこの催し自体の本当の内容と意義がすっかり忘れ去られている」可能性が示唆されるのがかなり不気味。
伝えられている儀式の細部は曖昧だ。「6月にくじ引きをすれば、とうもろこしの実がじき重くなる」といった豊作にまつわることわざですらも。
しかもワーナー爺さんがそう解説しているだけなので、以前から実際にそのように言われていたのかは、どうも判然としない。
くじにまつわる一連の儀式は長い年月のなかで手順の簡略化も進んでいて、その過程で消えていったものが多くあるのだと本文から伺える。私は、ここが一番ひっかかるし怖い。
Although the villagers had forgotten the ritual and lost the original black box, they still remembered to use stones.
(Jackson, Shirley. The Lottery and Other Stories (p.211). Kindle版)
風習は忘れられ、オリジナルの黒い箱も失われたけれど、村人たちは石を使うのだということをまだ覚えていた。
石を、使う。具体的に「投げる」とか、それを使って誰かを「殴る」とは書かれていない。くじ引きと石を使って行われていた催しは、もしかしたら村が開かれた当初、現在とはまったく違うものだったのかもしれない。
入植から月日を経て、その起源も詳細もぼんやりしてしまった謎の儀式。村で彼らが守っているのは、本当に「伝統」なのだろうか?
しかも、くじの風習を撤廃するべきではないと強く主張するお年寄りで、この77年間、毎年必ずくじ引きに参加していたワーナー爺さんがこんなことを言うのだ。
“It’s not the way it used to be,”
Old Man Warner said clearly.
“People ain’t the way they used to be.”
(Jackson, Shirley. The Lottery and Other Stories (pp.210-211). Kindle版)
昔はこんなやり方はしなかったものだし、人々もこんな風ではなかった。
後者に関しては、単純に世相の変化や若者に対する愚痴であり、別の村ではくじの風習を撤廃している……とアダムス夫人から聞いた事柄への抗議ともとれるが、前者はどうだろう。
当選者を示す黒丸を描いたくじは木片から紙に変わったが、それ以外にも儀式は年を経るにつれて形を変えているのだ。ワーナー爺さんはその70年以上の変遷を目の当たりにしてきたからこそ、今と比べて「昔はこんなやり方はしなかった」と明言するのだろう。
では昔は一体どんな風にやっていたのかと肩をゆすぶって尋ねたいところだが、作中では特に記述されない。
そして現在、くじ引きの運営を担当しているサマーズ氏。
Summersという姓に、夏や盛りの時、あるいは青春をあらわす単語 "summer" が含まれているところからも、美しく晴れた空のもとで淡々と展開する、胸の悪くなるような光景の不快さがじわじわと増していく。
シャーリイ・ジャクスンの短編「くじ (The Lottery)」は、良質な短編小説だ。