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彷徨する自由帖

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マキリップの《イルスの竪琴》3部作で描かれる、時に過酷な旅と美しい情景

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「そなたが、私がこれほどまでに愛した者でなければよかったのに……」


(創元推理文庫『風の竪琴弾き』(2011) P・A・マキリップ 脇明子訳 p.363)

 

『イルスの竪琴』3部作

・星を帯びし者
・海と炎の娘
・風の竪琴弾き

パトリシア・A・マキリップ著
脇明子訳(創元推理文庫版)

 

 

目次:

 

《イルスの竪琴》3部作の感想

 

 人間が抱きうる欲望のうち、知を求める気持ちは私がとりわけ愛おしいと感じるもので、けれど同時に「知りたい」というのはとても危険な願いの発露でもあると分かっている。ある問いにうっかり手を伸ばした瞬間、その勇気ある頼りない腕は恐ろしいほどの力で何かに引っ張られてしまい、身体ごと容易にはこちらの世界に戻ってこられなくなる。

 おそらくはモルゴンがそうだったように、彼を見ていた私もそうなってしまった。

 しかも、目の前で何が起こっているのかは描写されているとしても、ではなぜ、このとき、彼がそれほど過酷な目に遭わなければならないのかという「問い」からは物語の終盤まで逃れられず、寸分たりとも安心させてはくれない。あまりにも容赦がない。

 第2部まで読んだら休憩して少し感想を書いて……とはじめは考えていたのに、食事も睡眠も投げ打って読了。

 他のどんなものも目に入らず、耳に届かず、ひとつの世界とその変容だけを目に写して浅く静かに呼吸をしていた。良い意味で『いったい私は何を目撃したのだろう』と途方に暮れたり、ひとつの台詞を思い出して涙したり。こんなに体力を削られる読書体験は本当に貴重。

 たった3巻の小説を読み終わるまでに何千年も何百年も経ったような気がしていた。

 

  • あらすじ

 

 小さな島であるヘドの領主・モルゴンは好奇心旺盛な若者で、例外的に〈大学〉と呼ばれる施設への入学を許され、交易都市ケイスナルドで数年間「謎解き」を学んだ。彼はあるとき、かつて大国アンに征服されたアウムの塔に今も幽閉されている500歳の幽霊、ペヴンが挑戦者に仕掛ける「謎解き」の勝負に見事勝利する。

 それによりアン国の王の娘、レーデルルと結婚する権利を得たモルゴンは、大陸の秩序を司るとされている〈偉大なる者〉の従者、竪琴弾きのデスと共に船で海を渡っていた。しかし航海中に異常が起きて、彼は何者かに自分の命が狙われていることを知る……。

 その真相を求めて〈偉大なる者〉の御座所、エーレンスター山へ赴くための長い旅が始まった。しかし、最後に待ち受けていたのは?

 

 一方レーデルルはといえば、かつて親交を深め、いまや許嫁となったモルゴンから旅の途中に送られてくる手紙を読みながら、古の魔女マディルから受け継いだ力や、自らに流れる邪悪な変身術者の血に対する苦悩を抱えていた。

 だがあるとき、モルゴンがエーレンスター山で行方をくらました報せを耳にし、さらに1年間も行方不明になっている現状に業を煮やして、彼女は真相を探る旅に出る。各地の領国支配者たちと出会い、また徐々に発現する魔法の能力に戸惑いつつも、レーデルルは彼の足跡を追う。

 次々とモルゴンに降りかかる試練が、一体何のためのものなのか。

 誰が、なぜ彼の命を狙っているのか。

 

 ……日本語版シリーズ名「イルスの竪琴」は、元の"the Riddle-Master trilogy"に代わってつけられたタイトルだけれど。

 最終巻まで読むと、その文字列を目にするだけでちょっと涙が出てきてしまうから、もうずるい。

 

  • 美しい情景と時に過酷な旅

 

「イルスの竪琴」でモルゴンやレーデルル達が経験する旅は、行楽の気軽さや安心とはとても縁遠いものである。寒ければ凍え、手はかじかみ、食糧がなければ著しい空腹に苛まれる。

 でも、生のまま触れる自然の厳しさも、読者の胸に刻まれる情景も美しい。

 

秋の雨がまた降りはじめ、いつまでも単調に降り続いた。二人はフードのついたゆったりしたマントの中で身をかがめ、なめし皮にしっかりと包んだ竪琴をその中にくるみこんで、二つの国のあいだの荒野に黙って馬を走らせ続けた。夜には岩のあいだの浅い洞穴やびっしりと繁った木立ちの下など、乾いたところが見つかればそこで眠った。焚火は風と雨にさらされて、しぶしぶとしか燃えてくれなかった。

 

(創元推理文庫『星を帯びし者』(2008) P・A・マキリップ 脇明子訳 p.146)

 

 とはいえ小説への没入のしすぎは体調に影響する。

 私は相当熱中して読んでいたからなのか、作中の登場人物と同じくらい身体を動かし、精神を張り詰めさせていたような錯覚をおぼえて、そのうち頭痛が止まらなくなった。優れた文章のおかげでそのくらい同化できるのだと思うとありがたいような、怖いような。

 使命を背負って道なき道をゆく旅は、命の危険も伴う。だからこそこうして、本に記された旅の物語をとりわけ好んで読むのかもしれない。

 

身体の節々が痛み、筋肉はひと動作するごとに抗議の声をあげた。しかし再び歩きはじめると、次第にそれも忘れていられるようになった。

(中略)

茨の藪があれば迂回し、岸が険しい崖になっていれば岩によじ上り、いよいよ通れなくなると、今度は裂けたスカートをからげ、水の中をじゃぶじゃぶと渡っていった。ひっかき傷だらけの手が川の水でちくちく痛み、熱い太陽が顔をかっと焼いた。

 

(創元推理文庫『海と炎の娘』(2011) P・A・マキリップ 脇明子訳 p.179-180)

 

 また、頑固と言えるほどの意思の強さはモルゴンにもレーデルルにも共通する性格。

 つらい道筋でも諦めず、困難に直面しながらどんどん山や平原や湿地を越えていく姿は、どちらも各巻で物語の進行役となってくれる。

 

  • 著者の持ち味、各種の描写

 

彼女は盾や腕輪や宝石で飾られた王冠や敷石などから光を剥ぎ取り、床の上にオエンを囲んで光の輪を燃え上がらせた。
(中略)
それから、海そのものが聞こえてきた。
海の音は、彼女が作った幻影に自らを織り込んでいった。

 

(創元推理文庫『海と炎の娘』(2011) P・A・マキリップ 脇明子訳 p.287)

 

 こうした魔法の描写も、また人物の状態や周囲の情景を語るだけでその心すら描いてしまうようなやり方も、自分の好みに合っていて至福の時間だった。

 そう、マキリップ作品は描写が良い。

 かなり独特ではあるし、冗長でまどろっこしいと感じる人もいるはずだが、私は彼女の筆致が大好きなので、むしろ何ページでも描写をし続けてほしいと思ってしまうくらい。唯一困るのは、じっくり描写を堪能したいのと物語の先に早く進みたいのとでは相反する気持ちになってしまうため、常にふたつのあいだで引き裂かれなければならないこと。贅沢な悩みかもしれない。

 印象的だったのが、作中世界北方のオスターランドを治める領国支配者、狼王ハールの妻アイアが夫を指して口にした言葉で、彼女は彼の性格の一端を「夜中に銀を土に埋めるひとのように、自分の悲しみを埋めようとする」と表現する。

 夜中に銀を土に埋めるひとのように……悲しみを……。

 この部分を目にしてしばらくページから顔を上げ、静かな真夜中の庭を想像する羽目になった。よくこういう比喩が出てくるものだと感心する。続きを読みたい、と一心不乱に駆ける足が止まって、脇にある城壁の石の亀裂から内側を覗く。

 

◇     ◇     ◇

 

 領国支配者たちも、魔法使いたちも、みな魅力的なキャラクターだった。

 先に述べた狼王ハールは、ヴェスト(という白いトナカイのような動物)に姿を変えることができる。鉱山を自分の心のように知るアイシグのダナンは若い頃、樹に変化してひと冬を過ごした。そしてヘルンのエルリアローダンは特別な「眼」を持っていて、物事の裏側を見通す……など。

 当然ながらこことは違う世界の物語なので、出てくる「人間」の方も、私達が知る人間とはちょっと違っていそうなのが興味深い。あくまでも作中の世界でそう呼ばれている存在、というか。

 

 あと、かつて都市ランゴルドに集っていた魔法使いたちの詳細に関しては真相に関わってくるため、本編を読んで実際に味わっていただきたい。

 魅力的な人物造形や関係の数々がそこにある。