旅行とお散歩
これまで1度も歩いたことのなかった土地の数々へ、2022年も足を運んだ。「足を運んだ」というよりか「足を使って自分の身体をせっせと遠方へ運んだ」とも表現できる。各種公共交通機関や、乗用車の力を借りながら。まぁ別にどちらでも意味は変わらない。いつ…
外箱を裏返してこのお菓子の来歴を読んだ。どうやら、明治に開通した留萌(るもい)線がウロコダンゴの誕生する契機となったらしい。残念ながら赤字により、今後2023年から2026年にかけての段階的な廃線が決定している留萌本線だが、その始まりは明治43(1910…
2022年12月中旬、15日からだいたい1週間程度の期間。この時期には珍しい、異例の寒波と大雪に見舞われていたのが北海道南部の函館だった。現地は通常なら師走半ばの降雪量が少ないとされる地域で、それにもかかわらず、平年の3倍を超えるほどの積雪が観測さ…
津軽五所川原から津軽中里までは、乗用車以外の移動手段として、津軽鉄道線が走っている。その芦野公園の駅舎に、昭和5(1930)年開業当時から残る貴重な建物が今でも使われているのだった。2014(平成26)年12月には国の有形文化財にも登録されるに至る。昭和19…
浅虫温泉で泊まっていた旅館が、辰巳館。夕闇に輪郭を溶かす姿は、まるで海の生き物が住んでいるお城みたいだった。字の書かれた看板だけがあやしく魅力的に光って。また不思議と、払暁を迎えてから明るい場所で眺めてみても、同じようにそういう印象を抱く…
実際の酒蔵で、本醸造酒と吟醸酒、大吟醸酒の違いについてなど、きちんと解説を聞いたのは初めてだった。これらは製法の他、精米歩合……という「磨き」の割合で呼称が定められている。特に大吟醸酒ともなると、場合により、それが40%以下になることもあるのだ…
山形県の宝珠山立石寺、通称「山寺」。これは蜃気楼みたいに細部が曖昧な姿をとり、過去の体験の主役ではなく背景として、自分の記憶に残っている。面白いことに、現地で邂逅した山寺の存在自体も、当時の私にとっては蜃気楼によく似たものだったと言える。…
あとで回想をするために外に出る……というのは、要するにいちど触れたもの・見たこと・聞いたことを、その先いつになっても好きなときに脳裏へ呼び出せるようにする行為の基礎部分。記憶が薄れても、記録が消えない限りは細部を補足して、幻想のように喚起で…
入ってすぐに迎えられるのが囲炉裏のある場所で、受付の脇には昔の電話、奥の壁の方には振り子のついた時計も掛けられていた。ここは明治28年の大火のあと、同30年に再建された建物。床板も柱も、壁も、うすく茶色い飴を刷いたみたいに艶があった。光ってい…
寒冷な土地に行くほどそこに住む恒温動物の体が大きくなる傾向、ベルクマンの法則と、餌の豊富な熱帯地方でのびのび育った色鮮やかな虫たちのことなど、いまいち方向性の定まらない考え事をしながら眠ったら、あるときとんでもなく奇怪な夢を見てしまった。…
ブレーメンを目指した動物達のうち、ロバが覗き込んだ強盗の家を思い出す。外と内の差異を、他の時期よりもずっと強く意識する。冬はとても寒いので。自分がヨーロッパの隅で過ごした幾度かのクリスマスも脳裏に浮かんだ。だいたいは家族のいる場所に帰って…
先日に秋田新幹線の車内で食べたのは、大館の株式会社 花膳が提供している弁当『鶏めし』。お酒は由利本荘、齋彌酒造店が製造元の『雪の茅舎 奥伝山廃』だった。マストドン(Masodon)に掲載した文章です。
大きなお屋敷の脇や裏を通る細い道では、きちんと黒猫の気持ちになって歩くのが通行の際のルール。背筋を伸ばし、心持ち爪先の方に体重をかけて、できるだけ軽やかに……まがりなりにも黒猫なのだから、決してよろめいたりはしないものだ。たとえ途中で、小さ…
何年も前のストリートビュー写真では「TOBACCO」となっていた右手の看板が、2022年に行ってみると「切手・印紙」に変わっていた。些細なところで確かな時代の流れを感じさせる。そして、明朝体を少し弄ったような字体がレトロで可愛い。赤と朱の中間みたいな…
9月末に初めて訪れた秋田県。1泊2日の短い旅程で、田沢湖周辺散策と秋田市の近代建築見学を目的に、新幹線に乗った。そういえば秋田新幹線は今年で開通25周年を迎えるらしい。水面に落ちた紅葉の葉を連想させる、にじむような赤い色をした車体が印象的だった…
神居古潭駅は明治34(1901)年、北海道官設鉄道の簡易停車場(貫井停車場)として始まった。数年後に停車場へ、そして明治44(1911)年には一般駅に昇格して、貨物の取り扱いも開始される。やがて昭和44(1969)年9月に営業が終了するまで、無数の機関車がそのプラ…
外出先で雨が降っていると、他に目的があっても屋内に留まって何か飲んでいたくなる傾向にある。とりわけ、もう少し時間が経てば晴れそうな気配がするときは。ずっと土砂降りなら早く自宅かホテルに帰りたいし、反対に快晴なら、大抵は歩いて回りたい場所の…
この建物は旧旭川偕行社のもの。現在も偕行社という組織は存在するし、設立当時から地続きのものではあるが、第二次世界大戦以前と以後で性質は少々異なっている。「偕行」の語は、中国の古い詩篇「詩経」に登場する一節が由来とされているようだった。旧陸…
拠点にしていた旭川駅から妹背牛町まで来たのは、この「郷土館」に寄るためだった。茶色い板張りの壁、なめらかな緑色の屋根、そんな建物の入り口に掲げられているのは校章のような丸いもの。円と星に囲まれた「妹」の字は、妹背牛町をあらわす1文字なのだろ…
その著書を読んで、またそこに記された、周囲の人々から見た三浦綾子の印象を参考にして、頭に浮かべるのは魅力的な人物像だった。考え深く、しかし静的というよりはかなり激しいものを瞳や胸に抱いている、気の強い女性。はっきりとした物言いに、ややもす…
振り返ってみると、山形行はほんの2カ月ほど前の出来事なのに、すでに思い出せなくなった要素がいくつもある。例えば、このとき山寺の周辺を歩いていて、蝉の声を聞いたかどうか、とか……。蝉は鳴いていたような気がするし、鳴いていなかったような気もする。…
日帰りで、山形県の山寺、という場所に行ってきた。実は一緒に行こうと話していた友人がいたのだが、急遽、かなり面白い理由で当分先の予定まで隙間なく埋まってしまったとのことなので、いつも一人旅ばかりしている私は今回も変わらず、単独で目的地に足を…
この日は友人のご両親が経営されているレストランに集って、昔の級友とご飯を食べていた。東京都江東区、南砂2丁目商店会に店舗を構える、ベルテンポ (bel tempo)。地元の方々に愛されている、こぢんまりとした可愛いレストラン。団地や、その1階部分が商店…
大正4(1915)年に竣工、その2年後の同6(1917)年に内装も含めて落成した、旧島津家本邸。現在の清泉女子大学本館。年に数回のツアーによって内部を見学でき、この時も現役の学生の方が丁寧に案内して下さった。ジョサイア・コンドルの設計した建物は、彼がその…
ふたつの記事の続き。朝早く起床して、旅館の部屋から外に意識を向ければ、それはもう見事としか言いようのない美しい空模様。昨日のものとは大違いで、まさに「こういうやつ」が見たかったのだと頷いた。あの感じはあの感じでまた違った良さと風情ある雰囲…
群馬県中央のあたりに位置する、伊香保の地。3月の末頃に泊まっていた。実はそれが最初に話題に上ったきっかけも、では行ってみましょうか、と最終的に決定させられた要素が何だったのかも、今年の春はさほど遠い過去ではないのにはっきりと思い出せない。そ…
中山道六十九次の宿場のひとつ、馬籠宿は坂の上にあって、中心はきれいな石畳の道に貫かれている。けれどその色は黄ではなく、陽を受けると明るく輝く灰白色だった。石畳をどこまで辿ってもエメラルドの都には辿り着かない。でも、忍耐強く歩を進めて妻籠宿…
本陣とはそもそも宿場の中にあって、大名をはじめとした藩の重役を主に逗留させた施設で、宿場や村の有力者の家などが使われることが多かった。それより一段階、格式の下がる脇本陣とは異なり、よほどのことがない限りは一般の宿泊者に提供されることもなか…
長野県、南木曽の周辺を巡る一連の記事の続きです。福沢桃介記念館を出てから妻籠宿に立ち寄ったのは、島崎藤村の生誕地である馬籠宿をたずねる際、馬籠峠の手前でちょうど経由することになる場所だから。この周辺は日本国内でも最初に「重要伝統的建造物群…
立派に葉の茂った大樹が描かれた看板。その根の下にじっと目を凝らしてみると、モック、というカタカナの文字を構成しているパーツも、実は丸太なのだとすぐに気が付いた。まず、それだけでどきどきして楽しくなってしまう。頭の中で呟く。文字が、丸太でで…