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【前編】石段街より上方を歩く往路、閑散とした良さ - 伊香保温泉逍遥 1泊2日|群馬県・渋川市

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 壁の質感、屋根の形、何よりこの「大丸土地」の文字の入り方に、とっ……ても惹かれる。

 向きが横じゃなくて縦であるのもかなり良い。

 渋川駅を出発したバスから降りて、比較的すぐ目に入った建物に対し、真っ先に抱いた感想がそれだった。

 

 

 群馬県中央のあたりに位置する、伊香保の地。3月の末頃に泊まっていた。

 実はそれが最初に話題に上ったきっかけも、では行ってみましょうか、と最終的に決定させられた要素が何だったのかも、今年の春はさほど遠い過去ではないのにはっきりと思い出せない。そういうことってあるのだろうか。まあ、あるのかもしれない。実際にそうなので。全くどうでもいいわけではないけれど、きっかけはきっかけであり、単純にそれだけのこと。

 ほら、そこの方、あんまり人を忘れっぽいとか揶揄するものではないのである。

 確か首都圏から1泊で、無理なく満喫して帰って来られる温泉地、を条件に友達と地名を挙げていったところ、どこかで伊香保の存在が私達の視界に飛び込んできたはず……だった。湧いている湯の泉質のほか、現地を散策する上であまり色々なものに目移りしなくてよい、適度にコンパクトな街の感じも魅力的に映った。

 ちなみに伊香保のある渋川市は、しげの秀一氏の漫画「頭文字D」の聖地らしい。

 

 

 首都圏からの交通アクセスの選択肢は多い。今回の往路で利用したのは、JRの在来線と路線バスを組み合わせる方法。

 まずは高崎線、上野東京ラインの区間を走るうち「快速アーバン」の愛称で呼ばれる電車に飛び乗って、早朝に起床した眠気を抱いたまま高崎駅へと向かった。降車したらJR上越線に乗り換えて、最寄りの渋川駅に到着後、わかりやすく伊香保温泉と表示のあるバスに乗るだけ。

 この簡単・安心の旅程。困難の多い旅もそれなりに楽しいけれど、煩わしい手間のかからない癒しの温泉旅だってもちろんすばらしい。面倒の大半は背後に置いてきた。

 しばらくバスに揺られれば、伊香保ロープウェイの不如帰駅近くがその終着点(他に違う種類のバスも有)。歩いて街の中心の方角へ向かうと、石段の中腹より少し高い場所、伊香保神社のすぐ下のところに出る。さあ、ここからはどんな風に動こう。窮屈だった昔の修学旅行とは違う。宿泊する旅館、横手館にチェックインするまで、どのあたりにいって何をしてもいい。

 

 

 そこでこう考えた。この日は今立っている場所から、伊香保温泉石段街を起点として、上半分を歩いてみる。それで明日チェックアウトを済ませたら、次に下半分を散策してみようか、と。

 石段の両脇に各種施設が立ち並び、それを中心にして路地の枝が伸びている街の構造を思えば、それがいちばん単純明快な行程かつ面白そうに思えてきて。まずは伊香保神社でご挨拶を兼ねてお参りをした。拝殿の後ろに回り、奥の方へ進む。

 1日目は到着直後から夕方までずっと曇天のまま、標高700メートルほどに位置する現地は3月末でもかなり肌寒く、歩いて体を温めるのがいっそう心地よく感じられた。そして次の日の朝、さらに想像を超える寒さに苛まれることになるのだけれど、まだ私達はそれを知らない。

 

前編の目次:

 

往路 上り坂

  • 散策前のぼんやり

 

 鳥居の前の階段を上りきり、背後を振り返ってみると、旅館の建物の隙間から遠くの山々が望めた。ちょうど正面にかなり特徴的な形をした、とんがり頭の3人が肩を並べているのがわかる。ものすごく無理矢理に捉えると「猫の耳」に見えなくもない……と、私は思うのだけれど、誰に聞いても同意してもらえないので、感覚としてどこかずれているらしかった。

 写真の山は左から十二ヶ岳、中ノ岳、小野子山。

 地図を見ると、その手前に広がっているのは吾妻川沿いの街や、ゴルフ場。あのあたりにも小野上温泉や吾妻温泉があり、伊香保の近辺はとにかく湯に恵まれた土地であるのだとわかる。ずっと奥ではあるが、伊香保から北西の方に進み続けると、かの高名な草津温泉も存在している。

 草津と言えば、ドイツからお雇い外国人として来日し、日本近代医学の父と呼ばれていたエルウィン・フォン・ベルツ博士が、ハンセン病の療養に効果があるとして特に熱い視線を向けていた土地。実は同じ群馬県内にある伊香保温泉は、草津よりも前に彼によって「鉱泉分析」を受け、それをきっかけに効能をひろく知られることとなっていたのだった。

 

 

 では伊香保温泉の湯の、特徴とは?

 第一に挙げられるのは茶褐色をした湯の色。これは地中ではまったく違う色をしているようだが、含まれる鉄分が空気に触れて酸化するため、私達の目に映る頃にはそのような姿になるみたい。また、かなり顕著な金属の香りと味も。後者に関しては飲泉所で実際に体感することになるので、また後の項で述べるとする。

 伊香保温泉旅館協同組合のウェブサイト「伊香保づくし」から効能を引用してみよう。

 

浴用の適応症

神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・冷え性・病後快復期・疲労回復切り傷・火傷・虚弱児童・慢性消火器病・動脈硬化症・慢性皮膚病・高血圧など

 

~伊香保のご紹介 伊香保づくし[伊香保温泉協同組合] より

 

 これ以外にも俗に「子宝の湯」として知られており、付近を歩いていると子宝饅頭を販売している店を見かけた。

 石段街中腹の風景がアイコンとして有名な伊香保温泉だが、これから私達がするように、川沿いの道を辿って上の方まで散策してみるのも面白いもの。温泉地に何を求めて来るのかは人それぞれで、個人的には何とも言えない寂寥感をそこかしこに見出すのも楽しみにしている。

 そう考えてみるとこの季節は良かったのかもしれない。時期を考えると春だが、標高が高く、気温の低いこのあたり一帯の木々はまだ冬用の衣を纏っているように見えた。風がつめたく、金曜日という平日でもあるからか賑わいは鳴りを潜めていて、それゆえ散策そのものに集中できる。不思議と何でも面白くなってしまう。

 そう、仮に栄えている場所だからといって、無条件に訪問が楽しくなるわけではない……。反対に、具体的な物事が溢れていなくても楽しい場所は、確かにある。

 

  • お店や旅館の並ぶ道

 

「湯の花饅頭 勝月堂」が存在しているのと同じ通りに、「邦来館」という旅館の看板がある。調べてみると結構前に閉館し、廃墟となっていたみたいで、そのわりにはまあまあ綺麗な状態で残っているなと思った。一見、営業中なのかと感じたくらいには。

 前述したとおりの平日、さらに看板だけが残ってすでに商いをしていない店舗の数もかなり多いのか、独特の雰囲気があってたまらない。とにかく静か。

 川に面した立地柄、建物と建物の隙間を覗くと高確率で細い石段があって、用もないのに吸い込まれてしまいそうになる。斜面が持つのは相当に危険な魅力で、それはぐっと近付かなければ下に何があるのか視認できない、という状態の性質と、けっして無関係ではないはず。

 首がいくつあっても足りないくらい周囲に注意を払って進んでいくと、本当に些細なレンガ風タイルの視覚的なリズムとか、置いてあるバケツとの位置的な関係とかをつい考えて足が止まってしまい、ほどほどにしないと永劫に坂の上まで辿り着けないと危惧する必要に迫られるのだった。

 

 

 また少し先には「元祖子宝饅頭製造元」の看板。

 上の項でも言及した、温泉の効能に関する俗説に由来する特産品。けれど現在は販売されていなさそうで、青色とクリーム色で構成されたしましまのオーニング庇や、店名の下のTEL (イカホ) 261という、電話番号の表示が味わい深かった。

 考えてみれば伊香保という地名は漢字表記と音の双方が面白い。由来には諸説あり、特にこれが有力な説、という風にも現時点ではきちんと絞り切れないよう。地名とは得てしてそういうものなのかもしれないが。しかし、本当に空気がつめたくて快適だった。夏の暑さに喘いでいる今、写真からこの時・この場所の空気を取り出して自分の部屋に充満させたり、ストローで吸い込んだりしたい。させてほしい。

 今度は「木村物産店」の建物に遭遇し、どういういきさつでこういう状態になったのかは分からないけれど、ぐっと湾曲した看板の板にときめきをおぼえた。木だから経年や湿気によって反り返ったのか、あるいは他に理由があるのか……。ところで「物産店」という名前には、どこか懐かしさを胸に喚起される。響きにも、字面にも。

 

 

 オ……オロナミン、C……?

 あのう、オロナミンCさんですか? と勇気を出して尋ねても、ニンゲンの声では返事の返ってこなさそうな看板が道端にぽつんと残っている。かろうじて笑顔のような表情が観測できるのも絶妙に恐ろしく、おお、くわばら、くわばらと唱えながら足早にその前を去った。うっかり捕まらなくて良かった。

 さっきよりも水の音が近くに聞こえ、やがて川と橋が見えてくる。気が付けば1本しかない道の、もうそれなりに上の方まで来たようだった。坂の傾斜はきつくなく、歩いていても全然疲れない。

 

  • 河鹿橋

 

 鮮やかな黄土色の川の土は、きっと湧き出る温泉の成分の影響も受けているのだろう。そして欄干が赤いのが、伊香保の河鹿橋(かじかばし)。

 他の地域でも同名の橋を見かけるけれど、これって一体どういった意味があるのだろうか。河に鹿。調べると「河鹿」というのがカジカガエルを意味しているとわかり、そういうことなら、水辺にかかる橋の名称として納得できる気がした。これまではずっと名前を見かけるたび、弧を描く橋を軽やかに渡っていく、動物の方のシカの姿しか浮かんでこなかったから。

 それはそれで幻想的な光景だと思えて好きではある。夜、橋の親柱のところで息を殺しながら立っていて、あるとき思わず身じろぎすると……足元の小石が高い音を立てて、橋を渡りかけていたきれいな鹿がくるっとこっちを振り向く。その目の色の深さに私はたじろぎ、自分は何をどうしたらよいのか、すっかり分からなくなってしまう。

 出会いたいけれど出会いたくない幻の鹿。

 しかし河鹿がカエルの一種のことであれば、無事に帰る、という言葉とかけて、縁起を担ぐことができるじゃないか。それはいい。これなら、人知を超えた深みへ迷い込んでしまう心配もないだろう。なので願っておく、最後にはきちんとおうちに帰れますように、って。

 

 

 

 

  • 橋本ホテル

 

 この建物の前に差し掛かったとき、身体か頭のどこかで何かが働いて、おそらくもう営業していないホテルではないかと直感した。果たしてそれは正しく、高揚した気分で正面の石段を勢いよく上ってみる。近付くまでの数秒が待ちきれない。私は閉館してからまだ年月が経過していない、いわゆる廃墟と呼ぶにはあまりにも新しい感じがするホテルが大好きだ。熱海のニューアカオとかも。

 苔むした表面が、ここに頻繁な人通りの絶えて久しいことを、如実に示していた。「当たり」だね。

 ツタの植物に埋まるようにしてガーデン・ノーム(庭小人)がいて、そういうところもすばらしい。しきりに素敵だと呟きつつ、レンガ風の壁、蜘蛛の巣みたいな八角形のステンドグラス窓や、洋燈を連想させる意匠の照明に目をやった。当然ながら誰もいない。それなのにこうして、崩れもせずに建っている建築物の、舞台セットのような空箱的性質。

 板に「引く」と書いてある取手は引けない。そしてその表面に施されたチョコレートクリームみたいな半立体の加工は、むかし油画科で使っていた、丸い形のペインティングナイフを思い出させるのだった。あれにも色々な種類があって、よく洋画家の象徴のようにいろんな作品に登場する、細長い三角形のもの以外にも、大きな画材屋に行けば目が回りそうなほど多様な形状で溢れている。

 

 

 額がすり減るくらいガラスに顔を接近させて、中を覗き込んでいた。絵面が完全に不審者なのである。けれど仕方がないではないか、だって螺旋を描くようにねじれた階段がここから見える部分なんて、ひょっとしたら計算されてそうなったのではないか、と邪推するくらいには美しい。

 橋本ホテルが閉館・廃業したのはどうやら2019年頃のよう。

 経営していた株式会社橋本ホテルは、大本を辿れば明治42年の創業とかなりの歴史を有しており、不景気のあおりを受けた破産という結果はとても残念なことだ。施設の老朽化もそれに至った一因らしいのだが、例えば他の地域や施設のように、レトロで古びた感じを売りにして話題になり、軌道に乗れば、ひょっとしたら再建の道もあったかもしれない。いまさら言っても詮無き話。

 正面入り口に掲げられたアルファベットの並びは、HASHIMOTO HOTEL の文字。

 

 

 裏側から眺めると反転して見える。ごく単純な現象なのに、まるで鏡の向こうの世界に来てしまったようで、少しどきどきするのだった。鏡ならぬ伊香保の国のアリス。

 キャロル著「鏡の国のアリス」ではチェスのルールが物語進行の大きな鍵となるが、もしも伊香保が舞台なら、その盤上の遊戯はおそらく碁か将棋になるに違いない。正直、ちょっと読んでみたいと思わされてしまった。

 ふたたび苔むした階段を下って、現実におかえりなさい、意識。

 

  • 飲泉所

 さて、さて。噂の飲泉所、呑湯というのがここにあるらしい。

 休憩所的な、四阿みたいな屋根の下を覗いてみると、確かに存在している。お湯と湧水、異なる2種類の出てくる管が並んでいて、誰でも自由に飲むことができるようだった。備え付けのコップがあるけれど当然ながら衛生的に恐ろしいので、自分の所持していたペットボトルのキャップを使い、少量を汲んで口に運んでみる。

  とりあえず温かいお湯の方から。どきどき……。

 

 

 …………。まっ……ずい!

 とても、とても、まずい。まずさの権化みたいな味がする。錆びた金属を手当たり次第に鍋に放り込んで、ひとつまみの土を入れ、3日3晩のあいだ煮詰めたらこんな風になるんだろうな、という味。この表現で伝わってほしい。何の事前知識も持たずに挑んだ伊香保の飲泉、各種アレルギーや肥満、美容にも効果があるらしいのだが、結構ハードルが高かった。もちろん、大量に飲むものではそもそもない。

 ちなみに宿泊した旅館の記事で入浴時の感想を少し書いている。浸かる分には快適な温泉も、今度は口に入れるとなると、ずいぶん事情が変わってくるらしかった。当たり前。

 けれどきちんと自分の舌で試したことには価値がある。飲める温泉、というのは文字通りに「飲める」という意味で、けっして飲んでも美味しい温泉、というわけではないのだと実感できて。でも、忘れた頃にもう一度くらいはペロッとしてみたい……と強く思わされてしまうのは、いったい何故なのだろうか。

 巧妙な罠のような気がした。なんとかホイホイに引っかかってしまう虫の気持ちが、今なら分かる気がする。

 

  • ロープウェイで上ノ山公園へ

 

 自然に囲まれた地域において、高所からの見晴らしというのは格別なもの。

 標高700メートルほどに位置する石段街から、さらにロープウェイで上へと向かい、上ノ山公園のときめきデッキまで到達すればそこは標高約955メートルの領域。展望台と森林公園があって、旅館のひしめく下界とは一線を画する静けさに包まれ、風の音や遠くの景色を霞ませる大気の色を存分に堪能できるエリアになるのだった。

 徳富蘆花の小説に由来する名の不如帰(ほととぎす)駅で切符を買って、頂上まで行くのだが、このときおすすめなのは片道のみの切符を買うこと。行きはロープウェイ、帰りは徒歩で、ゆっくり街まで戻ってくると楽しい。

 特に何があるというわけでもないけれど……私達が散策していたときは、キツツキのような鳥が近くにやってきて、木の幹をくちばしで突く高らかな音がしばらく響いていて感覚が研ぎ澄まされた。あとは、地面に落ちている枯葉の形や大きさなんかを見比べて遊んでみるとか。想像以上にその種類は多様で驚かされる。

 利用できない遊具には、魂だけを飛ばしてすべらせておいた。象の鼻をつるつると降りてくる、自分の魂。

 

 

 曇りで、もやのかかったようになっている遠景もけっして悪くない。むしろこういう情景を心が求めているときもある、多分。灰色と薄青と、彩度のごく低い濃緑を混ぜ合わせて、水ではなく大気に溶かして描いた絵。前も後ろも山、森、ときどき街。あらゆるものが眼下に小さく見えて、自己が都合よく世界から切り離されたかのような、心地よい錯覚が胸を支配する。

 おもむろに空気を吸ったり、吐いたり。

 1日目、到着してから半日歩き続け、けっこう伊香保を満喫した気になれたけれど、まだ前半。今度は旅館から石段街の下の方を散策する楽しみが残っている。ひとまず展望デッキから不如帰駅のある通りに歩いて戻って、すぐ近くにあった「SARA"S terrace Arraiya」でキーマカレーと梅ジュースを胃袋に入れてみた。普通においしい。

 上州牛丼も魅力的だったのだが、旅館の夕飯で食べるお肉をかなり楽しみにしていたため、せっかくだから昼食は別のものを、ということで。爽やかな梅の風味にまろやかなカレー、わりと合う。私は梅が好きである。このジュースに載っている梅は、梅酒に漬けられたものだった。

 

 

 温泉地に来てそのあたりをふらふら歩き、色々とぼんやり眺めつつひとりで考え事をしたり、場合によっては人間と話したりして、今度は何かを食べてみる。気になる宿泊施設に滞在して、お湯に浸かる。客室で本を読みさらに眠りゴロゴロする。

 本当にそれだけのことが、どうしてこんなにも心を満たすのか、いくら自分や他人に尋ねても「これ」という納得できる答えはまず返ってこない。異様な満足感、面白さ、中毒性。

 温泉旅ってそういうものなのかもしれない。

 

 記事は【後編】に続く。

 

 宿泊した旅館の部屋はこちら: