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彷徨する自由帖

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月の女神と羊飼い

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 平地や、なだらかな丘陵地帯だけでなく、起伏の激しい山岳地帯も羊たちの領域になる。原種とされる種類から家畜化された現在に至るまで、実はその健脚は失われず、脈々と受け継がれているようだった。

 助走なしで高い塀の上に飛び乗った成獣の羊を、私は実際に見たことがある。きっと羊は陰から人間に姿を見られているなど思いもしなかっただろう。もしかしたら、羊に転変させられた別の何かだったのかもしれないが……。

 牧草地を求めて山を越える道程で、彼らを守護しながら、巧みに導くのが羊飼い。

 英語では一般的に羊飼い自体をshepherdというが、この単語が動詞に転じると、綴りをそのままに「先導する」「世話をする」の意となった。という事実を知ったとき、その言葉が成立した文化圏において、羊という動物がどれほど身近、かつ象徴的な動物だったのかと実感したおぼえがある。

 

 一説によると、美男子エンデュミオーンも羊の群れを飼っていた。

 ギリシア神話で月の女神に見初められ、人間である彼の有限の命を惜しんだ彼女(あるいは、その嘆願を受けたゼウス)によって、ラトモス山の岩陰で永遠の眠りにつくこととなった人物。

 ギリシア神話のアルテミスとセレーネー、それから、ローマ神話においてはディアーナ、またルーナの名を持つ女神たちはみな月を司り――やっかいなことに――それぞれ、色々な場面で混同されがちなのであった。2つの神話、それらの源流となった国同士の関係と歴史を考えると無理もないが、後世の人間からすれば、かなり混乱させられる。

 

 手元にある、トマス・ブルフィンチの「ギリシア・ローマ神話 付 インド・北欧神話」(野上弥生子訳)には、こんな記述があった。ちなみに序文は夏目金之助(漱石)が寄せたものである。

 この本文中では、エンデュミオーンに恋をした月の女神の名前はアルテミス、ということになっていた。

 

またアルテミスは彼の羊の群をふやしたり、眠っているあいだにその身体や、子羊に、野獣の害のないように番をしたりして、眠ってばかり暮らしても財産には変りのないようにしたともいい伝えられています。

 

(岩波文庫「ギリシア・ローマ神話 付 インド・北欧神話」(1998) ブルフィンチ 訳:野上弥生子 p.267)

 

 この数行から私の頭に浮かんだ光景は、布団に入って冷たい夜風を感じられる日には必ず記憶の中から甦り、すっかり意識が眠りの底に沈んでしまうまで、延々と瞼の裏で再生され続ける。

 草原のまんなかでぼんやりと燐光に似たものを放ちながら、羊飼いの青年の代わりに羊たちの世話をしている、月の女神の姿が……。

 山岳を吹き抜ける風を受けてはためく、彼女の軽やかな衣が。

 

 羊飼いは通常、杖を持っている。襲ってくる動物から羊たちや自分の身を守るために。そして、周辺を調べたり、杖の先端についているU字の鉤(クルーク)で羊を引き寄せたりと、他にも色々な用途で活躍する。

 けれど——もしも月の女神が羊の番をするならば、彼女はそれを、自分の片手に持っているだろうか?

 なんとなく、持っていないような気がした。

 おそらくは昏々と夢を見ているエンデュミオーンの脇に彼の杖も横たえて、おもむろに立ち上がり、少し高い所から羊の群れを見下ろしている。四本脚で白い(時には黒い)、やわらかな豆粒の集まり。血の通った動物。月の女神が彼らを導くのに、杖はいらない。きっと、指先ひとつあれば。

 

 牧羊犬が羊の隊を整える光景は壮観だ。上空から大地を俯瞰する目を持っていないのにもかかわらず、群れの周囲の的確な位置を走り回り、必要な場所へ羊たちを追い立て、連れて行く。たまに検査するかのごとく、その毛の海のような背中の上に、飛び乗って歩くこともある。

 月の女神もエンデュミオーンの代わりにそういうことをしているはず。

 けれど、自分自身は走り回ったり、動いたりせずに。

 ……不意に近くの木立から狼が飛び出してきた。羊の一匹を狙っている。月の女神は払うようにして手を動かし、不可視の力で追い払った。かすかな光が弾けて獣が離れていく。

 広大な草原の違う一角では、ふと水辺を目指した羊に追従した別の個体が、岩と地面の隙間に脚を挟まれてしまっていたから、彼女はそれにも意識を向けた。指を振る。そうすると再び光が弾けて、その一匹は無事に助け出されることとなった。やがて、群れに戻っていく。

 月の女神が羊の番をするとしたら、展開される光景はこんな感じになるのだろう。

 

 ブルフィンチの記述によるとアルテミスは、永遠の若さと命にひきかえ、永遠の眠りを授けたエンデュミオーンに代わって、仕事をしている。本文の短い記述だけで、どういうわけか幸せそうな様子が伝わってくる。

 陽が落ちるまでに羊のすべてを小屋に戻したら、彼女もまた彼の傍らに戻って、今度はそっと瞼を閉じ、横たわる最愛の青年と寸分たがわず同じ夢を見るのだろう。夜はまぎれもなく彼女の領域だ。月の女神だから。

 私はいくつかの国で、羊や羊飼いたちの姿を遠くの方から見てきた。

 それらのどこかの谷で、羊の群れを世話する月の女神の背中を、確かに目撃した経験があるような気がする。