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彷徨する自由帖

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「夏目漱石が "I love you" を『月が綺麗ですね』と訳した」という伝説には典拠となるものがない - 曖昧なまま広まらないでほしい文豪エピソード

「夏目漱石が、英語における "I love you" を『月が綺麗ですね』と日本語に訳した」という言説には、出典がない。現時点でどこにも見つかっていない。どこにも証拠がない事柄を、さも「真実」であるかのように吹聴するのは、果たしてよいことだろうか。私は…

ベンの家(旧フェレ邸)- 家、は身近にある最も奇妙な博物館|神戸北野異人館 日帰り一人旅

寒冷な土地に行くほどそこに住む恒温動物の体が大きくなる傾向、ベルクマンの法則と、餌の豊富な熱帯地方でのびのび育った色鮮やかな虫たちのことなど、いまいち方向性の定まらない考え事をしながら眠ったら、あるときとんでもなく奇怪な夢を見てしまった。…

辻仁成「海峡の光」と青函連絡船|ほぼ500文字の感想

昔、青函連絡船として運行していた八甲田丸。青森旅行の際、現在はメモリアルシップとして保存されているその船内を見学することができたので、小説「海峡の光」を読み返した。作中では、八甲田丸と同じ連絡船だった羊蹄丸の様子が、連絡船すべての終航の象…

ラインの館(旧ドレウェル邸)- 燐寸の火と硝子の向こうの家|神戸北野異人館 日帰り一人旅

ブレーメンを目指した動物達のうち、ロバが覗き込んだ強盗の家を思い出す。外と内の差異を、他の時期よりもずっと強く意識する。冬はとても寒いので。自分がヨーロッパの隅で過ごした幾度かのクリスマスも脳裏に浮かんだ。だいたいは家族のいる場所に帰って…

新幹線に紐付けられたお弁当とお酒|ほぼ500文字の回想

先日に秋田新幹線の車内で食べたのは、大館の株式会社 花膳が提供している弁当『鶏めし』。お酒は由利本荘、齋彌酒造店が製造元の『雪の茅舎 奥伝山廃』だった。マストドン(Masodon)に掲載した文章です。

英国館(旧フデセック邸)- 気狂い茶会、言葉遊びと単なる徘徊|神戸北野異人館 日帰り一人旅

大きなお屋敷の脇や裏を通る細い道では、きちんと黒猫の気持ちになって歩くのが通行の際のルール。背筋を伸ばし、心持ち爪先の方に体重をかけて、できるだけ軽やかに……まがりなりにも黒猫なのだから、決してよろめいたりはしないものだ。たとえ途中で、小さ…

緑色のミルクセーキ、甘いコーヒー、氷入りのオレンジエード:D・W・ジョーンズ《九年目の魔法 (Fire and Hemlock)》

物語の中には単に美味しそうなだけではなく、妙に気になる、あるいは場面や状況も含めて印象的に描かれた食べ物や飲み物がよくある。周囲からすすめられて原著と日本語訳両方を手に取った、ダイアナ・ウィン・ジョーンズの小説「九年目の魔法(Fire and Heml…

綺麗なガラスのドアノブは、なぜ20世紀前半に多く製造されたのか|大正~昭和初期の建築内で宝石採掘

飴玉。氷。寒天。それらに似ていて食欲をそそる、異常に美味しそうなもの。食欲というか「触欲」かもしれない。触りたくもなるので。国内に残る大正~昭和初期に建てられた邸宅などの建築物を巡っていて、ときどき出会うガラスのドアノブは、だいたい透明だ…

姿をくらます主体《円環の廃墟》J・L・ボルヘス、合わせ鏡の無限回廊《木乃伊》中島敦|小説メモ

最近ボルヘスの「円環の廃墟」を読み返したら、去年に上のブログに感想を書いた、中島敦の「木乃伊」を思い出した。共通点を感じたのは、連綿と続く何かと対峙したときに覚える閉塞感。卵が鶏になり、その鶏が生んだ卵がまた鶏になり卵を産んで、その卵もま…

「自己肯定感至上主義」には馴染めない(なぜ、自分をわざわざ肯定しなければ駄目なのだろう?)

世間的に支持される考えや言葉には支持されるだけの理由があるはず。だから一応考えておいた方が己のためになりそうだと思いつつ、じっくり突き詰めて考えたが、とりあえず自分とは合わないと判明した。自己肯定感至上主義には馴染めない。そもそも常に前向…

宮沢賢治《貝の火》のまんまるのオパール - 音もなく、氷のように燃える宝珠|近代文学と自分の話

10月の誕生石には2種類あるらしい。トルマリンと、オパール。1990年代後半から2000年にかけて、特にトルマリンの方は「ピンクトルマリン」と色を限定して語られる場合が(なぜか)多かった記憶があり、幼少期はそれが不満だった。あのごく薄い赤紫色が、そこ…

銀のトレーは「特別」の象徴 喫茶チロル - 名鉄インが目の前のレトロ喫茶店|愛知県・名古屋市

何年も前のストリートビュー写真では「TOBACCO」となっていた右手の看板が、2022年に行ってみると「切手・印紙」に変わっていた。些細なところで確かな時代の流れを感じさせる。そして、明朝体を少し弄ったような字体がレトロで可愛い。赤と朱の中間みたいな…

F・H・バーネット自伝「わたしの一番よく知っている子ども」英国から米国へ渡った作家の想像力の源泉

語り手である子どもの視点が巧みに活かされた「小公女」や「秘密の花園」など、国境を越えて愛される名作を生み出した作家、フランシス・イライザ・ホジソン・バーネット。彼女は自分自身を振り返る文章を残している。この、自伝である。自伝、と一口に言っ…

10月9日

朝、久しぶりに薄手のトレンチコートをハンガーから下ろした時の喜びを思い出す。今は椅子の背中にかけている上着。防寒具があるかぎり、寒さは常に私に味方する。なんて動きやすい季節だろうか。あらゆる魔法が適切にとどこおりなく機能する。狂ったような…

【宿泊記録】ドーミーイン秋田 - 大浴場の内風呂が天然温泉のビジネスホテル、無料の夜ラーメン付き|秋田駅

9月末に初めて訪れた秋田県。1泊2日の短い旅程で、田沢湖周辺散策と秋田市の近代建築見学を目的に、新幹線に乗った。そういえば秋田新幹線は今年で開通25周年を迎えるらしい。水面に落ちた紅葉の葉を連想させる、にじむような赤い色をした車体が印象的だった…

魔神と英雄神、アイヌの伝承の地、神居古潭 (Kamuykotan) - 国鉄時代の旧駅舎は明治の疑洋風建築|北海道一人旅・旭川編(2)

神居古潭駅は明治34(1901)年、北海道官設鉄道の簡易停車場(貫井停車場)として始まった。数年後に停車場へ、そして明治44(1911)年には一般駅に昇格して、貨物の取り扱いも開始される。やがて昭和44(1969)年9月に営業が終了するまで、無数の機関車がそのプラ…

月の女神と羊飼い

一説によると、美男子エンデュミオーンも羊の群れを飼っていた。ギリシア神話で月の女神に見初められ、人間である彼の有限の命を惜しんだ彼女(あるいは、その嘆願を受けたゼウス)によって、ラトモス山の岩陰で永遠の眠りにつくこととなった人物。手元にあ…

中島敦《狼疾記》- 人生の執拗低音として常に鳴り響く虚無感、不安と「臆病な自尊心」|日本の近代文学

山中を、1匹の野生のオオカミが全力で疾走している……。足音と激しい息遣いを周囲に響かせて、森の藪の奥を目指し。私が以前「狼疾記」という題名を目にして、すぐ頭に浮かんだのはそんな情景だったが、実際の意味は異なっている。狼疾、の熟語は心が乱れてい…

珈琲茶論 - クリームソーダとトーストがおいしい駅前のレトロ喫茶店、漫画も読める|山梨県・富士吉田市

外出先で雨が降っていると、他に目的があっても屋内に留まって何か飲んでいたくなる傾向にある。とりわけ、もう少し時間が経てば晴れそうな気配がするときは。ずっと土砂降りなら早く自宅かホテルに帰りたいし、反対に快晴なら、大抵は歩いて回りたい場所の…

旧旭川偕行社・竹村病院六角堂 - 明治時代の木造擬洋風建築、春光園前|北海道一人旅・旭川編(1)

この建物は旧旭川偕行社のもの。現在も偕行社という組織は存在するし、設立当時から地続きのものではあるが、第二次世界大戦以前と以後で性質は少々異なっている。「偕行」の語は、中国の古い詩篇「詩経」に登場する一節が由来とされているようだった。旧陸…

誰もがいて誰もいない、インターネット

何か目的のもとに発されている音を、虫たちの側が意図しているようには、人間の側は受け取れない。知らない言語だからだ。音として存在しているものを認識できるので、いるのは判る。おそらくはこうだろうと予想することもできる。少なくとも研究者は仮説を…

妹背牛町郷土館 - 旧村役場のフランス風近代建築、その内部にある約600点の資料|北海道一人旅・妹背牛編(1)

拠点にしていた旭川駅から妹背牛町まで来たのは、この「郷土館」に寄るためだった。茶色い板張りの壁、なめらかな緑色の屋根、そんな建物の入り口に掲げられているのは校章のような丸いもの。円と星に囲まれた「妹」の字は、妹背牛町をあらわす1文字なのだろ…

抽斗の奥から、昔の手帳を取り出して中身を読む

抽斗の片付けをしていて、異なる段を開けるごとに「手帳」が出てくると気が付いた。手帳。何かを書き込むための冊子であり、高校入学から現在に至るまで、年度ごとに新調しながら私がいつも欠かさず持ち歩いているもの。基本、カレンダーの欄には予定が、自…

焚き火のそばに物語はあった

小さな火種から炎が徐々に立ち上がり、ゆるやかに(かつ、時にはこちらが考えるよりもずっと速く)縦横に広がって、揺らめく姿。火は半透明に見える。幾重のごく薄い布でできた、衣服にも。それに包まれて燃える薪が小さく爆ぜる音。生まれる高い温度と、煙…

言葉の寿命は人より長い / 魔法や知識を受け継ぐこと

数十年、数百年、あるいは千年以上前に書かれたものの一部が、現代を生きる自分にも難なく読める形式で周囲に存在していることを考えると、本当に途方もない。書き手がいなくなり、やがてその声や、眼差しや姿が忘れられても、書物は焼き捨てらたり引き裂か…

「道ありき」を片手に作家ゆかりの地を訪ねて - 見本林の文学館と塩狩峠記念館(三浦綾子旧宅)|北海道一人旅・塩狩&旭川編

その著書を読んで、またそこに記された、周囲の人々から見た三浦綾子の印象を参考にして、頭に浮かべるのは魅力的な人物像だった。考え深く、しかし静的というよりはかなり激しいものを瞳や胸に抱いている、気の強い女性。はっきりとした物言いに、ややもす…

ル・クルーゼの鍋の伝説

旭川空港で黙々と腹ごしらえをしていたとき、不意にそれと邂逅する瞬間があった。羽田を発ってからおおよそ1時間半。首都圏から北海道の中心部まで、航路の発達により、どれほど体感距離が近くなったことか。到着後、2階にカレー屋があると聞いた私は喜び勇…

山形日帰り一人旅(2) 静かな峯の浦・垂水遺跡、山寺千住院の境内には電車が通っている

振り返ってみると、山形行はほんの2カ月ほど前の出来事なのに、すでに思い出せなくなった要素がいくつもある。例えば、このとき山寺の周辺を歩いていて、蝉の声を聞いたかどうか、とか……。蝉は鳴いていたような気がするし、鳴いていなかったような気もする。…

夏目漱石が遺した未完の《明暗》- 虚栄心と「勝つか負けるか」のコミュニケーション、我執に乗っ取られる自己|日本の近代文学

武器になる言葉。盾になる態度。それら、日頃から己を守っている武装を不意に解いて他人と直接向かい合う時、私達はどんな形であれ、必ず、何かしらの傷を受けることになる。どう足掻いても避けられない。人間の世界では、少しでも弱みや綻びを見せた瞬間に…

ベロア生地の、よそゆきの服

2022年の北海道では、特に内陸部の空知や上川方面などを中心に、晩夏の8月末から9月頭にかけて、とある「蛾」が大量発生していた。成虫が翅を広げると、最大で10センチ程度にもなる大きな蛾。ヤママユガ科に属しており、名前をクスサン、というらしい。何ら…