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彷徨する自由帖

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ベロア生地の、よそゆきの服

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 実際に行くまで知らなかった。現地に足を運んでから、否応なしに思い知らされた。

 2022年の北海道。特に内陸部の空知や上川方面などを中心に、晩夏の8月末から9月頭にかけて、とある「蛾」が大量発生していたことを。

 

 初めの邂逅は1人旅の2日目。旭川から少し北へ向かった場所にある、無人駅の記念写真を撮っていて、何かの存在に気が付いた。うす茶色の枯れ葉のたぐいだと思って「それ」に不用意に近付いたところ、実は昆虫であった彼らがたくさん建物の壁にしがみついているのだと気が付き、この上なく強い衝撃を受けた。

 成虫が翅を広げると、最大で10センチ程度にもなる大きな蛾。

 ヤママユガ科に属しており、名前をクスサン、というらしい。何らかの要因が複数重ならなければ、ここまで大量に姿をあらわすことはないのだとか。今年の大量発生の原因はいまだはっきりしていない。

 1匹だけならまだいい。それが、特定の場所でたくさん視界に入ってくる。単純な巨大さ、それから、眼球を思わせる翅の模様、太めの胴体……。まるで網膜を介した精神侵犯でも受けているような気分になる。誰かがふざけて、蛾の形をしたシールを気の済むまで風景にぺたぺた貼り付けていったみたいな、そんな冗談じみた光景が目の前に広がっているのだから。

 しかも、夜になると光のあるところに集まって、相当活発に動く。

 私は夜間に出歩かなかったので幸いだった。それでも壁にじっと止まっているだけで、結構恐ろしい。

 しばらくはそのおどろおどろしい絵面に打ちのめされ、茫然自失したり、周囲に誰もいないのをいいことに「怖い! 助けて!」とブツブツ呟きながら道を歩いたりしていたけれど、人間の側の適応力も馬鹿にはできない。だんだんと慣れてきて、旅行3日目の昼間には、もうだいぶ心の余裕ができていた。

 近くにいるときは、視界に入ってはいても彼らの存在を希薄にし、極力認識しないように努力する。また、彼らから離れているときは、あえてその存在について考えてみる。

 衝撃にすっかり押され通しだった頭の中に、そういうことが一応できるくらいの、精神的な余白が生まれていたのだった。

 

 腰を据えて考えてみれば、人間の立場から見たクスサンは実に儚いといえる生き物。成虫として蛹から外界に出て、けれど1週間もすれば命が尽き、死骸は土に還るか、鳥などに身体を啄まれてすっかり姿を消してしまう。雪の季節になる前に。

 そんな彼らの、翅、について思いを巡らせていた。

 うす黄色、黄土色、茶色と微妙な色相が組み合わされて、どこか地層と目玉を連想させる、特徴的な模様を構成している鱗粉。それに覆われた翅の質感には光沢がなく、ふんわりとして柔らかそうだった。ある程度の厚みもあって。

 人間の洋服に使われるベロアの生地に似ている。

 ベルベットではなさそうだと判断したのは、そこまでツヤがあるわけではなく、布に見立てたときの毛足も短そう、と感じたからだった。ちなみにこのクスサン、幼虫の状態だと反対に、非常に長く白い毛で体を覆われており、そのためシラガタロウなどと呼ばれる場合もあるらしい。テグスのような糸が採れる。

 他の短命の蛾と同様、彼らの口吻は退化していて、ものを食べない。私は日中、草の陰や、地面や、壁のところで眠りにつくクスサンの姿を見かけるたび、考えていた。一体何を目的にして、産卵をするためだけに蛹から羽化し、翅を広げて、あのようにしているのだろうかと……。

 無論、広義の「存続」のためには違いない。だがそういう、表面的な答えを求めているのではなかった。

 

 ある日、神居古潭の橋のたもとにあるベンチに腰掛けていたとき、ぼんやりした情景がふと脳裏に浮かんだ。横の道路には、死屍累々とクスサンの体躯が点在し、静かに横たわっている。風が吹くと翅が意思とは無関係にそよぎ、ふるえて、多くは完全に力尽きているのだと分かった。

 夜の狂乱の中で舞い、羽ばたき、やがて灼けつくような太陽が昇り、最後に沈黙が訪れた痕跡。

 そう。彼らはみな、よそゆきの服に身を包み、着飾って舞台に上がり、夜通し踊るためにここへ集まってきたのだと直感した。手触りのよいベロアの生地が、ドレスコード。招待状はない。全員の装いが同じだから、仮面もいらない。ただ、匂いを頼りに、探している誰かを見つける必要がある。そのために服の裾がほつれても、破けても……休まず踊り続けなければならない。

 突然、バチバチと何かを叩く音に鼓膜を刺激されて、私はいたく驚いた。

 数メートル先に視線を向ける。それは「生き残り」だった。けれど、その命ももう少しで尽きる。さきほどベロアのようだと表現した翅はすっかりボロボロで、輪郭が歪み、すり減った分だけ面積も小さくなっている。そんな状態になりながら、なおも羽ばたき、地面に強く叩きつけるようにして翅を動かしていた。

 身体が重いのだ。だから、あの翅ではもう浮かび上がれまい、と思って、しばらく様子を見る。

 それでもなお……。

 

 次に自分の思考を貫いたのは、するどい発砲音!

 騒々しい宴のあとの舞台上に、一体どういうわけか銃を持ち込んだ者がいるのかと、辺りを見回した。そうして思い至る。音の出処はクスサンだが、原因は彼ら自身ではない。アスファルトの敷かれた道路を徐行で移動していた、トラックだった。

 走行する大型トラックの、幅の広いゴムタイヤが、その硬い表皮で無数のクスサンの死骸を地面に押し付けて潰す。すると、バン、バン、と袋が破裂するような音がして、もう魂を内包しない身体の、腹が順番に弾けていくのだった。

 人間が舗装した道路の上に辿り着いたクスサンは、命を落としたあと、最後にはそのようにして終わりを迎える。

 遠目から眺めるそれらの様子はさながら、脱ぎ捨てられた服のようだった。あるいは不要になった外殻。仮の、借りものの姿。鎧だったのか、枷だったのか。

 

 ベロアを重ねた、ずっしりと重たい衣装をああして地面に置いて、みな今頃はどんな場所で踊っているのだろう。

 そこはもう、裾を引きずらないようにする必要も、取れてしまったボタンに気を配る必要も、全くない世界であるはずだった。

 毎年の晩夏には、こうして冬まで終わらない舞踏会が開かれている。