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彷徨する自由帖

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抽斗の奥から、昔の手帳を取り出して中身を読む

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 上の記事に引き続き、抽斗に仕舞われている物品の多さに辟易しつつも、その片付けをしていた。

 万年筆以外にも想像のつかないものが奥からたまに出現するので、まるでびっくり箱だ。要するに中身が散らかり放題ということなので、それで良いのだろうか……とも、まぁ普通に思う。

 もちろん、良いわけはない。

 

 あるとき、異なる段を開けるごとに「手帳」が出てくるな、と気が付いた。

 手帳。何かを書き込むための冊子であり、高校入学から現在に至るまで、年度ごとに新調しながら私がいつも欠かさず持ち歩いているもの。基本、カレンダーの欄には予定が、自由欄にはそこにおさまらない雑多な事柄が記されている、単なるメモ帳とは少し性質の異なる紙の束。

 使用後の手帳をひとつところにまとめておく習慣、というよりか取っておく習慣がもともとなかったため、抽斗から出てこなかった年の分は、きっと過去の自分がすでに処分してしまったのだろう。ここ以外の他の場所に仕舞いこんでいるとも思えない。

 発掘したのは合計で5冊。

 2012年、2013年、2016年、2019年、そして2020年のもの……。

 

 

 いちばん古いのだとちょうど10年前に使っていたもので、当時の私はといえば、高校2年生だった。なんだか、2022年まで随分長い道のりを歩いてきてしまったなと遠い目になる。悲しい出来事も喜ばしい出来事も盛り沢山、休まず心を動かし過ぎて、だいぶ疲れたので……。

 せっかくだから手帳の中身も順番に確認してみることにしたのだが、これがまた興味深く、今後はきちんと使用後の手帳を保持してまとめておこうと誓ったぐらいだった。面白いし、時にはまるで自分と似て非なる、別の人間がそれらを書いたような錯覚すらおぼえる。それが気持ち悪い瞬間もあったあけど。

 ここに感想を残しておく。

 

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 2012年の手帳。

 

 前述したとおり高校2年生だった自分は、いまの自分がたじろいでしまうほど丁寧かつ整然とした字で、カレンダー欄に試験や学校行事の予定を記入していた。そう、何よりもまず気になったのは、「恐ろしいほどきれいな文字で書いてある」という部分。今だったらこんなに美しく書く方に意識を回さない。せいぜい読んで分かればいいかな、くらいで。

 各種テストの点数も、発表されたクラス順位と学年順位も、課題(絵画・立体造形・その他)の提出期限から逆算した製作期間の目安も、果ては休日に足を運んだ展覧会の名前もぜんぶ記入してあった。それによって何かを確実なものにしようとしているみたいに。

 多分、きちんと目的意識を持って日々のあれこれをこなそうとしながら、現在以上に「身の周りの物事を完璧に整えていたかった」のだろう……と推察する。そういう気質にその高校という場所は合っていたはず。他ならぬ自分のことなのだが、過去の自分の気持ちを考えるのにはかなり想像力が要った。

 通っていた高校が好きだった。素質あるすばらしい級友に囲まれて、単位制だったので学びたい科目を選び、常に与えられる有意義な課題を淡々とこなしていく快楽。また、空白の時間を工夫して使う喜び。もっと自由に動いていたいと考えるようになった今でも、おそらく根本的な性格は変わっていないはず。

 

 加えて、それ以外だとかなり気になったのが、7月のメモ欄に「先生の住所を聞いておく」と書かれていたことだ。しばらく何のことなのか考え込んで、ついに思い出して笑った。好きだった先生に暑中見舞いか残暑見舞いを出したかったのだ。

 手帳のページをめくると次の8月のメモ欄にも「先生の住所を聞く」と書いてあり、あぁ前の月には教えてもらえなかったのだな、と頷いた。無論、個人情報なのだから簡単に明け渡せないのが当然である。当時の私はそれよりも先生と仲良くなりたい気持ちで一杯だったから、寂しがっていた。

 そのうち無事に手紙のやりとりができるようになって、メールアドレスを教えてもらったり、高校卒業後は一緒に出掛けたりもした。楽しかった、わりと良い思い出の一つである。

 

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 2013年の手帳。

 

 昨年のものとはまた違った形で謎の几帳面さが発揮されており、予定などを記入した後、過ぎた日付の欄にはわざわざ斜線が引いてあった。ひと目で今日が何日なのか、自分が立っているのは月のどのあたりなのかを分かりやすくするために、1日が終わる頃に必ずそうしてから布団に入っていたのだろう。けっこう面倒なことをする。

 高校卒業を控えて進路に相当悩んでいたのと、単純に発狂するほど忙しかったのは記憶していて、自然とメモ欄の内容も「睡眠時間の確保」みたいな切実なものになりがちなのが現実的で怖かった。そんなことを手帳に書いていたのは、全然思い出せないし。

 極めつけは、10月~12月の時期になってくると「ここを過ぎれば休み」のような言い回しが以前よりも増えており、ちょっと疲れすぎだなと嘆息する。多分、充実してはいたけれど人生で最も戻りたくない時期のうちのひとつ。

 後ろの方に(なぜか)書いてあった「できれば優しい人間になりたい」の一言(本当なんだこれ!?)に関しても眺めていて落ち込んでしまった。何かつらいものを感じるし、それ、無理だと思うよ、と過去の自分に声をかけておくしかできない。

 

 時間に余裕がある時はまだ色々考えられていたのか、雑多な覚え書きの中でも映画や舞台を鑑賞していた記録はいくつかあった。明暗構成について考える課題で白黒映画の「ハムレット」を見たとか、オペラの「ニーベルングの指輪」を聴きに行ったとか。

 読書記録だと7月の欄にメルヴィルの「白鯨」を読んだとある。そうそう、作中の『鯨学(くじらがく)』の章が、かなり印象に残っていた。

 10月のページに書かれた脈絡のない単語「チュパカブラ」には混乱させられてしまう。これは同じクラスの友達と何かしら話していて話題にのぼり、あとで詳しく調べてみよう、という意図でメモしておいたもののはず……。これも映画の話だった。「吸血怪獣 チュパカブラ」というのがあるのだ。タイトルからしてB級風味、実際の品質もB級の。

 

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 2016年の手帳。

 

 高校卒業後しばらく油絵をやりながらふらついていて、この頃になってようやくニューヨークアート研修に参加したり、ロンドンに留学したりと、もっと広く色々と学んでみたくて外に出ていた。1年を通して主要な予定はこのふたつ。後者に関しては2年半ほどの長期にわたった。

 それで忙しかったこともあり、手帳の内容は前のふたつに比べると少なくて、だいぶあっさりとしている。ひとこと感想のようなものも特になく、展覧会や読んだ本の記録などは、これとは別に専用のメモ帳に記入していたのが伺えた。

 手帳に書いてあることといえば「試験」「支払い」とか「空港に〇時」とかそういう淡白なものなのでなんとも味気ない。いろいろ各種の勉強に追われていたのだろう、と当時を振り返る。

 

 しかしこれまでの手帳になく、この年からたびたびカレンダーに記入されるようになった種類の事柄が、ひとつあった。それが「ひとり旅」の日程と目的地の名前。

 具体的なきっかけは覚えていないのだけれど、東海道新幹線が通っている名古屋や京都・大阪など、はじめは比較的地元から足を延ばしやすい場所を選んで、積極的に行くようになっていた。

 ブログ読者の方には周知のとおり、以来、私はしょっちゅうひとりで出かけている。楽しいので。どこかのタイミングでこれは面白い、と思う機会がおそらくあり、それで旅の魅力を知ったような気がする……だんだん記憶が蘇ってきた。初夏に名古屋城の近くで、しゃちほこを模したたい焼きがあしらわれた、抹茶アイスを食べた思い出。かなり暑かった。

 2016年以前はそういう機会が少なかったから、手帳を見返したことで「そういえば旅をするようになったのはこの頃だった」と改めて把握できたのが嬉しい。

 

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 2019年の手帳。

 

 前の手帳から3年の間があいた。大学を辞めて2018年12月に仕事を見つけ、翌年の1月から本格的に業務に携わることになったという、節目の年。とても小さな会社でとある特殊分野のライターをすることになった。

 ちなみに、何か書くことに興味を持ちだしたのは仕事がきっかけで、以前はあまり考えたことがなかったからこれもご縁。ブログも2019年から積極的に更新しだした。

 研修中は慣れないことばかりで本当に胃が痛く、長く続けられるのか疑問だったけれどとにかく一生懸命にやっていた。なにしろ手帳のメモ欄が新しく覚えなければならないことの記録で一杯だったので、それが伝わる。ページによってはメールやチャットの返信の定形文などが書いてある箇所もあって必死にやっていたなと思った。

 

 そして、2019年からいっそう好きになってきたのが、国内の近代遺産めぐり。カレンダーのところに書いてある旅行先の地名は、いずれもその範囲内で興味深い建築物が見られるところや、明治・大正期のことがわかる博物館の名前で溢れている。

 例えば前者なら長崎の旧香港上海銀行長崎支店とか。後者だと東京・小平のガスミュージアム、また上野の下町風俗資料館など……。シフト制の勤務形態が採用されていて、平日のど真ん中でも休みがとりやすく、どこへ行くにも混雑を避けられる日を選べるのがありがたい。

 年の後半になると少しずつお金が貯まってきたのもあって、何度か遠方へ旅行に出かけている。マルタ、エジプト、ウズベキスタン。

 情勢がまったく今とは違っていたのもあって、クリスマスパーティーや闇鍋会など、友達同士で集まる機会を定期的に設けられていたのもカレンダーの欄から分かった。この頃は予定さえ合えば気軽に集まれたから、普段ひとりでいるのが気楽な私にとってはそういう予定が心の拠り所になり、ありがたかったなと。またそういうの、欲しいな。

 

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 2020年の手帳。

 

 この年は某長編小説の沼に落ちて、仕事がある日も無い日も、空き時間にずっとそれの二次創作小説を書いていた。びっくりだ。手帳の余白はメモで一杯で、かなり楽しんでいたのがわかる。旅行の行先や友達と遊ぶ予定なども確かに記入はしてあるのだが、それらを押し流す勢いで隙間なく文字が書いてあるため、他の要素が全然目立たない。

 2020年の手帳はそれもあり、まさに同人活動一色。

 2年経ってからこうして日々を振り返ると、当時よりも離れた場所から自分の「勢い」を感じて新鮮だった。ちなみに初めて文庫サイズの同人誌を作るに至ったのも、この活動があったから。学べることも多いし、何かにハマるのは有益なことだと個人的には捉えている。

 しかし、見事に「一度にひとつのことしかできない」性質を体現している手帳だなと笑ってしまった。本当に当時の様子が偽りなく反映されているのにも。

 

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 普通、過去を振り返るのに適しているアイテムといえば「日記」のような気がする。

 でも手帳というものも、いつ何をしたのか、どんな予定があったのかが明確にマスの中に記入され、一目見ただけでその月や年における自分の動き方が伝わるから、本当に面白かった。メモ欄の一部を除いては、内心で考えていたことなどが特に詳しく書かれておらず、見返す際には想像力を働かせる必要があるのもなんだか良い。

 今後も暮らしの中で手帳を利用し、使い終わった後は捨てずにとっておく、つもり。

 

 ちなみに高校3年生当時、2013年度に使用していた手帳は以下の「スコラ」だった。

 なぜかというと、単純に学校側から全校生徒に配布されたから。特に拒む理由が無かったので卒業まで利用した。学生にとっての使い心地はまあまあ。たぶん、まめな人には学習記録欄などが役に立つはず。

 

 

 

 

はてなブログ 今週のお題「はてな手帳出し」