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彷徨する自由帖

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ベンの家(旧フェレ邸)- 家、は身近にある最も奇妙な博物館|神戸北野異人館 日帰り一人旅

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 緑色と、橙色と、水色のサンタクロースがいて、そのうち緑のものは後の2体よりも巨大だった。それぞれどういう違いがあるのだろう。種族か、年齢か。また、兄弟や友人同士なのか、あるいはまったく関係がないのか。

 単なる通りすがりにそれらを判断できる材料は与えられていない。近くに掲げてあるアイルランド国旗との関係を考えたが、それでは水色の説明にならないようだった。

 設置された彼らの存在を除いては、ごくありふれた瓦葺きの地味な住宅に見える。

 昔は下見板張りだった外壁は現在モルタル掻き落としで、意匠の点ではかなり簡素なのもそう感じる要因だと思う。ただしよく観察すると、窓の外側の雨戸の模様や、1階玄関横のガラスの十字など、細部に気が配られている古い邸宅なのだと分かる。

 

 

 寒冷な土地に行くほどそこに住む恒温動物の体が大きくなる傾向、ベルクマンの法則と、餌の豊富な熱帯地方でのびのび育った色鮮やかな虫たちのことなど、いまいち方向性の定まらない考え事をしながら眠ったら、あるときとんでもなく奇怪な夢を見てしまった。

 その内容自体は憶えていないのに、妙にはっきりした「奇怪だった」という感想だけが何日か経っても胸に残っている。

 印象だけを取り上げればこの邸宅内部の展示物がまさにそういう雰囲気で、剝製という、もとは生物だったものがずらりと並んでいる異様さの他、脈絡があるようでないような展示の形態が上の夢と似ている気もした。

 明治35(1902)年頃に建てられたとされる旧フェレ邸、通称ベンの家の所在地は、仏蘭西館と呼ばれる洋館長屋(旧ボシー邸)の東隣。そのさらに隣が英国館(旧フデセック邸)だった。こうして並んでいると、3件ともが廊下か何かで繋がっているように思えてくる。実際は別にそんなことはなく、それぞれが独立して建っている。

 

 

 部屋ごとに壁の色と展示物の配置方法が変わっていて、邸内を移動するごとに、さっきとは異なる世界に足を踏み入れたように思われる。しかし考えてみれば「空間を区切る」というのはかなり面白い行為だ。目に見えない、概念上にしか存在しないはずの空間を、区切ること。本来はできそうもないのに、物質の力を使えばそれが間接的に可能になる。

 空間を区切っているというよりは、壁や屋根を使って、ここに空間というものが存在することにしましょうと仮定する試みのようにも思える。要するに、暗黙の了解。

 暗黙の了解といえば関守石もそう。

 柵や看板を設けずに、ここに立ち入ってはならないのだと訪問者に示す、番人代わりの存在。止め石とか関石などとも呼ばれることがある。振り返ると似たようなものを国外でも見たことがあって、それは古い邸宅の中にあった座れない展示物の椅子の、座面にそっと鎮座していた。石ではなくて、ドライフラワーや木の実が使われていた。

 

 

 さっきまでお茶会が開かれていた緑の部屋。順番に色の変わる部屋を巡っていると、トゥルーデおばさんの存在が頭に浮かぶ。いつものように。ここには黒い炭焼き男も、緑の狩人も、獣を殺す赤い男もいないけど、いずれかの窓から魔女の姿が見えたら訪問者は木材に変えられてしまう。そうして暖炉に放り込まれ、熱源と化す。

 壁に並んだ奇妙なものの入った瓶を見ていたら、小説「ハウルの動く城(Howl's Moving Castle)」を思い出した。アニメーション映画ではなくて、ダイアナ・ウィン・ジョーンズが手掛けた原作小説の話だ。あれにも、魔法の薬や材料が入ったガラスの瓶がたくさん登場する。

 

でも、本当のねらいは、棚に並んだ包みや瓶や筒でした。ソフィーは棚を掃除するという口実で、ひとつひとつ下に下ろしました。
そして『皮膚』『目』『髪の毛』などと書かれた物が、実際に娘たちのなれの果てなのか、長い時間をかけて念入りに確かめたのです。

 

(D・W・ジョーンズ「魔法使いハウルと火の悪魔」(2004) 徳間書店 訳:西村醇子 p.69)

 

 そして、この神戸の異人館が冠したのと同じ「ベン」という名の登場人物もいるので勝手に繋がりを感じた。こちらの世界の邸宅に住んでいたベンは狩猟家のベン・アリソンで、小説に登場するベンといえば、扉の向こう〈インガリー〉における王室付き魔法使いのベン・サリヴァン。

 

 

 

 

 ソフィーが憤慨するほど散らかり放題の「動く城」内部は、主人のハウル本人に言わせれば「何がどこにあるのかはきちんと自分で分かっている」状態なのだそうだ、汚くても。文字通りの巣穴である。

 けれどもこの例に限らず、仮にどれほど整理整頓がなされていたところで、家というのは巣穴だ。そして、実際に住んでいる人間たちにしか理解や把握のできない法則で動いていることを思うと、家、住宅、邸宅というものは、ことごとく無二の奇妙な博物館でもあるといえる。ある個人にとっての普通は当然、別の人間にとっては異常であるからして。

 だから邸宅見学の名を借りた合法的な家宅侵入は面白い。

 奇妙な邸宅、があるのではなく、そもそも邸宅自体が奇妙なものなのである。それに、家とそこに住む人間の組み合わせには一つとして同じものがない。ひとたび何かが棲みつくと、ありふれた間取りの部屋ですら簡単に迷宮のごとく、深淵に秘密を隠す、危険な領域へと性質を変える。それをできるだけ沢山覗きたい。

 

 

 あ、魔獣。

 ステンドグラスに封印された魔獣がいる。

 巨大な剥製を置くだけではなく、こういうところにも動物をあしらっているらしい。おそらく、星明りか松明の炎の光をガラスの表面に受けたときだけ、そこから抜け出して自由に神戸の街を歩き回れるようになる仕組み。だから人間は暗くなったらあまり出歩かない方がいい。

 はじめは変わったものが内部に沢山置かれている様子に意識が向くし、綺麗に管理されているからあまり古い感じもしないのだが、この邸宅は明治の建設当初からそのつくりも建材も変わらない。だから何も展示されていなかったとしても、存在自体が建築博物館のようなものだった。