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誇り高き魔術師と人を信じられなくなった王様《The Forgotten Beasts of Eld(妖女サイベルの呼び声)》P・A・マキリップの小説

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 来年で原著の出版から50年を迎える作品、パトリシア・A・マキリップの《The Forgotten Beasts of Eld》を読んだ。

 第一回世界幻想文学大賞の、大賞受賞作。

 

 タイトルは安直に訳すると、「エルドの忘れられた獣たち」……に、なるだろうか。その通りに、作中にはとてもとても魅力的な、不思議な魔力と伝説を背景に持った賢い幻獣たちが登場するのだった。

 この記事で言及、引用するのは英語版だけれど、原著初版から5年後の1979年にはハヤカワ文庫FTからも日本語訳(佐藤高子訳『妖女サイベルの呼び声』)が発刊されていて、それが同文庫で扱われた記念すべき最初の翻訳作品でもあったらしい。

 2023年7月時点で紙の本はもう絶版になっており、電子版も存在しないが……。

 残念だけれど、原著の方なら電子版があり、オンラインで購入・ダウンロードすることができる。描写や表現が細やかで美しくも、どちらかといえば英語初心者にも理解しやすい言葉で書かれている物語だと思うので、何らかの英文に気軽に触れたい人にもおすすめ。

 

 

 

※原文のみの読解で日本語版は手元にありませんので、ここに載せている台詞の訳などは、私が個人的に行ったものです。

 

《The Forgotten Beasts of Eld》Patricia A. McKillip

  • あらすじ

 

 白い髪に黒い瞳のサイベルは、強い力を持った魔術師。

 彼女は同じく魔術師であった曾祖父ヒールド、祖父ミク、そして父オガムから、血と知識や蔵書、また不思議な幻獣たちを受け継いでいた。母はサイベルを生んですぐ亡くなっており、さらに16歳になってから父が逝去した後も、サイベルはひとりで白亜の石の屋敷に住んでいる。エルドウォルド王国——その王都モンドールからは離れた場所にある、〈エルド山〉の奥深くで。

 彼女は隠者のごとく、外界の出来事からは一線を引いた位置におり、水晶のドームの部屋で夜ごと精神を研ぎ澄まして遠方へと〈呼び声(call)〉を送っていた。

 伝説の白い鳥、ライラレンを手に入れるために。

 

She spoke its name softly to herself: Liralen; and, seated on the floor beneath the dome, with the book still open in her lap, she sent a first call forth into the vast Eldwold night for the bird whose name no one had spoken for centuries.

 

(McKillip, Patricia A.《The Forgotten Beasts of Eld (FANTASY MASTERWORKS)》p.4 Orion. Kindle版)

 

 作中におけるこの〈呼び声〉とは、術者の思念、心(マインド)から発される、命令……のようなもの。サイベルは幻獣たちの名前を「把握し」「呼び」「掌握する」ことで、強固な意思により、彼らの存在を縛り従属させている。そういう魔法を使えるのだった。

 いにしえの幻獣たちはそれぞれが強力な魔力や、叡智や、固有の伝承を持っている。

 けれど時が流れ、人間はその存在をすっかり忘れ、歴史書も風化していつしか誰にも語られなくなった。そんな彼らの「名」が再び呼ばれたことで、召喚されたけものたちは魔術師に従っている。

 ある日ライラレンを呼ぼうと試みていた最中、サイベルの邪魔をするものがあった。

 館の門を叩いたのは、エルドウォルド王国内のサール領から来た、コーレンという騎士の若者。彼は腕に抱えた赤子(名前はタムローン)がサイベルの遠縁なのだと告げ、彼を育ててくれないだろうか、と交渉する。

 タムローンを生んだのはサイベルの叔母、この国の王妃リアンナ。だが、リアンナの夫、王でもあるドリードの子供ではなくて、サール領のノレルとの間にできた赤子だという噂があるとかなんとか。

 どうやら色々と因縁があり、エルド山の下では権力を巡る戦争が勃発しているらしい。ノレルはそれで殺されていた。彼はコーレンの兄だという。

 

Rianna died of the child’s birth. If Drede finds the child, he will kill it out of revenge. There is no safe place for it in Sirle. There is no safe place for it anywhere but here, where Drede will not think to come.

 

(McKillip, Patricia A.《The Forgotten Beasts of Eld (FANTASY MASTERWORKS)》p.7 Orion. Kindle版)

 

 しかし、幻獣たちと静かに暮らしながら魔術の研鑽を続けるサイベルにとっては、遠い血縁者の赤ん坊など預かる義理はない。下界の権力や勢力図などもどうでもいい。しかもこのコーレンはといえば、「女性であるあなたなら子供の育て方は心得ているはずだ」などという、よく分からない言い分を押し付けてくる。

 当初、彼にあまり良い印象を抱けなかったのも当然だろう。

 毅然とあしらおうとした彼女だが、どういうわけかコーレンは人間にほとんど忘れられた幻獣たちそれぞれの名と物語を、ひとつと言わずいくつも知っているようだった。何かが琴線に触れるのを感じ、サイベルは最終的にタムローンを、その、柔らかく丸い頬をした生き物を、そっと腕に抱く。

 

 彼女はこれをきっかけに、冬の山に満ちる空気のような静謐な場所だけではなく、もっと異なるものも世界には存在していると知るのだった。

 そして、育てた赤子を深く愛した道の先で、幾度も胸の引き裂かれるような選択をすることになる。

 

‘My child, what is it?’ Maelga whispered.

‘What lies so frozen in your eyes that you cannot even weep?’ Her hand stroked the pale, gleaming hair again and again, until Sybel whispered, her voice dry and soft and distant, ‘Tam is leaving me. Do you have a spell for that?’

‘Oh, White One, in all the world there is no spell for that.’

 

(McKillip, Patricia A.《The Forgotten Beasts of Eld (FANTASY MASTERWORKS)》p.47 Orion. Kindle版)

「タムが、ここを出て行くって。何かいい呪文はない?」

「おお、白い娘よ。世界中どこを探しても、それを引き留める呪文はないのだよ」

 

 

 

 

 

※以下で物語の内容に言及しています。

 

  • 感想

魔術師サイベルとドリード王

 

 中盤の第6章で、王都モンドールの北にある塔におびき寄せられたサイベル。ドリードが強力な魔術師ミスランを雇って、彼女を意のままに動かせる傀儡にしようと試みたのだった。

 ここから展開する一連の流れというか、6章そのものが物語の中核をなしていると私には思えて、それ以降の彼女の葛藤やコーレンの存在がちょっと霞んでしまう印象はある。サイベルへの真摯な愛情を告白するコーレンの言葉(もちろん、彼にも多くの美点が存在するのだけれど!)よりも、サイベルとドリードの関係こそが心に深く深く刺さって、抜けなかった。

 鏡写しの像……というと少し違い、この2人の関係はまさに1枚のタペストリーの表と裏だと感じる。同じ性質を持つ糸をより合わせ、織り上げるのだとしても、そこにあらわれる図柄には必ず「面」がある。同じ布でもひっくり返せば風合いの違う姿に変化する、彼らはお話の中でそういう関係なのだと読み取れた。

 

She looked away from him, startled, and felt her face slowly warm with blood. He leaned forward, and she felt in his nearness a disturbing, unfamiliar power. His fingers touched her face lightly, turned it back to him.

 

(McKillip, Patricia A.《The Forgotten Beasts of Eld (FANTASY MASTERWORKS)》p.51 Orion. Kindle版)

 

 彼らが2度目に会った場面を思い出す。

 タムローンという息子を巡る会話の中で、さりげなくサイベルの手を取っていたドリードのことも。この温かな触れ合いが好きだった。

 暖炉のそばで「タムローンは愛らしい男の子で、強いものが好きで。だから、貴方にも惹きつけられたのでしょうね。隼のターに少し似ている」と語った彼女が、あとで王の方から何を思っているのか尋ねられ、使役している獣たち(獅子や、隼や、竜……)のことを考えている、と告げたとき。そこでドリードが「なら貴女もまた、強いものに惹かれるのだな」と言って微笑んだ瞬間、まず名状し難い何かが生まれていた。

 私は、この2人の共通点は「愛する資質(capability to  love)」にこそありそうだと感じている。

 ミスランがサイベルに告げた台詞も脳裏に浮かぶ。

 

‘You are capable of love. It is a dangerous quality.’

 

(McKillip, Patricia A.《The Forgotten Beasts of Eld (FANTASY MASTERWORKS)》p.87 Orion. Kindle版)

 

 実のところこれはドリードにも当てはまる要素だった。

 何かを愛する資質を持つ、というのは即ち傷つく資質を持つということでもあり、その点がサイベルとドリードに共通しているのに結構ぐっとくる。王様が作中でああなったのは、愛を抱ける心を持っていたからこそ。

 傷つくことができる可塑性の心を持ったドリードは、かつての王妃リアンナへ想いを捧げた過去のように、相手に自分の感情が受け入れられなければ「悲しい」と思う。そして、彼女が自分ではなくサール領のノレルを愛していると悟れば「苦しい」とも思う。
 この人は、そういう気持ちが分かる側の人、なのだ。どんなものにも感動できない類の冷たい心とは違う。欠片も慈悲など持たないと言い切れるミスランとも違う。

 けれど、それこそが彼を再起不能なまでに傷つけた。

 

His eyes closed, tightening. ‘I cannot – I trusted Rianna, and she betrayed me, smiling. She smiled at me, and kissed my palm, and betrayed me for a blue-eyed Sirle lordling. And you – you would marry me, and turn to Coren—’ ‘No!’

 

(McKillip, Patricia A.《The Forgotten Beasts of Eld (FANTASY MASTERWORKS)》p.91 Orion. Kindle版)

 

 ドリードがどこにいて何をしていても、過去の痛みは蘇ってくる。

 愛したものに裏切られるのは無論つらいことだ。だから王様はリアンナの不義を忘れられず、その恐怖と憎しみがどこへ行っても彼につきまとう。「もうこれ以上傷つきたくない」ので「自分が少しでも傷つく可能性を全て排除」しようとし、結果に魔術師ミスランを雇うという大失態を演じている。

 それでも塔で相対したサイベルは今、己を信じてみて、と叫んだのに、突き詰めると彼女でなく過去とリアンナという存在しか見ていない王。ゆえに、彼女は激昂した。

 サイベルがドリードへの復讐を容易に諦めなかった要因として、その稀有な誇り高さは確かに挙げられると思う。でも、プライドだけじゃない……。私は塔で彼女が ‘I was drawn to him a little . . .’ と実際に明言したところがすごく重要だと判断しており、その頑なさは、タムの父親であり確かに一度は惹かれた存在として、ドリードの信頼を得たかったサイベルのやるせなさが反映されているのだと感じる。

 

‘You – cannot ever be certain of those you love – that they will not hurt you, even loving you. But to make me certain to love you, will be to take away any love I might give you freely. That white bird’s name is Sybel. If you kill it, I will die and a ghost will look out of my eyes. Trust me. Let me live, and trust me.’

 

(McKillip, Patricia A.《The Forgotten Beasts of Eld (FANTASY MASTERWORKS)》p.91 Orion. Kindle版)

 

 タムローンが父へと向けた気持ちも切実だった。

 自分の存在を誇りに思ってほしい、不安があるなら打ち明けてほしい、と手を伸ばして届かなかった彼を思うと哀しみは募る。おこがましいが、どの登場人物の想いも少しずつ理解できるような錯覚に陥りもする。似て非なる「人間」として。

 

呪文としての「呼び声」と魔法

 

 一言で「魔法」といっても、簡単に分類することは不可能なくらい多くの種類がある。

 けれどここでは「何らかの方法で『世界』に働きかけるもの」……と整理してみれば、呼ぶ側の存在と答える側の存在、ふたつが確かに根本に横たわっている、と感じる。

 例えば、雨を降らせたい魔術師が呪文を発したり、術を発動したりする。世界の方が喜んでも、嫌々であっても、「応答」さえすれば雨は降る。それに値しないと判断されるか、術者の意思が届かなければ降らない。

 つまり雨を降らすのは世界であり、魔術師ではない、ということ。

 魔法を使う側が術を仕掛けた結果、実際に何かが起こったとするなら、それは魔術師の要請(call)に対して世界が応答(answer)したことの証左になる。ゆえに魔法は「私の声に応えるものはあるか」と、世界に対して問う試みなのだろう。

 命じるようにも、懇願するようにも。

 たとえ発されたその「声」が、山を動かしたり、川をせき止めたりすることが不可能であったとしても。誰かひとりでもそれに耳を傾け、響きに心を砕く存在がいたとするならば、魔法は働いたということになるはず。呼ぶ者がいて、答えを返すものがいる、図式の中に。

 サイベルの声に応えて、コーレンは来た。

 

…………

 

《The Forgotten Beasts of Eld(妖女サイベルの呼び声)》をタペストリーだと想定したとき、その表面にサイベルとライラレンが、そして裏面にはドリードとロマルブ(ブラモア)の図柄が織られているのだという気がした。

 ドリードがサイベルを通してリアンナを見ていたように、コーレンも一時、サイベルを通してノレルの存在を見ていたことを考える。もどかしかったし、難しい。まっさらな状態で恐れずに人を愛するというのはなかなかできないものなのだ。

 この織物の内外を縦横無尽に、自由に行き来するようになった存在が、最後に解き放たれた賢く美しい幻獣たちなのかもしれない。

 好きな物語だった。

 

 次は同作者の《Od Magic(オドの魔法学校)》原文へ進む予定。