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彷徨する自由帖

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旭川遊歩の回想、とめがき【2】零雨の平らな街と古い銭湯

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 羽田空港を出発し、津軽海峡上空を通過したあたりで眼下、飛行機の窓一杯に見える北海道は、視界の及ぶ限り山々のうねりで構成されている。

 季節にもよるのだろうけれど夏だとかなり濃い緑で、むしろ黒い、と言ってしまっても間違いではないような深い色。さらに冬になると葉を落とした樹木の集積が、白い雪との対比も相まって本当に黒々とした様子になる。眺めているだけで呑み込まれそうな大波に。土地の激しい起伏が、対峙する側にそう思わせる。

 だからだろうか。

 空港から旭川市街地の中心部、JR駅周辺に到着すると、その平坦さと、あまりに整然とした様子に面食らう。滑走路のように長く真っ直ぐ伸びる道路。河川の上空にひらけた空。これは言葉で説明するよりも、鳥瞰で描かれた地図を見てもらえば一目瞭然だった。ときどき京都の街を表すのに使われる「碁盤の目」という形容とも、また全然印象が違う。旭川の街は、無数の巨大な、平たい長方形の集積に思えた。

 

 

 この旭川市が位置する地域一帯には「上川盆地」の呼称が用いられている。しかも、それが北海道内に存在する盆地のなかでは最大の面積を誇るものだというから、到着以来ずっと「ここはものすごく平らな街だ」と自分が感じていたのはあながち間違いでもなさそうだった。

 もちろん、市街が展開している領域の外縁も含めて……例えば西の方だと神居古潭のある辺りまでが一応「旭川」なのだが、とりあえず今記事では街から受けた印象の話をしよう。

 盆地と似た言葉に平野(へいや)がある。いずれも平坦な地形を指すことは共通していて、その上で平野は標高が低く平坦な土地、そして盆地の方は、周辺を山および丘陵に囲まれているものを表す。

 旭川の上川盆地を取り巻いているのは、有名な温泉地・層雲峡を擁する大雪山系の峰々や、北の方角には、名寄盆地との境に前述した塩狩峠。明治の頃に鉄道事故が起こったのがそこだった。事故で殉職した長野政雄氏の人生に取材し執筆された三浦綾子の小説「塩狩峠」にちなみ、著者の旧宅が移築されて記念館になっている。滞在中に訪問した。

 駅周辺から塩狩峠へ向かった際のことを回想すると、名寄方面行きのバスが比布や蘭留の町に差し掛かるまでは、交差点であってもほとんど信号がなかった様子を思い出せる。見渡す限りの広野と、田畑と……。

 

 

 白、灰色、緑が主な風景の中で、消火栓の赤色が目を引いた。きょろきょろしながら散策を始めると、降り続いている小雨にかすんで遠くの方に山の輪郭が見える。視界を遮る建物も少ない。盆地だから、四方八方が丘陵に囲まれていて、この一帯だけが落とし蓋のようだった。

 整然とした街を適当に歩いているとき、特に住宅街や団地のある場所で困惑させられたのは、さっき曲がった角と次に曲がる角がほとんど同じに見えたり、どのあたりまで自分が進んできたのか不意に分からなくなったりする瞬間が、たびたび訪れること。

 特にバスを利用してみると、その戸惑いは顕著になった。

 

 

 

 

 例えば、この旧旭川偕行社(中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館)へ赴いた際に周辺にあるバス停を調べていたら、該当するものが軒並み「春光4条4丁目」「春光5条4丁目」「春光5条7丁目」「春光6条7丁目」などの名前でちょっと目が廻りそうになったとか。

 慣れればむしろ分かりやすいのだろうが、乗車前にかなり注意深く、便利な乗り換えルート検索アプリとにらめっこする羽目になったことは忘れられない。

 それから、小綺麗でどちらかというと新しい、均質な都市……という旭川の一面が到着直後は殊に感じられたけれど、実際自分の足で徘徊を続けてみると、至るところに街の個性を感じられた。土地は平らでもその上に表出する特徴は平坦ではない。重ねられてきた時間の一端が、確かに残されていて。

 

 

 特に気になったのは旅行初日に出会った、薪でお湯を沸かしている銭湯。

「熱気風呂こがね湯」と書かれた縦長の看板(くくりつけられている木の棒にも味がある)の下にこれから燃やす薪が束ねられ、積まれており、活躍の瞬間を待っている。要するに燃やされる瞬間ということだが。ずっと雨に降られていると焚き火周辺の暖かさが恋しくなるからか、つい引き寄せられるようにして近付いていった。

 この近辺をわざわざ見て回ろうとは予定していなかったのに、古い建物好きとしての何かが働いたらしく、結果的に大正解の選択肢を選んだといえる。

 なんでもこがね湯の創業は昭和36(1961)年なのだそうで、60年以上も続いていて開業当時の建物がしっかり残っている銭湯(もちろん、創業年という観点だけならもっと歴史の長い銭湯は市内にある)となると、旭川でもかなり古い部類に入るのではと思わされる。雪も、日光も、蒸気も吸い込んできた小豆色の壁。ざらついている。かき氷みたいに。

 

 

 玄関上の欄間にあたる部分にかすれた文字で「こがね湯」とあった。ガラスの上に塗料で書かれた文字というのは、徐々に剥がれ落ちていく過程すらも魅力的である。また、引き戸の両脇に嵌め込まれているガラス板はモザイクのように格子のパターンが施され、光を取り入れながらも視界を遮る役割を果たしていた。

 木枠の木目というか色味に趣がある……。

 入口は外に面する表扉とその内側の扉で2重になっているが、これは冬季に気温が著しく低下し、さらに大雪の降る地域ならではの仕様だと再認識する。暖房の熱を逃がさないよう、また雪などを内扉の前で落としてから中に入れるように、工夫がしてあるのだった。北国ではこういった施設以外にも民家や、コンビニなどでそれが目立つ。

 営業時間ではなかったのと、おそらくこの時は夏だったのもあって、内側の方の引き戸は開けられたまま。入口正面の鏡の前には暖簾と、その下に手作り感満載のあやしいドラえもんとドラミちゃん風の(あくまでも「風」の)置物が設置されている。

 打ち付けられた「なかや医院」の広告看板も実に良かった。薄い金属で、ホーロー看板……と呼ぶにはちょっと光沢が足りない感じ。浴場定休日の曜日欄に、つい何か文字を書き込みたくなってくる。

 

 

 そして、宿泊していたエリアの周辺でも色々と面白いものが見られたのだった。

 

【3】に続く

 

 

 

追記:

 今ブログ記事の情報に誤りがあるとはてなブックマークにてユーザーの方にご指摘いただきました。

 

id:ezohiki さん

おや、これは‥こがね湯じゃないですか!以前、近所にいたもので‥ちなみに上川盆地の西縁は雨竜・幌内山地で天塩山地とは接していません。細かい指摘でごめんなさい。

2023/02/10 22:19

 上記、該当箇所を修正しておりますので、ご確認いただけますと幸いです。