経緯については前回を参照。それの続き。
私の居住区の周囲ではあまり見かけない、赤い、少し古い感じの地上式消火栓があった。半ば地面に埋まった「山火事注意」の看板と並んでひっそり。
後者は、書かれたスローガンの一部が隠れて見えない。
消火栓の「消」の字の上に刻まれている、丸と山を組み合わせたようなマークは山形市章である。縦3本の線が自由、平等、友愛。下部の鋭角は固い意志で、さらに外周を囲む円弧が、団結を意味しているらしかった。抽象的な記号はすべからく、装飾的に進化した暗号に似ている。
昔の一時期、そういう記号と知覚と認識のことを学んでいた。今は、関連する話を表ではあまりしない。
振り返ってみると、山形行はほんの2カ月ほど前の出来事なのに、すでに思い出せなくなった要素がいくつもある。
例えば、このとき山寺の周辺を歩いていて、蝉の声を聞いたかどうか、とか……。蝉は鳴いていたような気がするし、鳴いていなかったような気もする。注意して眺めていたわけでもない花の色とか、鞄のひもが肩に食い込んで少し痛かったこと、道路で何台の車に追い越されたかなどは不思議と記憶しているのに、聴覚にまつわる思い出だけが抜け落ちていた。
歩道の脇に並ぶ柵から足下を覗き込むと、川があった。そこにも確かに音はあったはず。しかし穏やかなせせらぎだったのか、あるいは轟音と共に水が流れていたのか、今となっては曖昧だ。
駅から垂水遺跡へ向かう途中、どんなことを考えていただろう。
当時の音の記憶がはっきりと蘇るのは、駅を出て歩き始めてからしばらく後、木立の中に踏み込んだ地点からだった。
そう、墓地の横を抜けて木々の茂る斜面に足をかけたとき。
あのとき、一気に音が鼓膜に押し寄せた。羽音だった。多分、小さな虫たちの。
それを回想した途端、直前にくぐっていた背後の鳥居の手前を、仙山線の列車が勢いよく通過する音が頭の中で聞こえた。踏切はない。それゆえ、遮断機が下りる際の警告音もない。
車両は走り去る。レールから外れて走行することはできない代わりに、前方にはひとつも遮蔽物の存在しない、自由と不自由が組み合わさった線路の上を、淡々とゴトゴト。
本来なら「最上三十三観音 第二番札所(千手院観音)」といい、より簡単に裏山寺、とも呼ばれている千手院の境内と外界を分かつ門は、この鳥居。駅からここまでは歩いてしばらくかかる。とはいっても、せいぜい10分かそこら。
鳥居は「ついてる鳥居」の愛称でも呼ばれているらしく、最初に名前を聞いたときはあまりに恐ろしくて、震えあがった。ひらがな表記なので意味の方が不明瞭だが、ついてる、というと、まるで「憑いてる」を連想させられるような響きではないか……と。
実際のところは別段、不吉でも恐ろしくもない由縁から与えられた名前であった。参拝者が鳥居の柱にしがみついて「ついてる」と10回唱えると、正面に向かって右側なら恋愛運、そして左側なら金運、がつくとされている。私はなんとなく、石の柱に触れるのは抵抗があったので試すのはやめた。
この千手院では珍しく、寺の境内に線路が敷かれ、そこを普通に電車が通っている。鳥居から伸びる階段の先。目の前を横断する鉄のレール。無論、寺の方が先に存在していたのだ。時代ごとに風景は少しずつ変わり、やがてここに、車両を通行させる必要が生じた。
あ、来る。まばたきしていたら、もう通り過ぎた。
湾曲する土手の形に添って、連なる車両は蛇か竜のよう。山の側面に身体をこすりつけるみたいにして走行している。どこか背中の方にかゆいところがあるのか、それであんな風に……と考えると少しかわいい。一瞬が過ぎ去ると、まるでさっきから何もいなかったかのように、辺りはすっかり静かになった。
ここでも蝉が鳴いていたかどうかを、どうしても思い出せない。
垂水遺跡まで行くにはごく軽い山道を歩く必要がある。
周辺環境の管理費を募っている箱に小銭を入れて、チャリン、ではなく、カシャンと乾いた響きが鼓膜を叩いたとき、横から人間の発する声が聞こえた。他でもない、私に向けられた言葉だった。出処は麦わら帽子のおじいさん。これから登っていくのか、とか、そういう主旨のことを尋ねられた覚えがある。
是と答えると「おっかねえのもおる」から気をつけなさいと言われた。おっかねえの、とは一体何なのか。魔のたぐい……? こんな昼間に。
お礼を言って先へ歩いていくと、何となく言葉の主旨は察せられた。熊、猿、蝮。そういうものが稀に出現するらしい。魔よりも具体的、かつ直接的な被害をもたらす生き物たちだった。
土でできた道を運動靴で踏んで、立ち並ぶ樹木の胴体に太陽光を遮られた空間に身を投じると、しきりに周りで羽音が立ち始める。記憶の中の情景は、ここからにわかに騒がしくなる。
虫たちは異物のどんな気配に反応しているのだろうか。空気の揺れや、排出される二酸化炭素、足音。色々な要因から人間がそこに侵入してきたのだとすぐに理解して、騒ぎ出す。そうして数分もするとまた大人しくなった。戦々恐々としていた私は、ほっとすると同時に、また別の心細さを味わうことになる。
山道というほど大層な傾斜ではない。それでも蛇行し、何度も方向転換を必要とさせる道を黙々と進んでふと背後に首を回せば、緑に閉ざされて見通せない視界と、反対にどの地点まで上方に続いているのかはっきりしない前途に挟まれて、広義の迷いを感じる。歩き続ければ垂水遺跡に辿り着くし、返りたければひたすら下へ向かえばいい、それが分かっていても心は迷う。中空に吊るされたみたいな状態になるから。
今度は耳のあたりに籠って聞こえるのが自分の呼吸音になった。心拍数を抑えるために、ときどき立ち止まる。大昔、小学校で校内マラソン大会の練習をさせられていた頃みたいに、鼻の奥が少し痛くなって、喉が変な風に嗄れる。
そうしたら、岩の陰になっているのに不思議と明るく感じる一角を見つけた。
すぐには理由が分からなかったけど、おそらくは色彩の影響だろう、と考える。緑、灰、黒、が基調となって構成された視界で、その一角に露出している岩だけが暖色系をまとっているものだから、夕陽に照らされているか内側から発光でもしているかのような雰囲気になっているのだった。
腐食して、蜂の巣状に穴の開いた岩肌は正直、とても気持ち悪い。目でなぞるだけでぞわぞわする。このあたりの岩は凝灰岩だそうだ。やわらかな石が、時間や風や水に食われると、こうなる。
どうにか気持ちを奮い立たせて、つづら折りの道で幾度目かの方向転換をした。前に回り込むと小さな鳥居が見えた。その大きさの割に、しっかりとしている。よほどのことがなければ、壊れたり倒れたりしそうには思えない。
垂水遺跡は、大正時代になっても実際に山伏がここで修行していたとされる、天然の岩場を利用した霊場。上の写真の鳥居がまず印象的な存在としてあるが、目を凝らすと岩の隙間や穴などに木や石でできた像も見つけられ、周辺一帯がひとつの神秘的な雰囲気を醸し出している。
神仏に対して寄せる念と、自然物を敬う心のありよう。ふたつが結果的に体現された遺跡の中でも、他では見られないものが揃っている稀有な場所であり、初めに発見した人間はたいそう驚いたに違いない。ここに来るまでの途中にこんな岩は存在しなかったし、あとで登った山寺立石寺の方でも、垂水遺跡と同じような岩場に邂逅した記憶はない。
一説には、西暦860年頃に山寺を開いたとされる慈覚大師円仁もここに留まり、瞑想をしていたとされ、円仁宿跡と呼ばれる洞穴も垂水不動尊の横に残っている。頭を下げ、最終的には座るようにして腰を下ろさなければいられないくらいの、低い天井。
斜めに入っている線の影響で、まるで、ケーキナイフで土台のあたりを抉り取ったバタークリームの塊にも見える。思えばさっきのあのハチの巣状になった凝灰岩なんてスポンジそのものだ。じっと見ていると、やっぱり気持ち悪くなってしまう。特別、トライポフォビアの自覚がなくてもそう思う。
縦の大きな岩の裂け目、前方には呼応するように一本の樹が生えている。
この部分に祀られているのが不動明王だった。ぽたぽたと水滴が垂れてきているのか、わずかな水音が聴こえ、すると今度は少し離れたところで何か虫のようなものが舞う。すぐ柵の向こう側に消えていった。うろつく人間の気配を察したのか、何とも言えず、鬱陶しそうな緩慢な動きだった。
ところで、絶え間なく感じるこの息苦しさは一体何だというのだろう。吸っても吐いても呼吸は楽にならず、そもそも空気自体が重苦しくて、手足の動作まで鈍った。普段から修行もしていない存在が丸腰で霊場を訪れると、こうなるのだなとしみじみ考える。
垂水遺跡というけれど、本当に水がしたたるような重さで四肢を押さえつけられるか、あるいは水の中にいて酸素を求めているような、奇妙な動きにくさをおぼえる。実際に満ちているのは水ではなく、木々の葉の緑であるのだが。
それでも遺跡の前を離れると、帰りはよいよい、だった。地上の世界に近付くにつれて、さっきよりも簡単に息ができるようになっていく。再び「ついてる鳥居」をくぐればもう、自分の居るべき世界にきちんと帰ってきたのだと分かる。
鳥居の正面に向き直って土手の上を眺めていると、また、そこを電車が走り抜けていった。よりにもよって境内の、あの場所を通過するようになっているのは土地の都合もあるのだろうけれど、絵面も結構面白い。
参道を突っ切る電車。「向こう」の領域と「こちら」の領域を人工の乗り物が横断していく様子に、やっぱり何かの生き物であるような印象を抱く。そのまま伝承に出てきそうな姿だもの。
世界を区切る蛇だか竜だか、山肌に沿って決まった時間に、決まった場所を移動する、細長い生き物……。