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彷徨する自由帖

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【宿泊記録】街道を往く旅人の幻影と馬籠宿、但馬屋 - 囲炉裏がある明治30年築の建物|岐阜県・中津川市

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 明治の中期頃まで「駅」という言葉は特に「宿場」を指し、鉄道の車両が停まる場所はだいたい「停車場」と表記されていた。所謂お雇い外国人が使っていたstationの語からステーションやステンショ、また、railroadの日本語訳から鉄道館などの呼称が生まれ、後の明治20~30年代を経て「停車場」の名前が最も一般的なものになった。

 つまり鉄道の車両が停車し、人や貨物が乗降する地点・施設は、まだその頃は現在のような感覚で「駅」とは呼ばれていない。

駅=街道の宿場、そして

停車場・鉄道館=鉄道の車両が停まる場所、

という意味になっていた。

 明治37年に発行された尋常小學讀本(通称:イエスシ読本)で「駅の名呼ぶ声。扉のあく音。」と「停車場」の様子が描写されてから、停車場の名称が駅、という呼び方でも使われるのだと徐々に人口に膾炙する。

 

 

 それでは、昔は「駅(宿駅)」と表記されていた街道沿いの「宿場」とは、どんな場所だったのだろう。

 以下の記事に妻籠宿の様子を書いている。

 人間や荷物ほか、郵便物などが目的地に辿り着くまで、現代よりもはるかに日数がかかった時代。途中で休まなければならない者たちに食事と寝床を与え、夜の闇から守り、さらにそれらを生業とする店舗が集まって形成され発展した街だった。

 

 

 上の妻籠宿は、中山道(木曾街道)における42番目の宿駅である。

 今回のブログ記事はその次、43番目の地点である馬籠宿へ向かい1泊した記録。「但馬屋」という宿屋に泊まってみたのだった。

 周囲が暗くなってから宿泊場所に到着する安心感は、口ではなかなか説明しにくいものがある。家から離れた場所でも、食べるものと寝床がきちんと保証されていること。街から街へ、己の脚力や馬たちを頼りに移動を続けた、かつての旅人の姿を思い浮かべた。そうして心を躍らせながら暖簾をくぐる。

 

 

 入ってすぐに迎えられるのが囲炉裏のある場所で、受付の脇には昔の電話、奥の壁の方には振り子のついた時計も掛けられていた。

 ここは明治28年の大火のあと、同30年に再建された建物。床板も柱も、壁も、うすく茶色い飴を刷いたみたいに艶があった。光っているのに、眩しいような感じがしない。不思議な落ち着きがある。日々の煙で燻され、加えて人の手で丁寧に磨かれ、そうして時代を重ねてきた故の深みなのだとこの日の道中で教えてもらったのを思い出す。

 満身創痍で、案内された部屋に荷物を置いて、確か……まずはお風呂に入ったのだった。入浴に関しては他の宿泊客との兼ね合いになり、現地で希望を選ぶ。とても良い木の香りがする浴槽があるのだが、入浴の制限時間が30分と短めのため、存分にゆっくり浸かりたければ急いで全身を泡だらけにする必要がある。でも安らげたし楽しかった。ここは宿で、自分たちは何も準備や片付けをしなくていいのだから。

 それから1階に下りて、晩ご飯を食べた。6時半くらいに。

 

 

 現地で採れたものが使われた料理がたくさん並んでいる。塩をつける山菜やきのこの天ぷら、魚、タケノコにレンコン等など。暑い夏場ではあったものの、ねぎの入った温かい汁も美味しく感じた。

 写真手前の右側にあるお豆腐が特に好きだった。あと、それが載せられている器の感じがかなり素敵で、持って帰りたくなった。ふちの茶色い部分がたまらない。

 建物の古さもあり、部屋から食事会場、お手洗い(館内で共用、とても清潔)、お風呂を行き来する際の階段の上り下りは慎重になる。実際に廊下には、できるだけ静かに歩いてほしいという旨の張り紙もあった。食事中もときどき聞こえてきた、ぎしぎしと軋む床の音が印象的で今でも耳に残っている。金属が軋むのとは違う、木がたわみこすれる音。

 それが部屋にいても結構な大きさで響くので、あるいは睡眠の妨げになるかと少し思ったけれど、そうでもなかった。理由の一つに、ここに来るまで相当な体力を使っていたため、あっという間に深い眠りに落ちたことが多分挙げられる。

 

 

 2階に、面積の小さな部屋がふたつ。荷物を置いたりくつろいだりするスペースと、寝るスペースに分かれていた。片方に鏡と浴衣と小さなちゃぶ台、くずかご、そしてテレビが。テレビは布団の敷かれた側の空間にある。前者でお茶を飲んで、眠るときには後者に移動する感じになるのだった。

 壁から外すと点灯する「常備灯」がたまらない。本体のオレンジ色がレトロ。ホテルではないけれどきちんと各種アメニティもついてくるので、荷物は少なくていい。

 窓からはその向かいにある木立が見えて、風に枝葉が揺れるのを朝にじっと眺めていると、その位置によって揺れ方が違うのに気が付いた。大きな風の流れに準じず、どこか不自然に揺れている枝には、もしかしたら鳥が止まって羽を休めていたのかもしれない。あるいは目に見えない何かが原因であったのかも。

 私は勝手にそういうものを「天狗の通り道」と呼んでいる。森の木をじっと見ていて、特定の1か所だけが、不自然に振動しているのを発見したときに……。

 

 

 次の日、起床してからの朝食。

 安心できる定番のラインナップが嬉しい。私は焼き魚と卵焼きと、あと梅干しがいちばん好きだった。どこに行っても梅干しは美味しい。ちなみに右側の目玉焼きに視線をやると、何か気になる部分がないだろうか。……そう、実はこれ、ハート型をしているのだった。心をこんな風に食べることができたらどんなに楽しいだろう。

 

 宿屋は旅人を泊め、そうしてまた次の旅路へと送り出すところ。

 前日にこの馬籠宿に到着したばかりだった私は、これから町の中をいろいろ見て回る。山間部の宿場町。喫茶店に入ってみたり、島崎藤村の文学館を見学したり。坂道で構成された高台の土地からは遠くに恵那山の稜線が望める。

 丸い編笠にしましまの羽織、諸国を旅して回る商人の装束が、しきりに視界にちらつく気がする。

 

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