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昨年の12月に訪れた場所のことを今になってようやく記録している。
大きなお屋敷の脇や裏を通る細い道では、きちんと黒猫の気持ちになって歩くのが通行の際のルール。背筋を伸ばし、心持ち爪先の方に体重をかけて、できるだけ軽やかに……まがりなりにも黒猫なのだから、決してよろめいたりはしないものだ。たとえ途中で、小さな階段をいくつか上り下りしなければならなかったとしても。道の舗装が甘くても。
坂の上からラインの館の横を通り抜けると、おそらくこの界隈で最も行き交う人間の数が多い道路に出る。山麓線、北野通り。向かいの集合住宅だった洋館長屋(仏蘭西館)の横に、クリーム色の壁をした英国館(旧フデセック邸)が建っていて、首を伸ばしながら近付くと開け放たれたままにしてある扉が目に入った。入館料を払う。
建物は明治42(1909)年に竣工し、現在の呼称が示すようにイギリスの人が住んでいた。特に関係はないが、同年は作家の太宰治が生まれ、そしてアンドレ・ジッドが雑誌「新フランス評論」に「狭き門」を連載していた年でもある。
こうしてまた、現在はもう誰も住んでいない家に入り込む。誰も居住していないのに管理され、調度も美しく整えられて、人を招き少しのあいだ滞在させるように擬態した怪異へ。それは巧みに家のふりをした、けれども家ではない、異様に魅惑的な何か。容易に抗うことはできない。
グラスが机の上に置かれる音や、フォークとナイフの先端が皿の表面と触れ合う音、また、人々の話し声やくぐもった乾杯の音頭が頭の中にだけ響いてくる。無人の部屋は無人のまま、眼の前にある。幻の暖炉の火が部屋全体を温めていた。暖炉の燃焼部分の前方が砂利を敷いたような仕様になっているのは、これまであまり見たことがない。
欄間風にステンドグラスをあしらい、柱に彫刻の飾りを施したパブ・カウンターはマホガニーの木から作られているらしい。これは深みのある赤色が特徴だった。
イギリスの家具類、調度品類に使われてきた木材は歴史に沿って変遷しており、はじめの頃(チューダー~エリザベス~ジャコビアン様式まで)は、オーク材を用いたものが多かったのだという。後にカロリアン様式に至ってウォルナット材が、さらにジョージアン様式の頃からはここにあるようなマホガニー材が登場し、それから長く家具の素材の主流となる。
表面を撫でまわしたい気持ちを抑えながら、きらきらした瓶の1本1本を眺めていた。木や、木で作られたものに触れることには意味がある。"Touch wood" も "Knock on wood" も同じく「幸運を招く」の意で使われる言葉で、木に宿った精霊が加護をもたらし、悪運を遠ざけるとされたのだった。ドリアーデの物語を思い出した。
ウサギがラッパを吹き鳴らす。
片手に巻物のようなものを持っているから、王や女王から発されたお触れか何かを読み上げる直前の様子なのかもしれない。1階にも2階にもテーブルにお茶の用意があって、彼らは自分をそれに招待してくれたのだったらいいなと思った。ウサギに連れられて席に着くのは、たぶん楽しいことだろう。
思えばイギリスにはあの子がいた、と振り返る。記憶の中でページをめくると現れる、ウサギを追って穴に落ちたあの女の子。象徴的な「水色のエプロンドレスを着た姿」は後の挿絵家の手によるもので、もともと(著者の生前、1890年に出版された「子供部屋のアリス」の挿絵)は実のところコーン・イエローであった。補色だ。正反対。リボンだけが水色。
著者のルイス・キャロル(ドジソン)はスカートの形にこだわりがあったようで、とりわけ、裾のふんわり広がった「クリノリン」は嫌悪していたらしい。その意向を反映した服のスタイルが、前述の「子供部屋~」に収録された彩色絵には見られる(亜紀書房「詳注アリス」p.73 参照)。
別に、正式に招待されていなくても席には着ける——そう、仮に場所がないと言われたとしても、空いている椅子があったら勝手に座ることも可能といえば可能だ。アリスのように。ここには「テーブルの端の大きなアームチェア」は存在しないようだが……。
帽子屋と三月ウサギと共にティーパーティー会場にいた、ポットの中のヤマネ。彼の姿はヴィクトリア朝時代のイギリスで、実際そのようにヤマネが飼われていた事実に基づき描写されているのだと知った際は驚いた。内部に干し草を敷き、ヤマネを入れ、飼ったり贈り物にしたりしていたそう。見た目は可愛らしいが怖い。ヤマネにとっては窮屈だったに違いない……閑話休題。
永遠のお茶会に閉じ込められた彼らを思いながら、こうして保存された邸宅を見学していると、その存在を身近に感じることができる。きっとこの部屋もずっと、明日も明後日も変わらずここにあり、食器類も机の上に並べたままになっているはずだから。しかも使われない茶器は汚れることがなく、洗う必要がない、という点で良い。
時間を殺そうとしている(Murdering the time)とクイーンに宣告され、彼女の言葉を真に受けた当の「時間」(原文中で彼 (him)、とされるため日本語だと「時漢」とも表記する)に背かれたことで、気狂い茶会……「無茶な苦茶会」は終わらなくなってしまった。本来であればそれは、拍子を外しているとか、調子っぱずれに歌っている=歌の間合いを殺している、のような意味になる(PHP新書「謎解き『アリス』物語」も参照)。
おかしなお茶会の途中では、「眠るときに呼吸をする」「呼吸をするときに眠る」が同じになってしまうヤマネ(眠りネズミ)の言葉遊びが展開された。これは「私は私の意味することを言う」のだと主張したアリスへの反論として提示されていた例なのだが、ヤマネの場合はむしろ彼女の意見を補強する結果になってしまい、本末転倒である。
通常の感覚では成り立たない論理(だがあまりにも整然としている面白さ!)に触れて意識が朦朧とし、よろめきながら展示されている茶器を片端からひっくり返して回りたくなる。それで定期的に "Tea Time!" と叫んだなら帽子屋とおそろいの完成で、もう日常には戻れない。
いちど頭を冷やしにベランダやテラスへ出た方が良いのではないか。
英国館(旧フデセック邸)はコロニアル様式の洋館で、サンルームの他にも大きめに取られた窓や広いベランダなど、開放的なつくりが特徴の一つとなっている。外の世界と内側の世界が明確に区切られていながら、閉塞的な感じを滞在者に与えない点でも、ガラスという素材は便利。魔法の力を感じる。
2階の寝室では、ベッドの天蓋の向こうから肖像画の瞳が覗いていて震える。絶えず見られているという、どきどき。家主はここにいないので必然的に私は侵入者として扱われることになるのだが。
そういえば考え事をしているとき、家の中を歩き回る癖があったと唐突に思い出した。対して広くもない家に住んでいて、何かが頭の中を巡り始めるとひたすら居間から自室、台所、風呂場などを行ったり来たりする。だから本当は大広間や、階段ホールや、信じられないくらい長い廊下なんかがあったら嬉しいのに、現実はそうはいかない。
そんな「本能」に従った動きができるのは、邸宅見学の楽しい側面かもしれなかった。おあつらえ向きの環境で、好きなだけ考え事をしながら家という空間の中を徘徊できる。
ふと浴室の展示に移動式便器があるのを目に留めて、ひょっとしたらここの家主は長い旅行にでも出ているのかもしれないと想像した。明治の頃に出発し、令和の現在に至るまでずっと帰らない。こうしている間にも地球上の、あるいは地上ではないどこかの、世界の果てを彷徨っているのかもしれない。
時を超えて残ったアンティーク家具が展示されている家は、さながらタイム・マシーンのようでもある。どこか昔の時間に降り立って調度品を買ったのだ。それで現代に持ち帰った。
また旅の途中で、こんな風にシャーロック・ホームズ氏とその助手が乗り込んできてあれよという間に棲みついたり、今度はそんな彼らを一目見ようと、見物客が押し寄せたりするかもしれない。さっき窓の外に首を出したら青い装束のサンタが屋内へ侵入を試みていた。あれも、きっと拾ってきたようなものだろう。
軒下に蜂や燕が巣を作るのとか、湿った場所の岩には苔がむすのと同じ。
長い時間を経由すると、何かがそこにやって来て付着することが必ずあるものだ。まっさらなまま時を通り抜けられるものはない。細かな傷もつく。異なる時間に到着するたび要素が追加されて(ときどき削ぎ落とされもして)家はその場所から動かないままに、実のところ大移動をしている。
旧フデセック邸内には「221B」の番号を掲げた扉があり、これは本当に作中のベイカー・ストリートに通じているのだと言われれば、驚くよりも深く納得するだろう。山を掘ってその向こう側に抜けるトンネルを実際に作れるのだから、異なる時空に繋がる扉も無論、きちんと存在するはずなのである。