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彷徨する自由帖

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レイ・ブラッドベリ《何かが道をやってくる》怪しい移動遊園地、幼少期の転機|ほぼ500文字の感想

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 原題にある"Something Wicked"……何か邪悪なもの、というのはシェイクスピアの作品「マクベス」からの引用。では、作中で移動遊園地と共にやってきたそれらは、その邪悪さで一体何をおびやかし、害をなすのか?

 善良な心、人の世の善なるもの、教会での真摯な祈り。

 そういうものを冒涜し腐してしまうのが、邪悪なカーニヴァルだった。

 

 ブラッドベリは幼少期から、遊園地や道化師がもたらすイメージを恐れつつ、心の一部を囚われてきた。

 怪しげな存在に翻弄される2人の少年・ジムとウィルはある意味で著者の分身ともいえる。そして、高齢で結婚して息子をもうけたウィルの父、チャールズも……。

 なんとなく「父の役割」「母の役割」が分割されているふしのある言い回しは古めかしいが、作品にはそれを補って余りある魅力があった(単純に、私が遊園地モチーフを好んでいるからというのも無論、ある)。

 

 ぐっとくるのは、さりげなくだがしっかりと描かれている図書館や書物への信頼。そして、恐ろしい〈塵の魔女〉を前にしながら「きさまは滑稽だ!」と笑い飛ばす強さ。

「人生とはつまるところ途方もない大きさの悪戯」だと彼は思う。

 それは決して投げやりな諦念ではなく、窮地から彼を救う。

 

 

  ◇   ◇   ◇

 

 約500文字

 以下のマストドン(Mastodon)に掲載した文章です。