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彷徨する自由帖

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夏目漱石《夢十夜》第二夜 より:和尚(宗教)と時計(文明・学問)のあわいに座して悟りを求めた意識

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 昔、預けられていた祖母の家に、壁掛けの振り子時計があった。

 八角形の盤面の下に振り子の入ったケースが下がっている、古くてごく一般的なもの。それは本来1時間ごとに音を出す仕様であったはずが、私が物心ついた時にはもう部分的に壊れていたようで、時間の方はきちんと刻むけれど鳴らなかった。

 それなのに記憶の詰まった箱を開けようとすると、自分はその音を知っている、という気がする。低い音。怖いような落ち着くような、部屋に満ちる空気を震わせる響きを。

 もしかしたら家に出入りする誰かが時計の電池を交換する際、接触の関係か何かでたった一度鳴ったのかもしれないし、あるいは完全なる思い込みが生成した幻なのかもしれない。いずれにせよ音を発する時計は自分にとって少し心に引っかかる、ある意味では特別な存在で、気が付くと頭の隅っこにいる。……ときどき。

 

 ちかごろ、近代に書かれた文学作品で、特に「音の出る時計」が出てくるものを色々と探して読んでいた。私達がふだん見慣れているような類の各種時計が、一般大衆に普及し始めるのがそのあたりの時代だから。

 もう自分のブログに感想を書いたものだと、谷崎潤一郎《少年》、あと夢野久作の《女坑主》などがある。他には室生犀星《音楽時計》や新見南吉《うた時計》がとりあえず脳裏に浮かぶ中で、ふと、夏目漱石の《夢十夜》を構成しているうちの「第二夜」を思い出した。ああ、これも。

 その第二夜(というよりか、夢十夜という作品全体がそう)はなんとなく読んでいるだけでも十分に楽しく面白い物語だけれど、漱石を好きになり、彼の抱いていた関心をさらに深追いしてから改めて向き合うと、モチーフが示唆に富んでいていっそう面白さが増す。

 なぜ、和尚なのか。なぜ、時計なのか。なぜ「何か」がそれらの姿をとって現れなければならなかったのだろうか……これらについて考察させられる。

 

 もう一度書くが、別にそれらについて考えなくたって《夢十夜》は面白い。

 文章そのものから、あいは展開されている光景や登場する人物、事物から、表象を読み取ろうとするだけでわくわくする。

 必要なのではなくて、私が漱石を好きで、考えたいから勝手に考えているだけ。

 

 

《夢十夜》第二夜のイメージ

  • 「宗教」の和尚

 

(宗助は)「私の様なものには到底 は開かれそうに有りません」と思い詰めた様に宣道を捕まえて云った。それは帰るニ三日前の事であった。

 

(夏目漱石「」(1993) 新潮文庫 p.206)

 

 和尚さんは、仏教の世界で修行を積んだ僧侶。

 もしも、とある夢の中で「悟りを開いてみよ」と侍に迫る和尚(しかも『口惜しければ悟った証拠を持って来い』と口にするくらい挑発的な)がいるとするならば、それは漱石にとって、まさに宗教という存在の象徴であっただろうと感じる。加えて、彼の内実が反映された登場人物にもその意識は表れている。

 例えば前期三部作の《三四郎》《それから》に続く《門》では、宗助という人物が己の心理的な罪業に苛まれ、親友であった安井の影を恐れ、救済を求めて禅寺の門を叩いた。

 

 そこでの禅修業の描写を支えているのは、著者である夏目漱石自身が明治27~28年に跨る期間に体験した、鎌倉円覚寺での参禅。彼もまた寺へ、和尚のいる場所で学び、何かを悟ることができればと目的をもって足を運んでいたのだった。

 しかし赴いた先では真に悟りを開くこと叶わず、さらに胸のわだかまりと苦悩は、次の作品へと引き継がれていく。宗教は《門》の宗助の心も、また漱石の心をも完全に救うことはなかった。

 後期三部作のひとつ《行人》においては、今度は一郎という人物が「ああ己はどうしても信じられない。どうしても信じられない。ただ考えて、考えて、考えるだけだ。二郎、どうか己を信じられる様にして呉れ」と切実に零している。

 

「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」兄さんは果してこう云い出しました。その時兄さんの顔は、寧ろ絶望の谷に赴く人の様に見えました。

 

(夏目漱石「行人」(1952) 夏目漱石 p.427)

 

 宗教は悟りを開くための道のひとつであるが、それを芯から信じることができない者にとっては、非常に難儀な存在となる。宗助のように、一度は救いを求めて寺に向かうも、最終的に「門を通る人ではなく、しかし通らずに済む人でもはなく、門の下に立ち竦んで日暮れを待つ人」となってしまう者もいるだろう。

 禅寺に修業をしに行った漱石もそう感じていたのではないだろうか。

 そんなお寺には、まさしく和尚さんがいる。和尚さんがいる場所はだいたいお寺だ。《夢十夜》の「第二夜」に現れた和尚の姿を見るに、悟れるものなら悟ってみよ、といささか高圧的に迫られている状況というのは、宗教に対して彼が抱いている心情を部分的に反映している箇所だと思われる。

 

 

 

 

  • 「文明・学問」の時計

 

隣の広間の床に据えてある置時計が次の刻を打つまでには、きっと悟って見せる。

 

(夏目漱石「文鳥・夢十夜」より『第二夜』新潮文庫 p.34)

 

 この《夢十夜》における「第二夜」の終盤。そこで侍(さむらい)は、全伽(座禅)を組んだ際に彼が頭の中で言及した『無』というものを、確かに掴みかけていた。すべてがそこに有って無いような、無くって有るような、そういう境地に達しようとしていた――ある邪魔さえ入らなければ。

 彼の悟りは阻まれる。何によって阻まれるのかといえば、まさしく時計だった。広い寺の一室、隣座敷にある置時計の存在。それが発した「チーンという音」こそが彼を悟りから遠ざけたのだ。本当に示唆的だと思う。

 この作品が初めて発表された明治41年という時代、また漱石とこの作品にとって、時計とは一体何だったのか。

 私は《虞美人草》から《明暗》に至るまでの夏目漱石作品を順に読んでみて、改めて《夢十夜》に戻って来たときに、時計という道具のイメージには「文明」と「学問」の二要素がちらつくと感じた。どうしてなのか整理する。

 

 日本において「時計」が限られた範囲の人間にとどまらず、一般庶民に広がるきっかけとなったのが、明治5(1872)年の改暦だった。

 それまで国内で生産されていた和時計は権力者や富裕層が所持していたのがほとんどで、今の私達が触れている壁時計や腕時計のようには身近ではなかったのが、改暦をきっかけに変わり始めた。西洋時計の実用化が促進された背景はそこにある。使われるのは不定時法の太陽暦から、定時法の太陰暦へ……明治19(1886)年には本初子午線の勅令も。

 市井に暮らす普通の人間が徐々に目にするようになっていった時計とは、いうなれば近代的な時間秩序そのもので、またそれが支配する「文明社会」の象徴ともなった。《夢十夜》が発表されたのは、読者の多くがすでに時計を身近なところで知るようになった時代。だからこそ、こうして作品の中で効果的に使われている。

 そもそも明治の時代と、前時代の遺物と化した「侍」という身分との対比も無視できない。

 

 あともうひとつは、学問の世界について。

 

友達は秀才だと云う。教授は有望だと云う。下宿では小野さん小野さんと云う。小野さんは考えずに進んで行く。進んで行ったら陛下から銀時計を賜わった。浮かび出した藻は水面で白い花をもつ。根のないことには気が付かぬ。

 

(夏目漱石「虞美人草」(2020) 新潮文庫 p.68)

 

 漱石の作品《虞美人草》の中で小野が賜った銀時計。

 これはかつての旧帝国大学における風習で、優等生に下賜されていたものを指す。つまり時計とは成績優秀者に与えられる品でもあった。学問の領域で認められれば手にすることができるものとして、時計は一般に認識されていた。

 これらを合わせて考えたとき、いわゆる近代の文明や学問が人間に何をもたらし、どの程度幸福にできるのかについて頭を悩ませ続けた漱石が描いた、奥深い「夢」の世界と実際の世界はうっすら重なって見える。

 優秀な成績をおさめた人間が手にできる時計は、悟りの助けにはならなかった。

 

  • ふたつの狭間で

 

 彼は文明に対して(時にはそれがもたらす光景に、純粋に感嘆しながらも)批評のまなざしを注ぎ続けていたし、学問の道というのが必ずしも人にとっての善や幸福に繋がっているとは、研究に熱を注いだ自分の実感として思わなかった。

 だからといって宗教の方を信じることもできなかった。

 真理を掴みたいと渇望し、ふたつの要素に心の安寧を引き裂かれている。

 

 別の作品《彼岸過迄》では、須永市蔵がこう言っていた。

 

この不幸を転じて幸とするには(中略)天下にたった一つで好いから、自分の心を奪い取るような偉いものか、美くしいものか、優しいものか、を見出さなければならない。

 

(夏目漱石「彼岸過迄」(2010) 新潮文庫 p.328)

 

 ある人間が天下にたった一つ、そんなものを見出せたとしたら。まさにそこは悟りのような一種の境地に他ならない。漱石が晩年に至るまでに、いわゆる「則天去私」を志すようになっていた事実も考えさせられる。我欲を捨て、天に身を任せる。足掻くのではなくてなるようにさせる……。

 さて、《夢十夜》の「第二夜」では、宗教の象徴である和尚が侍の前に立ちはだかり、さらには近代文明の象徴たる時計が、『無』へ至ろうとする彼の意識を容赦なく妨げる。

 無情にも文明社会の側からチーンという音が鳴り響き、森閑とした寺に座していた侍は刀を手にかけ、意識を呼び戻されてしまってもう悟れない。

 あのまま全ての雑念から解き放たれて「すべてがそこに有って無い様な、無くって有る様な」意識のまま「好加減に坐って」いた状態を続けられたならば、まさにそこが無だったのに。無の極致であったのに。

 

――趙州曰く無と。

無とは何だ。糞坊主めと歯噛をした。

 

(夏目漱石「文鳥・夢十夜」より『第二夜』新潮文庫 p.35)

 

 作中の侍だけではないのだ。悟りたくとも悟れない、どう頑張っても「そこ」まで辿り着くことができない……と漱石自身が抱えていた苦悩の方も、夢という形に変わって作品の表面に滲み出ている。自我、我欲、自意識をすっかり払拭できるくらいの心境に至りたくて、でも至れないもどかしさ。

 それをこれほど妖しく、幻想的な情景の方も楽しめるように書き上げてしまえるとは恐れ入る。

 本当に読んでいるだけで面白い作品で、大好き。