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彷徨する自由帖

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旧旭川偕行社・竹村病院六角堂 - 明治時代の木造擬洋風建築、春光園前|北海道一人旅・旭川編

 

 

 

 

 

 

 正面から見ると左右対称のかっちりした建物で、右側にだけ細い階段がついている。

 昭和中期に撮影された白黒写真を参照するに、その階段は昔からあったようだった。なかほどに小さな踊り場を設けていちど折れ曲がる形と、幅の狭さが眺めているだけで心地よく、実際に上ってみたかったのだが一般の人間はそこから入れない。残念。

 

 

 屋根を柱に支えられたベランダ状の外廊下は、入り口の真上にあたる部分が半円形に突き出ており、そこだけがバルコニーになっていた。雪を避けるものがないので、積もってしまった後に掃除をするのは骨が折れるだろう。

 バルコニーの背後には木の扉。ファンライトで飾られた2階の扉を開け放ち、ゆっくりと姿をあらわす人間の姿を想像する。彼らの立っている場所からは、そばにある春光園の四角形が一望できるはずだった。私もそこを通ってきたのだ。園内に彫刻がいくつか設置されていて、明地信之という人の作品「エゾユキウサギ」の前にしばらく立っていた。

 2階のさらに上に目をやると、弧を描いた破風の下、懸魚のような飾りのある部分の壁に星のレリーフがあるのだと分かる。北辰(北極星)をモチーフにした五稜星は、いわゆる和人による開拓使がこの土地に設置されて以降、北海道の色々な場所で見られるようになった。何かの目印みたいに。

 あの星のレリーフ、昔から今のような風貌で、たとえば札幌の豊平館のように赤く塗られてはいなかったのだろうか。

 

 

 この建物は旧旭川偕行社のもの。現在も偕行社という組織は存在するし、設立当時から地続きのものではあるが、第二次世界大戦以前と以後で性質は少々異なっている。「偕行」の語は、中国の古い詩篇「詩経」に登場する一節が由来とされているようだった。

 旧陸軍第七師団の旭川設営に合わせて、明治35(1902)年に竣工した疑洋風建築。

 同年の印象的な出来事といえば、戦艦 三笠の竣工や、この旭川において、日本の史上最低気温(マイナス41℃)が観測されたことが挙げられる。なんて恐ろしい……。本州産の人間なので、そもそもマイナス20℃を下回る世界の存在には伝聞でしか触れたことがなく、考えるだけでまつ毛まで凍りそうになった。

 道路を挟んだ位置から、建物の屋根から突き出た煉瓦の煙突を仰ぐ。先端が三角屋根のような意匠でかわいらしいが、あれは、けっして飾りで付いているのではない。内部で火を焚くのに切実に必要なものなのだ。

 

 

 

 

 裏側に回ると2階の壁の1面がガラス窓。

 正面のものとは違い、こちらは上げ下げ窓ではなく引き戸だった。下部にひし形の装飾がふたつずつ。基礎部分に近いところにあった通気口や、各ひさしを支えている持ち送りなどを見ても、華美ではないながらに細部まで装飾の意識が向いているとわかった。

 かつては将校たちの社交クラブだった白い洋館は、昭和期に廃墟のような様相で長らく放置されたままでいたが、昭和43(1968)年に復元修理工事が実施され、市立旭川郷土博物館に生まれ変わる。それから博物館が移転し、現在は中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館となった。館内では彼の作品のほか、手すりの黒光りする階段や、資料の閲覧ができる。

 旧旭川偕行社は漫画「ゴールデンカムイ」の単行本第6巻、50話の1コマに外観が背景として登場する。そして、18巻に登場する階段(鶴見中尉がその上に立って振り向いている絵)も、実はここの内部のもの。聖地巡礼の際はぜひお見逃しなく。

 

 

 そんな建物の横には塔の形をした建造物がある。

 昔、旭川の4条12丁目に存在していた竹村病院(博愛堂竹村医院から名前を変えて明治34年に新築した)という医院の敷地内、玄関部分にあったもので、昭和43(1968)年の解体にともなって塔だけ移築復元された。

 旧旭川偕行社とほとんど同時期に建てられているだけでなく、外観にも共通点があって、こうして並んで復元されている光景はとても理に適っているように感じる。まるではじめからこんな風に佇むことを決められていたみたい。

 塔は屋根下の持ち送り、各所のレリーフとか風見鶏を思わせる飾り、細かな部分に見応えがあって周囲をグルグルしていても飽きない。移動遊園地などでたまにある、中に入って園内を眺められる塔にも似ていた。

 

 

 あの、2階部分の観音開きの窓からは、何が出てくるのだろう。想像してみる。

 ……うーん、鳩。

 鳩がいい。なんとなくそう思った。それは大きな鳩で、毎朝決まった時間にポッポと鳴く。そのまま飛び立って、旭川市内を1日かけて上空から俯瞰して回り、夜中の誰も知らない頃にこっそり戻ってくる。塔の屋根の下に入るとすぐに身体が小さくなるようだったが、生態について詳しいことは分からない。明治時代に塔が完成した時からずっとここに住んでいる。

 周辺に住んでいる人達はみんなそのことを知っているのに、大切な存在だから、知らないふりをしているのだった。