金沢八景の駅を出て、シーサイドラインの高架橋を辿るようにして進み始めると、少しして頭上を走る列車に追い越される。姿が見えなくても、音がするので分かる。
右手側に住宅街、そして左手側には小型の船舶が横付けされた岸。陸地と海との境をなぞるような位置を通る高架橋の軌跡は、長く伸びて……やがて大きく海の側に逸れた。並ぶ太い柱は視界の外に続いてゆき、野島公園や八景島がその先にはある。
横から風を受けて歩道を道なりに歩き続ける。
しばらくしたらコーヒーと書かれた旗がはためいているのが見えてくるだろう。不思議な形にまるく切り抜かれた白い外壁から奥まった場所、水色の扉には営業中の札がかかっていて、取手を引くと想像以上に軽い感触でベルの音とともに開かれた。
でんわ☎でんわ
楕円形の看板を一瞥して中に入る。
日曜日の午後1時、店主氏がひとり、カウンターにもお客さんがひとり、とても静かだった。段差を下りるとボックス状の席が点々とある。4つあるうち埋まっているのはこれまたひとつ。窓際に着席して鞄と上着を置けば、メニューがやってきた。どの喫茶店でも見られるような一通りの飲み物が揃っていて……悩み、今日は泡立つ海を飲もうと決めて片手を挙げた。
ソーダ水にしよう。
店主がカウンターの向こうに戻ってしばらくすると、プシュ、とボトルを開ける音が響く。あれこそ炭酸水だと想像して目を瞑る。浜に打ち寄せる波の泡を思わせる液体がグラスに注がれるとき、何色の、そしてどんな風味のシロップが、どのくらいの分量そこへ一緒に注がれるのか。店によって結果が大きく違う難問に頭を悩ませた。
色の答えは、青。
液体という形を持たないものが、透明な「器」に規定されることではじめて特定の形に収まる。この感動は上野の王城でも過去に感じた。グラスの曲線は宝石のカット。そして青い色をしたソーダ水は、物語の中にしか存在できない海の深いところと、浅いところの水を汲んできて、きっかり半分ずつ混ぜ合わせ作られたもの。
砕かれた氷が浮かんでいるのはそのお話の舞台が冬だったからで、すべて溶けてしまうまでの短い時間、確かにこちらの世界と物語の世界とのあわいに漂い続ける。背後に映るソファの赤色がわずかに透けると、透けて見える部分だけ水の色は暗く、深い青となる。
木製のトレーにコースターがぴったり収まり、余白のある別のくぼみにはナフキンと、サンタの絵が描かれたキャンディと、お菓子のエリーゼが添えられていた。エリーゼが今回のダンスの相手のようだ。
ソーダ水の炭酸は中くらいか、もしかするともっと優しい舌触りだったかもしれない。強炭酸ではなかった。
目をぱっちりと開かせるよりは、例えば休日の昼食後に流れる緩慢とした空気に寄り添うような、細やかな泡が作り出す味わい。はかない甘さ。反面、存外にしっかりと固有の「味」を感じられたけれど、色つきのシロップの常、具体的に何を模した味なのかを推察するのは難しい。リンゴのようなイチゴのような、他のもののような不思議な香りと風味。
氷が徐々に溶けてくると当然その濃さが薄まってゆき、色も味も変化する様子を楽しめた。エリーゼを一口ずつかじり、さらにキャンディを転がすあいだに。
本を開いておとなしくしていたら、ただ静かだと思っていた店内には、ずっと音楽が流れていたことに気が付いた。サックスの旋律、ピアノの声、BGMの音量がこれまた絶妙で、会話や思索の邪魔をしない程度に、けれどはっきりと耳に届く。あんまり居心地が良いので、驚いた。
本を読みながら1時間くらいぼんやりしていたと思う。
午後2時頃になってくると客足が伸びて、カウンター席が常連さんたちで埋まり、残りのボックス席も一杯になった。潮時だった。気が付くと、店主のおじいさんはおばあさんに変わっていた。秘められた力を使って変身したのでなければ、単に交代したのだろう。
会計を済ませて出入り口の扉に手をかける。来たときと同じく、その軽さに驚く。強風が吹いたら飛んで行ってしまいそうな軽さだ。それがこの喫茶店への入りやすさを反映しているような気もし、はじめての来店にもかかわらず何度も足を運んだことがあったかのような錯覚に包まれて、午後のお茶の時間は終わった。
金沢八景の喫茶店、オリビエ。