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彷徨する自由帖

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夏目漱石と「莞爾vs苦笑」のフォトグラフ:随筆《硝子戸の中》の【二】より

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 漱石は大正4年に「ニコニコ倶楽部」という雑誌社からの取材を受けていた。

 とはいっても写真を1枚提供しただけのことだが、それが疑惑の1枚となった。

 

 この「ニコニコ倶楽部」は「ニコニコ主義」なるものを提唱していたらしく、発行していた月刊雑誌の名前も、案の定『ニコニコ』という。カタカナ4文字だけを延々と眺めているとだんだん頭がおかしくなってくる。

 漱石は実際、過去にその雑誌『ニコニコ』を手に取ったことはあったが、わざとらしい笑顔の不快な印象が胸に刻まれていた……とまず「硝子戸の中」収録の(二)で語っていた。

 わりと辛辣である。

 

 あるとき彼は雑誌社の担当から電話を受け、大正4年1月号にぜひ、卯年生まれの人間の写真を掲載したいのだという旨を告げられる。確かに漱石は卯年生まれであった。

 ここできっぱり依頼を断ればいいのに、と読者の私などは思ってしまうが、「写真は困ります」とはじめは言っていたのにもかかわらず、最終的にまあ受けてやってもいいだろう、と考えるところなどは実に彼らしいなと感じる。

 事前の話では「笑わなくても構いません」との申し出であったが、取材当日、撮影に入ると、やはり「少しどうか笑って頂けますまいか」と頼まれた。

 

私はその時突然微かな滑稽を感じた。しかし同時に馬鹿な事をいう男だという気もした。私は「これで好いでしょう」と云ったなり先方の注文には取り合わなかった。彼が私を庭の木立の前に立たして、レンズを私の方へ向けた時もまた前と同じような鄭寧な調子で、「御約束ではございますが、少しどうか……」と同じ言葉を繰り返した。

 

――夏目漱石「硝子戸の中」より

 

 さて。

 これを拒否して笑わずにいた漱石だが、後日先方から送られてきた写真を見てみると、どうも笑っているような感じがするではないか。

 いわゆる「写真補筆」というのだろうか、現代でいう「フォトショ(photoshop)」的な加筆修正を手動で行うことは明治・大正期から普通に行われていた(見合い写真でも、一部の新聞記事でも)が、どうにもその手の加工がなされているように思えてならなかった。

 周囲の人間に見せてみても、やはりこの顔は修正されているような気がする、と皆が言う。漱石はそれを「気味のよくない苦笑」だと感じた。

 漱石の修正笑顔写真が掲載されていたのは大正4年1月号。私も実際に調べて参照してみると、机に肘をついた姿の彼は、確かに読者から見て右の口角をニッと上げ、わずかに目も細められているような……。えくぼ(に見える部分)も、薄墨で影をつけて、そう見えるように加工したものだろうか。

 

 このいきさつを朝日新聞上の「硝子戸の中」連載開始直後に載せるということは、よほど腹に据えかねていたのか、単純に最近起こった出来事として新鮮な題材だったからか、あるいは両方なのか定かでない。

 最後に彼が記した言葉も実に漱石らしく味わい深いもので、後世の私などは読んでいると思わずニヤニヤ、いや……ニコニコ、としてしまうのであった。

 

私は生れてから今日までに、人の前で笑いたくもないのに笑って見せた経験が何度となくある。その偽りが今この写真師のために復讐を受けたのかも知れない。

 

――夏目漱石「硝子戸の中」より

 

参考書籍: