空に星が流れるとき、私には高くか細い金属的な音が聞こえる。
例えるなら「サーッ」と「シューッ」の、中間のような響きで。
それが単なる錯覚なのか、あるいは本当に自分の鼓膜を震わせている何かが存在するのか、真偽のほどは分からない。調べてみると、他にも「流星には音がある」と言っている人が複数いる。きちんと説明されている現象ではないので、視覚から認識したものに、頭の方が勝手に効果音をつけているのかもしれない、と一応普段は考えておくことにしている。
けれど、実際に私は音を認識している。一体どういう性質のものであるのか、はともかくとして……。
青森の陸奥湾に面した浅虫温泉でも、夜中に旅館の客室からベランダに出て、例の音を耳にした。そう、流星群でも何でもないような日に流れ星を見た。浴衣を着たままコートにくるまって、1時間程度外にとどまり、流れたのがふたつ。徐々に目が慣れてくると、幾段階にもなる暗闇の層が分かった。天空は星明かりでうっすらと灰色、海は重たく黒々としており、そこに浮かぶ「湯の島」は影になってもっと暗い。
流れ星の次はエンジン音とともに、目の前の道路をまばゆく輝くデコトラが走り抜ける。あれも視点を変えれば流星の仲間に入れられるのではないだろうか。地上の星とは、デコトラのことだったのかもしれない。あまり戯言が過ぎると頭に星の破片が落ちてきそう。
風景は日の出を迎えると別人のように、まるっきり変化した表情を見せる。空、海、湯ノ島……実際あるものは一緒なのに。光がなければ色も形も捉えられない人間の目は、太陽抜きでは本領を発揮できない。闇がどんなに好きでも思いは一方通行になる、必ず。
夜でも朝でも変わらないのは蒸気と独特の匂いだった。旅館、客室の窓から首を出していると常に感じる、確かな温泉の存在。
浅虫温泉は鉄道が開通した明治中期を過ぎてからの発展が顕著で、とりわけ大正時代には「東北の熱海」と呼ばれるまでになり、大いに栄えた。棟方志功、高浜虚子、太宰治など、ゆかりある著名人もこの周辺に生きていた人物が多い。
令和の今はどうかというと、旅館街と呼ばれるエリアにかつての片鱗をわずか残している他は、静かなもの。宴会場に集う人々の影も、夜通し尽きることのない歓談の声も現在は時間の彼方にあって、どれほど沢山の客がこの場所を通り過ぎていったのだろうと道端で目を細めた。良いところだ。
勿論ばらつきはあるだろうけれど、私が滞在していた年は、10月の末でも十分に暖かかった。
浅虫温泉で泊まっていた旅館が、辰巳館。夕闇に輪郭を溶かす姿は、まるで海の生き物が住んでいるお城みたいだった。字の書かれた看板だけがあやしく魅力的に光って。
また不思議と、払暁を迎えてから明るい場所で眺めてみても、同じようにそういう印象を抱く。要因は屋根の色だと思った。例えば私にとって赤銅寄りの赤や茶は、海と海辺の町を強く連想させる色彩で、一般に連想される青でも灰でもなかった。きっと水底にお城があるなら屋根はこの色に違いない。ちなみに、水中の深い場所へ行くほど、赤は視認しにくくなる。
辰巳館新館の客室はすべてが海側に面していて、どの階からもきれいに湯ノ島が見えるようだった。玄関入って右手がロビー、直進すると大浴場、その手前で右に曲がれば各階に通じる階段とエスカレーターがある。
ここは2階。畳の間の先にはきちんと「あのスペース(広縁)」があって、置かれている洋風の椅子と机も、何とも言えず空間に合致していたから満足度が高い。木製の家具の、飴のように透明感のあるツヤが昔から好きだった。
暖房の完備された部屋は温風を控えめにしていても薄着で過ごせるくらい。窓のそばに行くと感じる冷たい微風は、広縁よりも内側に流れて来ないよう、重たいカーテンが遮りその場にとどめている。壁の方を見ると、懐中電灯のホルダーに添えられたレトロな赤い花の絵が可愛らしかった。
個人的に、旅館に泊まる「らしさ」や「楽しみ」はこういうところに散らばっているものだといつも考えている。温泉地に到着し、荷物を置いたら、本格的なわくわくの時間が始まるのだ。
客室には現代的な洗面所とお手洗いが備えられていた。歴史ある旅館だと水回りが共用である場合も少なくないが、辰巳館は内部を改装してあるので、そのあたりが気になる人も安心して泊まれる。
それから畳の上の机。旅館の定番アイテムとして数えられる緑茶のティーバッグ、電気ポットと急須のほか、用意されていたお茶菓子は「めらしっ子」。浅虫銘菓とある。ウエハースの板にクリームが挟まれて層になったごくシンプルなお菓子、なのだが、これが意外なほどに美味しいのだった。硬めの歯ごたえ、控えめの甘さが大きな魅力かもしれない。
夕飯は部屋食のプランにしていたので、時間になって仲居さんが膳を運んできてくれるのを大人しく待っていた。とはいえご飯前なのに、欲をかいてさっきのお菓子を食べながら。もちろんお酒も注文すると出してくれる。
やはり海辺の温泉地、前面に押し出されているのは各種お刺身、焼き鮭、カニの足、ホタテのグラタン等々……。沢山の種類の魚貝類が少しずつ食べられて、それでも十分にお腹が一杯になりそうだが、さらにお肉のしゃぶしゃぶも茶碗蒸しもついてくる(食事内容は季節によって変わる)。普段は陸地でとれたものを個人的に好んで食べているので、久しぶりに味わった海の、しかも鮮度抜群の食材の味は、舌の根まで沁みわたった。
なかでも印象に残ったのは、デザートのりんごゼリー。
器で固められたその上にはカットされた果肉も添えられていて、それだけなのに美味しい。振り返れば浅虫温泉に辿り着くまで、場所によっては道路の脇に広大な果樹園が展開し、木に成ったりんごが紅の色彩で強く存在を主張していたのを思い出した。この林檎は果たしてどこのものだろう。青森県から産出されるりんごの種類は多い。旅館に泊まったのが10月の末だったから、収穫と販売の時期がそこに重なる品種であるはずだった。
自動販売機ではJAアオレンのりんごソーダ「アップルシャワー」が買える。食事の後でも良いし、お風呂上がりに買って、ロビーや部屋で飲んでもいいんじゃないだろうか。
大浴場はこぢんまりとしていて面積が広くはないので、団体と時間がかぶると少し混んでしまうかもしれない。その場合は出直した方がゆっくり入れると思う。岩で囲まれた浴槽のお湯にはほとんど色がなく、なめらかで、分類としては硫酸温泉になっているみたいだった。切り傷、冷え性、気鬱などに効果があるとか……。春に宿泊した、鉄の香りがする伊香保温泉のお湯とはまた印象が正反対で、比べてみるのも面白い。露天風呂もある。
辰巳館は真夜中でも早朝でも、清掃が入るまでは好きな時間に入浴ができ、私は夜と朝で合計2回大浴場に行った。
朝食会場は1階の大広間だった。ロビーの裏にある。
白いご飯、お味噌汁、お豆腐など心安らぐラインナップの中、海沿いの地域ならではの品目が膳の左上……ホタテの貝殻の上で煮られている何かだと思う。実はこの料理の名前を覚えていないので「何か」としか説明しようがなく、ぐつぐつと泡立ってきたら、ここに仲居さんが卵を入れてくれることだけ記憶していた。これは結局、何だったのだろう(本当に料理名を覚えていられない)。
食後にはコーヒーとチョコクッキーがロビーにて提供される。
ところで浅虫温泉の地名は、もともと織物に用いる麻を温水の蒸気で蒸していたことから「麻蒸」とされ、読みはそのまま漢字を転じて現在のように「浅虫」となった……と各所で説明されていた。温泉自体は平安時代の頃から湧き出ていたようだが、別に当初から湯治場であったというわけではなかったのだな、と思う。
前述したように、浅虫温泉の発展に貢献したのが鉄道の存在なので、それまでは外部から人間の訪れる機会が少なかっただろうと推測される。
そういえば1階の朝食会場からも、例の印象的な湯ノ島が見えたのだった。
なんとなく、旅館の方々がそれを指して単純に「島」と呼んでいたのを聞き、とても良さを感じた。うまく表現できないけれど、長年の友達を呼ぶみたいな言い回しと声音でシマと言うその温度に惹かれた。実際、この地域の人たちにとってはそういう存在だろう。朝でも夜でも嵐でも、いつもそこにあって、季節ごとに表情を変える隣人みたいなもの。