アゴタ・クリストフ、ハンガリー語の姓名表記に従うならクリシュトーフ・アーゴタの「悪童日記 (Le grand cahier)」は、3部作を構成するうちの初めの作品。
なので続きがあるといえばあるし、気にもなるけれど、正直先の物語に触れるよりもここで終わりにしたいと願ってしまう。完成されている……。
この、ある世界の枠組みの中に自分がいるのではなくて、あくまでも自我と対立するような形で外界が存在している感覚を改めて呼び起こす点は、例えばシャーリイ・ジャクスン「ずっとお城で暮らしてる」などもそうであるように一人称の小説が辿る運命・特徴なのかもしれない。
ことごとく、また、すべからくそうなる。
でも「悪童日記」の語り手は、「ぼく」ではなくて「ぼくら」なのだ。2人、いる。
これが双子の世界を怖いくらい強固にしているし、読者の私は後ずさりしつつ、惹かれる。
そのうち関連して、人間が他人とかかわりを持つ理由など「こういう遊び」をしたいからに尽きるではないか、とすら思えてくる。
一体どんな「遊び」かというと、互いにだけ通じる言語を発明して、生活の中でそれを使い、周囲の者には感知できないもうひとつの世界を構築する……そういう遊び。
時代や地域を特定させる固有名詞が意図して省かれているにもかかわらず、読んでいれば、舞台が第二次世界大戦中のヨーロッパのどこかであることはすぐ明らかになるだろう。
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約500文字
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