昔、青函連絡船として運行していた八甲田丸。
青森旅行の際、現在はメモリアルシップとして保存されているその船内を見学することができたので、小説「海峡の光」を読み返した。作中では、八甲田丸と同じ連絡船だった羊蹄丸の様子が、連絡船すべての終航の象徴として描かれていた。
“長いこと危険だからと禁止されていた紙テープがその日は許可され、桟橋の空を華麗に舞った。船の甲板から大空目がけて投擲された色とりどりのテープは、別れを惜しむ羊蹄丸の触手のようで、……(後略)”
(新潮文庫「海峡の光」(2003) 辻仁成 p.136)
八甲田丸船内のシアターでは当時の映像を見ることができ、改めて列車と貨物、人間を運搬し続けた80年の歩みを思った。
連絡船の終航は1988年。青森―函館間の海底に、青函トンネルが開通したのが主な理由だった。
作中の登場人物で頭を離れないのは、傷害事件を起こして函館少年刑務所に収監された、花井修。
彼は模範囚として刑務所内で過ごしていたが、仮釈放や恩赦の折に問題を起こし、それを撤回される。試験にも、わざと落第する。刑務所の外にはもう出ていきたくなかったからだ。
外の世界よりも、壁の内側に留まり規律に従う快適さと自由。そして、明確な秩序を切実に求めた彼の歪みと願いは胸を打つ。俗世からの断絶といっても、仏門に下ったり、聖職者として働いたりすることは、彼の場合は駄目だったのだ。
刑務所という檻の中でなければ、理想の世界を実現できなかった。
引用部分を除いて約500文字
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