「おまえは遣わされたんだ、坊や、わたしたちのことを書き記し、わたしたちをリストに載せるために。太陽を嫌って月を愛することを記録するために。でも、ある意味で、屋敷が呼んだんだ。だからおまえの小さなこぶしは、書きたくて書きたくてたまらないんだよ」
(河出書房新社「塵よりよみがえり」(2002) レイ・ブラッドベリ 中村融訳 p.39)
先日手に取った、同著者「何かが道をやってくる」でも描かれていた〈秋の民〉。邪悪な存在と推測され、魔力を持ち、死なず永遠に存在し続ける闇の住民たち。ジムとウィルにとっては、彼ら家族と町をおびやかした、恐ろしいものだった。
どうやら「塵よりよみがえり」の方では、この秋の民の一族から見た情景や、さらにその屋敷に置き去りにされた『普通の人間』……魔族に育てられたティモシーの物語が描かれていると分かる。
不思議な能力を持った彼らと同じようになりたい、と無邪気に願い、けれどその本質を深く知っていくことによって、やはり人間として生き、死にたいと願うティモシー。
でも一族の滅びを前にして、彼の心には皆に愛された事実が残っていた。
〈秋の民〉一族は通俗的な善と対照的なようだけれど、不思議なことに、一部の幽霊のような存在は『不信心者の数が増えるほど存在を保てなくなる』みたいだ。反対だと思っていた。
光を信じる者がいなければ影も存在できず、光など虚無だと打ち捨ててしまう世界にはもはや闇の入り込む余地もない。そういう点で、虚無主義に抗おうとする作者の意思も伺える。
その鍵となるのはやはり『記憶』や『記録』なのだった。
ティモシーは歴史家。そうやって、命あるかぎり皆の存在を語り継ぐ。
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引用部分を除いて約500文字
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