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彷徨する自由帖

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高田大介《図書館の魔女》は「言葉」に溺れて見る壮大な夢の一幕みたい|ほぼ500文字の感想

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 第45回メフィスト賞受賞作。

 

 

 

 耳は聞こえるが声を発することができぬ唖者のため、手話を用いて意思の疎通を行う《図書館の魔女》、名をマツリカ。そして、常人よりはるかに鋭敏な感覚を持っているものの、文字の読み書きができない少年キリヒト。

 ある思惑によって邂逅した2人は、やがて「新しい手話」を編み出そうと模索するようになる。

 

——音声も文字も言葉の最後の拠り所ではない。
そのどちらにも拠らず、なお言葉たりうる表現手段はいくらもあるんだから。
ただね、単なる叫びとは異なる、象徴的な記号や図絵とは異なる、真に言葉といえるものなら必ず持っている性質が少なくとも二つある。

 

(高田大介「図書館の魔女 第一巻 (講談社文庫)」p.105 Kindle版)

 

 ……根っからのファンタジー好きとしては所々に「あああ、そこは惜しいな~」と思える要素が散見されたのが玉に瑕だったけれど、内容が面白いのには疑いがない。

 何が惜しいのかといえば、ハイ・ファンタジーでありながらも、私達が生きる「こちらの世界」に存在しているものが名前を変えてそのまま登場する部分だ。せっかく豊かな想像の領域が広がっているところ、何をモデルに構築した要素なのかがちょっぴりあからさまに分かってしまう。

 そこを除けば、魅力的なキャラクターにページをめくる手が止まらない読みやすさ、そして言葉というものに対する造詣、わくわく感と、久しぶりに夢中になって読んだ個人的ヒット作。

 

 多分、合う人には合うし、合わない人には合わない。

 1の言葉で100を想像させる表現があるとするなら、まさにこれはその対極に位置している……と思った。描写、描写、描写、とにかく描写、描写が延々と続く中に、確かな悦楽がある。まるで、言葉は決して単なる道具などではない、そう「ここでは言葉そのものが世界なのだ」と言わんばかりの圧。

 その圧が、心地よい。

 

 

  ◇   ◇   ◇

 

 引用部分を除いて約500文字

 以下のマストドン(Mastodon)に掲載した文章です。