旅行とお散歩
オーシャン東九フェリーのうち一隻「しまんと」を利用した感想を綴る。こうしている今も凪いだ海原の上で穏やかに揺られる感覚が残っていて、夜、布団に入ってからそれを思い浮かべると、陸地でもよく眠れた。波の音はもう遠いけれど、瞼を閉じれば耳朶の奥…
本当にここに喫茶店があるのだろうか?というのが第一の印象で、地図が示す建物の前へと足を運ぶと、真っ先に目に入る言葉は「不動産」とか「豚串」なのだった。しかし落ち着いてビル全体を視界に収めると、確かに右のところから細く階段が伸びているし、ぼ…
明治45(1912)年に竣工した近代建築。クリームチーズやスポンジで構成された断面を連想させる、層の重なり。灰色の部分を縞模様に露出して、それ以外の部分に白い磁器タイルを張って覆った、1階の外壁。なめらかなババロア。対比となる鮮やかな2階部分は化粧…
今年の4月は、昭和後期×オカルトブーム要素が取り入れられたゲーム「パラノマサイト FILE23 本所七不思議」のおかげで趣味の散歩がさらに楽しくなった。ありがたい。東京都墨田区内でゆかりの地をぶらぶら巡り、記録しました。公式からロケ地として公表され…
フローラ(Flora)。聞くと、梶井基次郎の小説「城のある町にて」の一節が頭に浮かぶ言葉。これは春の季節と豊穣を司る女神の名前で、さらに、墨田区東駒形に存在している小さな喫茶店の店名でもあるのだった。開業する時お店の繁栄を願いつつ、占いの結果を…
// 家へ帰って兄に、金木の景色もなかなかいい、思いをあらたにしました、と言ったら、兄は、としをとると自分の生れて育った土地の景色が、京都よりも奈良よりも、佳くはないか、と思われて来るものです、と答えた。 (新潮文庫「津軽」(2022) 太宰治 p.158…
お弁当に限らず、旅客を乗せ中距離以上を走る鉄道と食事とは不可分で、現在と異なり20世紀までは多くの路線で「食堂車」を有した列車が運行していた。在来線の特急でも。まるっきり私の記憶にはない時代。夏目漱石の小説「虞美人草」にも食堂車の「ハムエク…
明かりの灯った小さな店舗。古い蔵を改装し営業している居酒屋で、名前もそのまま「ぼろ蔵」という。飲みながら食べたものは揚げ餃子、ほっけの塩焼き、そして玄米おこげのチーズ焼き。どれも日本酒に合う美味しい料理だった。玄米おこげのチーズ焼きに関し…
11月の会津若松では、夜の空気は刺すような冷たさだった。文字通りに痛いくらいの。過ごしやすかった昼間の日差しが嘘のように、みるみるうちに天が青く、暗くなり、やがて思わず首を引っ込めてしまう程の容赦ない風が顔に吹きつけるようになる。宿泊したフ…
羽田を出、博多空港に到着してから筑豊の新飯塚に向かった日、旧伊藤伝衛門邸を見学してから夜にまた博多駅まで戻ってきた。翌日朝に小倉へ移動して、今度は田川伊田の三井炭鉱跡まで行くために。デュークスホテル博多は、予約サイトで見たロビーの写真がな…
外を歩けば目に入るのは、町並み全体を俯瞰する城が一つ。言うまでもなく大垣城である。今では本丸と天守の周辺が公園となっている程度の広さだが、かつてはその三倍以上もの面積を誇る、堅牢な一大要塞だった。町中にグルグルと張り巡らされた水路もその名…
目指すは養老—―鎌倉時代に編纂された古今著聞集内の「養老孝子伝説」で語られ、後に名水百選にも選出された美しい滝と、名産品・瓢箪(ひょうたん)制作の文化が脈々と受け継がれている土地。 実は出発前、そこには不思議な芸術作品があると小耳に挟んでいた…
特に斎藤道三と織田信長にゆかりあるこの山と城は、名を変えたり焼失したりしながらも、戦国の時代から続くこの岐阜の地を俯瞰し続けてきた。しかし、美濃を制す者が天下を制す――とまで言われた難攻不落の城といえど、決して不滅ではない。現在の天守は昭和…
日本三大河川の一つに数えられる美しい長良川は、毎年5月から10月頃にかけて、伝統的な鵜飼(うかい)の行事が行われる舞台でもある。その静かな流れと深い青緑色には用が無くても足を止めざるを得ない。豪雨が降れば水位は増し、古来から災害を恐れてきた人…
たしか雨宿りをするのにちょうどいい店を探していて、この「和栗菓子 kiito-生糸-(きいと)」というモンブランのお店に出会ったのだった。テーブルにつくと、想像以上にきちんとした感じに驚き、同時にわくわくする。全然何も知らずに入ったのでなおさら。…
筑前と豊前の間に位置し、それらの頭文字を取って筑豊(ちくほう)と称されるようになった地域。明治28(1895)年に開業した豊州鉄道をはじめ、筑豊周辺の鉄道路線は「炭鉱」の隆盛と共に発展したのだと調べるほどに実感する。石炭を船に積んで川を下った頃か…
起雲閣の玄関に続く薬師門を出たところ、道路を挟んだ向かいに甘味処があるのは以前から知っていて、けれど実際に入ってみたのは初めてだった。付近を通るたび視界に入っていたのは、スピルバーグ監督の映画「E.T.」に登場する宇宙人を象った人形の存在。そ…
// 没落した元華族のとある家庭と、そこにいた母、娘、息子それぞれの軌跡を描いた小説に「斜陽」がある。 終わるひとつの時代に、かず子の恋と革命と、直治の遺書。 昭和22(1947)年に新潮社から出版された。 これにちなんで太宰治の生家——旧津島家住宅は斜…
……リンリン、リリリン……リンリン、リリリン……リンリン、リリリリリリリリ……。電話という道具、通信の手段は、100年前に比べれば随分と身近になった。電波の届く場所でならほとんど、いつでも誰とでも会話できる便利な状況が、むしろ煩わしく感じられる程度に…
特にどこへも行かず過ごしている期間、ギザの大スフィンクスは、いわゆる現実から遠く離れた存在の筆頭だったと思う。幼少期に学習漫画を読んで以来、数々の考古学、文明の本や番組に触れて以来、長らく心の一角に住み続けていた空想世界の住民。地球上にあ…
曇った空の下では、ものの姿が必要以上に強調されて、やけに「はっきり」と見える。色も形も。単純な光量の点では、雲が太陽を隠していない時よりも劣るはずなのに、ずっと明瞭に。とても不思議なことだった。暗闇とまた、全然違う。誤解を招くのを承知で言…
人生を通して、私がはじめて柘榴(ざくろ)という果物を口にしたのが、中央アジアに位置するウズベキスタン旅行の最中だった。場所はたしか、古都サマルカンドの片隅に建つふつうの民家の離れを利用して、ささやかに営まれているレストランだったと記憶して…
掲載している国はイギリス、ノルウェー、エジプト、マルタ、ウズベキスタン。一部、イギリス留学期間中(2016~2018)の散策を後に記録したブログも含みます。ここにあるのはすべてが読まれてほしい記事、大切な思い出の証明。まだここにまとめられていない…
千葉県千葉市稲毛区、旧神谷伝兵衛稲毛別荘から歩いて数分のところに、旧武見家住宅がある。見学は無料で、所定の休館日を除けば年間を通して公開されている施設。現在は「千葉市ゆかりの家・いなげ」という名称で市に管理されている地域文化財。大正2(1913)…
// 羽田空港を出発し、津軽海峡上空を通過したあたりで眼下、飛行機の窓一杯に見える北海道は、視界の及ぶ限り山々のうねりで構成されている。 季節にもよるのだろうけれど夏だとかなり濃い緑で、むしろ黒い、と言ってしまっても間違いではないような深い色…
晩夏も過ぎた頃の旭川に4日間、いた。合計で3度の夜を越したと書こうとして、辞書を引いたら「夜越(し)」なる言葉が存在していたのを知る。その意味のひとつに「夜中に山河を越すこと」というものがあったので、ぼんやり光景を想像し、可能ならぜひともそ…
JR松戸駅の西口を出たら、歩行者デッキの階段を下りて、線路沿いに道路を北へ。2分程度歩くと左側、角を曲がってすぐの場所に見えてくる。通りに面した大きな四角い窓に植物の葉が茂り、レンガ風の壁の上には、青と橙の細いしましまで彩られた庇がある店舗が…
透明な袋に包装されていた状態から本体を取り出し、少し顔を近付けてみると、意外にもはっきりとした匂いが認識できた。香りのつけられていない、素の蝋燭の匂い。独特で、どこか懐かしく、他の何にも似ていないと思う。手に持って矯めつ眇めつ、触りながら…
郷土館の見学を終えたら大通りに出て、北へ向かって歩いてみる。道道(どうどう。他の地域で言う「県道」や「府道」にあたる)94号線が描くゆるやかな曲線を、車とは違う、亀の速度で進む自分の足跡でなぞった。道路の幅に沿い、一定の間隔で頭上に矢印が掲…
福島県は会津。先日に初訪問を果たした会津若松では、ソースカツ丼が地元の名物として紹介されていた。ここでは昭和5(1930)年に「若松食堂」が提供を開始したのがその起こりとされ、15年後の昭和20(1945)年には続いて「白孔雀」食堂が、丼の直径よりも大きな…