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宮沢賢治《貝の火》のまんまるのオパール - 音もなく、氷のように燃える宝珠|近代文学と自分の話

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参考・引用元:

貝の火(青空文庫)|宮沢賢治

 

 10月の誕生石には2種類あるらしい。トルマリンと、オパール。

 1990年代後半から2000年にかけて、特にトルマリンの方は「ピンクトルマリン」と色を限定して語られる場合が(なぜか)多かった記憶があり、幼少期はそれが不満だった。あのごく薄い赤紫色が、そこまで好きになれなかったからである。

 加えてトルマリンが持つ「電気石」の異称はいっそ嫌いだった。当時は電気よりも別の魔法の方が心を躍らせるものだったから。その誕生石のイメージが持つ影響で、10月生まれの人に、と書かれている贈り物の多くがうっすらピンク色を帯びているのは、ひどく退屈な現象でしかなかった。

 その頃から20年程度の時が流れ、いつのまにか上のような風潮はほとんど忘れられたらしい。私にとってはかなり嬉しいこと。

 そもそも誕生石などの「お守り」にこだわりを持つ必要など全くないのだろうが、どうしても綺麗な石には心惹かれたし、自分と宝石との間に何でもいいから繋がりが見出せるのは面白くて、よく気にしていた。石の結晶は美しい。どこか氷に似ているから。

 

 だからだろうか。結果的に、トルマリンではない方の10月の誕生石として、もう一つのオパールによく目を向けるようになったのは。他の宝石の例に漏れず、質の良いものはとても高価だし、装飾品として身に着ける必然性もなかったので、手元に実物の石はひとつもない。

 代わりに、殻の表面が虹色の真珠層に変化した、貝の化石を持っている。

 中生代白亜紀のものと推定される、アンモナイト。角度を変えるとさまざまな色の光に反射するところがオパールの雰囲気によく似ていた。きっとそれに惹かれ、化石店で手に取って買ったものだったはず。どこから眺めるかによって幾千通りにも印象を変えるから、用がなくても絶えず指の先で触って、あるいは撫でて、その色彩の推移に視線を注いでいたくなる……。

 緑、橙、時には赤から青にも変化する。氷の中で火花が散るみたいにして。

 

 宮沢賢治の短編「貝の火」のホモイもオパールの美しさに心奪われたひとり――いや、彼はウサギなので、きちんと「一匹」と言おう――だっただろう。

 ヒバリの雛を助けたのをきっかけに、鳥たちの王からホモイが賜ったのは、つややかなまんまるの石。「貝の火」と呼ばれる宝珠だが、私が持っている貝とは異なる、正真正銘本物のオパールだ。ヒバリが「薄いうすいけむりのようなはんけち」の包みを解くと(なんて魅力的な形容だろうか。薄い、煙のようなハンカチ!)その内側から姿をあらわす。

 石の中で赤い火が、つめたくちらちらと燃えている。ホモイも彼の父も、母も、それをじっと見ている。眼球の表面に石の光が映って、まるで火種からよそへ引火したように、彼らの瞳も燃える。まばたきするたびに。

 

玉は赤や黄の焔をあげて、せわしくせわしく燃えているように見えますが、実はやはり冷たく美しく澄んでいるのです。
目にあてて空にすかして見ると、もう焔はなく、天の川が奇麗にすきとおっています。目からはなすと、またちらりちらり美しい火が燃えだします。

 

 前に平塚市博物館で開催されていた、特別展の「賢治がみつめた石と星」へ足を運んだのを思い出した。どうして神奈川の平塚なのかと首を傾げていたら、宮沢賢治ゆかりの花巻と平塚が、姉妹都市の関係にあるのが理由であるらしかった。

 彼の物語はときどき、自然物の性質を巧みに抽出して紙に写し、こしらえた、分厚い図鑑の1ページのようだと思える。だからだろう、文学館よりも博物館でテーマ展示が行われるのが、これほど相応しいと感じられる近代の作家もなかなかいない。

「貝の火」に描かれたオパールの色の特徴は、火花や、天の川や、稲妻にも例えられている。日ごとに様子を変える美しさ。蛋白石の別名で呼ばれる、なめらかな灰白の地色に、燃える遊色……それを指して実際に「火」と称することがある事実が、きっと賢治の想像力を刺激したはず。

 宝珠を所持しているだけで与えられる権威に魅入られていくホモイを見て、彼の父は警告を発するが、実際にその光を目の当たりにすると溜飲を下げてしまう。

 

みんなはうっとりみとれてしまいました。
兎のおとうさんはだまって玉をホモイに渡してご飯を食べはじめました。ホモイもいつか涙がかわきみんなはまた気持ちよく笑い出しいっしょにご飯をたべてやすみました。

 

 父はまた、キツネが盗んできた角パンなど頑なに食べないと言っていたのに、貝の火が濁ったり割れたりしていないのを確かめると、安心するのか黙ってしまう。次の日の昼にはもう、気をつけろと言う以外にはあまり強く出てこない。

 なんという信頼だろう。

 貝の火の美しさと、その状態こそが「善」や「正」を示しているはずだ、という、盲目。

 実際は、貝の火が濁った時にはもう、手遅れの状態を示しているのだ。だから、そればかりを行動の判断材料にしていると足元を掬われる。貝の火がもたらした権力に目を曇らせたホモイの瞳は、最終的に白く濁り、本当にものが見えなくなってしまった。

 

 この物語で描かれているオパールの特徴は、見た目だけではない。

 話の中盤で貝の火の内側、ほんの小さな1点に濁りを見つけたホモイに対して父が「今夜一晩、油に漬けておいてみろ」と言うのだが、実際にこの宝石に対して似たようなことが行われ時がある。なぜかというと、オパールの多くは水分を含有し、それが失われてしまうと輝きに影響が出るため、乾燥を防止する試みが必要になる場合があるからだった。

 もちろん、宝石の中に、目に見える形で水が流れているわけではない。それでもオパールの性質を考えるほどに、結晶として存在するこれがいわば氷の変種のように感じられたり、その中で色彩の火が弾けていることに対して、不思議な気持ちを抱いたりする。

 自分の暮らしている世界とは別の場所に属しているものみたいで。

 

玉はまるで噴火のように燃え、夕日のようにかがやき、ヒューと音を立てて窓から外の方へ飛んで行きました。

 

「貝の火」はパブリックドメイン作品で、以下のリンクから全文が読めます。

宮沢賢治 - 貝の火 全文|青空文庫

 

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