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彷徨する自由帖

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石畳、みどりの水、ゲイエレット姫……「茶房 土蔵」にて - 馬籠宿の米蔵を改装したレトロ喫茶店|岐阜県・中津川市

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「エメラルドの都へ行く道は、黄色いレンガの石畳になっていますから、迷うことはありません」
 魔女のおばあさんは言った。

 

(新潮文庫「オズの魔法使い」(2019) 著:L・F・ボーム / 訳:河野万里子 p.23)

 

 中山道六十九次の宿場のひとつ、馬籠宿は坂の上にあって、中心はきれいな石畳の道に貫かれている。けれど色は上で引用したような黄ではなく、陽を受けて明るく輝く灰白色だった。

 この石畳をどこまで辿ってもエメラルドの都には辿り着かない。でも、忍耐強く歩を進めて妻籠宿を越え、南木曽の方まで出れば、それこそ深い緑色をした宝石を思わせる水の流れや、自然に磨き上げられた岩石の群れを目にすることができると、実際に行った後だから知っている。

「オズの魔法使い」冒頭でカンザスから大竜巻で飛ばされ、マンチキンたちの住む東の国で銀の靴を手に入れたドロシー。都への旅を始めたばかりの彼女は、途中、長距離の移動に疲れて大きな館に身を寄せるのだった。いかに危険を退けてくれる魔女の加護があっても、疲労と空腹ばかりは如何ともしがたい。

 だから人間の使う街道の脇には、必ず旅籠屋や料理店、休憩所なんかが軒を連ねる場所が、一定の間隔をあけて点在している。ああ、それは物語の中ではなく、こちらの世界の話。

 

 

 坂の中腹にある喫茶店は土蔵といって、名前が示す通り、以前は米蔵だった建物を利用して昭和46年(1971)から営まれているとのことだった。もとの蔵は、20世紀初頭に建てられたものだと推定されている。

 どこにいても注文するのはだいたいクリームソーダ、あるいはメロンソーダと相場が決まっていて、その日に喫茶店を何件かはしごすると分かっているときだけ冒険して別のものも飲んでいるような気がした。鮮やかに色づいた水は眺めているだけで素晴らしいし、ソーダ水とシロップの割合や、バニラアイスの風味は店によってかなり変わるため、結局は同じものだとか言ってはいけない。全然違うから。

 土蔵で提供されているクリームソーダは軽やかな感じだった。明るめの色で、炭酸の泡は細かく、アイス部分は柔らかいよりもシャリシャリとしている。以前、名古屋のモックで賞味したかなり甘みの強いソーダとも大きく異なり、どちらもおいしい。

 みどり色をした水。

 住民と訪問者、双方が特別なメガネの着用を命じられているエメラルドの都では、家や人だけではなく、キャンディにポップコーンまでもがみな緑のレンズと同じ色に見える。だから都で飲む水は、たとえただの水であったとしても、ことごとくこんな風に自分の目には映るのだろう。

 

 

 気が付けば、食べる品物も緑色のものを選んでいる。抹茶クリームあんみつ。

 抹茶の液の部分が絶妙にあやしい沼地みたいで、なんだかたまらないな、絶対絶対これが良いな、とメニューの写真を見ただけで決めてしまった。考えてみれば色だけでなく、アイスの要素まで、見事にクリームソーダとかぶっている。けっして強欲なのではない。直感に忠実なだけ。

 はじめは抹茶の味が少し薄めなのかもしれないと感じたけれど、その本領はこっくりとしたバニラアイス(ソーダの上に載っているものとは違う種類)が溶けだしてきてこそ発揮される。ふたつが混ざってなめらかになった液は、甘い餡の味わいと口の中で重なって、この上ない充足をもたらす。

 おいしい「緑色の飲食物」を立て続けに摂取するのは、非常に心身の健康によかった。この時だけは私もエメラルドの都の住民気分を楽しめる。

 

街角では、男の人が緑のレモネードを売っていた。そしてそれを買いに来た子どもは、緑の硬貨を出していた。

 

(新潮文庫「オズの魔法使い」(2019) 著:L・F・ボーム / 訳:河野万里子 p.108)

 

 

 

 ところで。「オズの魔法使い」の中でも好きな、あるいはどこかが気に入っている登場人物について考えたとき、私の頭には真っ先にゲイエレット姫(Gayelette)の名前が浮かんでくる。作中世界の北方、ギリキンの国に住んでいた賢く美しい姫君で、それは強力な魔法の力を持っていた。

 彼女について言及している人をあまり見かけないのが意外なくらい、物語におけるその重要度は高い。直接的・間接的に幾度となくドロシーを助けた黄金の帽子、それはもともとゲイエレット姫の結婚相手……人間のクェララのために作られた帽子だったから。

 翼の生えたサル達が帽子の持ち主に3度従わなければならない理由も、作中で彼ら自身の口から詳しく語られている。かつてクェララに悪質ないたずらを仕掛けたことで、ゲイエレット姫の怒りを買った。それで帽子に存在を紐づけられてしまったのだと。

 

黄金の帽子の最初の持ち主となったクェララは、婚礼が終わると森に来てわれわれ全員を呼び出し、花嫁はもう翼の生えたサルを見るのもいやなので、二度と彼女の前に姿をあらわさないようにと命じました。サルたちも彼女のことはこわがるようになっていましたから、喜んでそうしました。
次に命令を受けたのは、黄金の帽子が西の悪い魔女の手にわたって、ウィンキーたちを魔女の奴隷にするようにと言われたときです。

 

(新潮文庫「オズの魔法使い」(2019) 著:L・F・ボーム / 訳:河野万里子 p.163)

 

 私は本文から伝わってくる、ゲイエレット姫の人柄が興味深くて好き。

 周囲の誰からも愛されていながら、彼女自身が心から愛せると思える者を見つけられず、悲しく思っている。そこである日、なかなか魅力的だと判断した人間クェララを自分のルビーの宮殿に召し上げて、ありったけの魔法を彼にかけた。おかげで国中の誰よりも知恵があり、温厚な人柄を持ち、容姿もすぐれた男性として完璧に成長した彼を、姫はたいそう深く愛する。

 クェララがサル達にからかわれたと知ったとき、彼女が露わにした怒り。それは身近な人間を貶められるという普遍的な不快さに基づいているのと同時に、他ならぬ自分が手塩にかけた、作品のような存在を汚された憤りも激しく感じていたのだと伺える。

 彼女は強力な魔法の力を人助けにしか使わない、といわれるほど善良な魔女だったが、己の誇りをみすみす傷つけるような真似は決して許さなかったとみえる。それって……いいよね。美しく怜悧でありながら苛烈、そんなところが魅力的なキャラクターだと私には思える。

 

 こうして色々考えているうち、グラスも器も空になった。みどり色の水はもう消えて、エメラルドの都は遠い。

 また、私は私の世界の石畳を歩きに、喫茶店の扉の外に出る。