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彷徨する自由帖

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9月15日(言葉の寿命は人より長い / 魔法や知識を受け継ぐこと)

 

 

 

 

女の人はそれは力のある魔女だったから、十五歳のとき、しきたりにのっとって傷を負わされた。村の長が魔女を村のために働かせようとして、右の腿の骨を砕いたのだった。魔女は長を決して許さなかった。
(中略)
でも、知識というものは、かならず誰かに伝えなければならない。だから魔女は、自分の魔法を伝えるのにふさわしい相手を求めて、何百年、何千年先まで探したのだ。

そして見つけたのが、私だった。

 

(徳間書店「花の魔法、白のドラゴン」(2004) D・W・ジョーンズ 訳:田中薫子 p.148)

 

 上の場面で語られているのは、語り手の少女・アリアンロード(ロディ)が大昔に廃墟と化した村を訪れ、かつてそこにいた古の魔女から、わけあって魔法の知識を継承した際に伝わってきたものの一部。

 力が強くとても賢かった古の魔女は、自らを虜囚とした村長や村人たちへの憎悪を忘れたことはなかったが、病を治癒したり、作物を実らせたりする役割だけはきちんと果たして逝去した。そのかわり、比類なき財産ともいえる己の魔法の知識は、決して彼らには渡すまい……と誓って。

 けれど、それには問題がある。上の世界では、魔法の知識は誰にも伝えずに死ぬと、主を失って暴走し害を及ぼすのだった。

 だから彼女は継承者を探していた。

 無論、誰でもいいというわけではない。ロディいわく「人柄よりも脳が似ている」者、波長の合う存在。全てを託せるその者を見つけるために、死期を悟った古の魔女はその意識の中で遥かな時間を彷徨い、ついに、ひとりの魔法使いの少女と出会った。

 

 ◇      ◇      ◇

 

 数十年、数百年、あるいは千年以上前に書かれたものの一部が、現代を生きる自分にも難なく読める形式で周囲に存在していることを考えると、本当に途方もない。

 書き手がいなくなり、やがてその声や、眼差しや姿が忘れられても、書物は焼き捨てらたり引き裂かれたりしれない限り、残る。石板に刻まれた文字は、砕かれるまで。電子の海に流された文字は、データが消えるまで。

 それらが破壊行為には弱く、ある点でかなり儚いものであるのは事実だが、いざ残るとなると人間ひとりの寿命をはるかに凌駕して、この世に存在し続ける。

 文字、そして言葉の命は、個人の肉体が持ち得る年月よりもずっと長いのだ。

 何かを読む。すると、内容は深く心に刻まれるにしろ、他愛もないとすぐに忘れ去られてしまうにしろ、一度は必ず自分の中で受け止められる。受け止めてからそれがどうなるのかは、ともかくとして。

 

 私達は、古の魔女のように時間にまつわる魔法を用いて、遠い未来にいる「継承者」を探し出し、知識を直接渡すような芸当は難しい。自分の頭の中にあるものを、相手の頭にそのまま注ぎ込むことは、できない。

 けれど、言葉を使える。文字を書き記すことができる。

 書かれたものは運が良ければ自分が世界を去っても残り、やがて、誰かの元に届くかもしれない。届いた先の誰かが、それに対して面白いとか興味深いとか、あるいはいけ好かないとか、何らかの感情を抱いた場合には、今度はその誰かが書くものの中で言及される可能性がある。すると自分の書いたものが、その誰か以外の人間の目にも留まり、また広がっていく。

 そうして受け継がれ、繋がる。

 知識や、思想や、記録の数々が。

 

 ロディは古の魔女と脳が似ていたから、つつがなく膨大な魔法の知識を譲渡された。私達の場合は、書物を手に取って内容を飲み込めたときこそ、もうここにはいない著者との「波長が合った」のだ、と表現してもあながち間違いにはならない気がする。

 記されたもの、書かれたことに触れて何かを感じた、という時点で、仰々しい言い方だがある意味では選ばれたようなもの。汝には適性があると。

 私は部屋に置かれたいくつもの本棚、その一面に無数の背表紙がずらりと並んでいるのを見て瞠目し、また途方もないと息を吐く。

 これは奇跡を目撃しているのと同じである。

 わざわざ手元に置いている本は、どれも自分に少なからず影響を及ぼしたものばかり。古今東西、かつて地球上に存在したあらゆる人間の著した書物が、今、ここに集っている。作品によって相当な紆余曲折を経て、私と出会い、心に多くの糧をもたらした。

 考えてみればとんでもないことだ。違う時代、遠い場所を生きた顔も知らない誰かの言葉が、相当な長さの時間と空間を超えて、この部屋に満ちている。表紙を開けば文字が洪水のように溢れ出てきて、閉じれば、視覚からの奔流はすっと収まる。

 不思議なことだ。本当に。

 

 自分よりも、自分の言葉の方が長く生きるのだという事実。

 これが奇跡でなくて何だろう。

 

魔女は私に知識をくれた。

大量の知識が頭になだれこんできて、私は圧倒されてしまった。魔女の知っているすべて、魔女のできることすべてばかりか、魔女の一生までまるごと受けとったようなものだ。
(中略)
私はまるでその人のことを何年も前から知っていて、何カ月もずっと話をしていたような気がした。そのくらい強烈な印象だった。


(徳間書店「花の魔法、白のドラゴン」(2004) D・W・ジョーンズ 訳:田中薫子 p.148-151)

 

 たくさんの本を読み続けていると、どこかで必ず、こういう経験をすることになる。

 いつもそれを、恐れながらも楽しみにしている。