chinorandom

彷徨する自由帖

MENU

体感するモダンアート《養老天命反転地》と大正時代の擬洋風駅舎|岐阜県南部旅行(3)

※当ブログに投稿された一部の記事には、Amazonアソシエイトのリンクやアフィリエイト広告などのプロモーションが含まれています。

 

 

 以下の記事の続きです。

 

 また、この岐阜旅行中に遭遇した魅力的な場所《柳ヶ瀬商店街》について外部メディアで執筆しています。

 そちらも合わせてよろしくお願いいたします。

 

参考サイト:

養老町(公式サイト)

荒川修作+マドリン・ギンズ – ARAKAWA + GINS Tokyo Office

養老天命反転地 | 施設案内・マップ | 養老公園

 

養老

 いよいよ、岐阜駅から次の目的地へと向かうことに。

 

 

 目指すは養老—―鎌倉時代に編纂された古今著聞集内の「養老孝子伝説」で語られ、後に名水百選にも選出された美しい滝と、名産品・瓢箪(ひょうたん)制作の文化が脈々と受け継がれている土地。

 実は出発前、そこには不思議な芸術作品があると小耳に挟んでいた。

 名前を《養老天命反転地》という。

 思い返せば、小中学校の美術の教科書のどれかには確かにその写真が載っていたし、設計を手掛けた荒川修作は芸術界の超有名人。

 調べると、かなり大規模な体感型の作品…… というよりかアスレチックのような施設に見えた。また、共に制作に携わった米国の詩人、マドリン・ギンズがそこにどんな要素を加えたのかも見逃せない。

 せっかく岐阜南部に来たのだから行くしかないだろう。期待に胸を膨らませながら、鮮やかな橙色の養老鉄道養老線にゴトゴトと揺られた(比喩ではなく車体がかなり揺れる)。

 ICカードが使えないので、乗車前に券売機で切符を買う。

 

  • 養老駅

 

 改札を出ると、魅力的な近代建築に出会った。正確にはさっきまで自分たちが中にいた駅舎だ。養老駅の建物は大正8年に竣工したもので、今も現役の木造平屋建て。設計者は調べても分からなかった。

 瓦の葺かれた屋根だけを眺めれば単に和風だと感じるが、少し離れてから振り返ると、その上にヨーロッパでよく見る「ドーマー窓」が二つ顔を出しているのに気付く。ツノのように伸びた飾りも西洋の風を捕まえようとしているかのよう。半円形の通気口の有無で全体の印象は大きく変わる。第2回中部の駅百選では、見事そのうちの一つに輝いた。

 駅が竣工した大正8年は、前年に米価の急騰で米騒動が頻発した後、大戦景気に沸いた空気が翌年に潰えて深刻な恐慌に見舞われる直前の時代。日本の工業の発達はピークに達していた。やがて訪れる関東大震災をきっかけにして思想統制の機運も高まり、徐々に次の戦争の足音が近づいてくる不穏さもある。

 当時の様子を思い浮かべて、和装にカンカン帽をかぶった紳士たちがトランクや嚢を手に、次々と改札をくぐる姿を幻視した。

 

 

 それでは現代、令和の時代に意識を戻そう。

 ホームの屋根から大量に吊られているのは瓢箪だ。養老で伝統的に瓢箪が造られているのは、記事冒頭でも言及した古今著聞集内の「養老孝子伝説」が始まりなのだそう。養老の滝の名の由来ともされている。

 曰く、岐阜の山に源丞内というの青年が、酒好きの老いた父と共に貧しく暮らしていた。ある日彼はいつもより深い場所に分け入り、足を滑らせて川に落ちてしまう。しばらく気絶してから目を醒まし、どこからか漂う馨しい匂いを辿っていくと、岩の隙間から何かが滾々と湧き出ているではないか。すくってみると、信じがたいことにお酒の味だった。

 最近では父親に酒を買ってやる銭すらなかったので、驚き喜んだ彼は腰に括り付けた瓢箪いっぱいに酒を汲んで家へと持ち帰った。たいそう嬉しがった父親がそれを口にしたところ、みるみるうちに若返り白髪までも消えてしまったらしい。それからというもの、毎日のように丞内は山奥の沢に通い、彼のために酒を汲み続けた。

 奈良の都の天皇もうわさを聞きつけてこの地を訪れ、孝行息子を称えて元号を養老とした上、周辺地域の住民からの税の取り立ても止めたそうな。何とも、興味深い伝承である……。

 

 

 

 

 

  • 養老天命反転地

 

 さて、駅から15分ほど歩くと、ついに奇妙な建造物が眼前に現れた。

 これこそが《極限で似るものの家》と名付けられた、岐阜県を模した形状が上部に用いられている作品。建物部分は迷路じみた地図のパズルのようで、側には円筒状のオブジェから木が生えている部分もある。青空の下に広がる《楕円形のフィールド》と共に、養老天命反転地を構成する大きな二要素のうちの一つだ。

 2020年1月初頭から7月半ばにかけて、修繕工事のため一部エリアへの立ち入りが制限されている。1995年(私の生まれた年……)の開館から25年が経過しており老朽化も進んでいるのだろう。

 横目で見ながら柵の途切れる場所を探し、入場料を払って内部に足を踏み入れた。訪問者を出迎えるのは、鮮やかな24の色彩で彩られた《養老天命反転地記念館》。ちなみにお手洗いがこの中にある。

 床と天井が対応した鏡写しのようになっており、いずれも人工芝で覆われていた。

 



 そしてドアを出た先に待ち構えていたのは、岩場のような《昆虫山脈》と竹に囲まれた《不死門》

 前者は溶岩の集積の山のような風貌で、登り切ると頂上には古めかしいポンプ式の井戸が設置されているのが分かる。実際に水も出る。また、作品の構想にある「死へと向かう人間の宿命を反転させる」という一節を強く連想させる《不死門》の佇まいはある種の祈祷所のようだ。猫の像もある。

 敷地内のほとんどは斜面で構成されているといっても過言ではなく、動きやすい装備で挑むのは必須だが、一応無料で運動靴も貸し出されていた。

 半日楽しむとかなり身体を酷使するので、旅行で訪れるなら体力の配分を考えておくのが良い気がする。私達が訪れたのは岐阜訪問初日のこと。

 


 歩を進めると足元の地面が溝で分かたれ、滑走路のように隆起する《精緻の塔》に辿り着く。僅かに開いたスリットから内部を覗き込むと暗がりに何かあるようだった。

 今立っているこの地点は、例えるならばすり鉢のふち。養老天命反転地のほぼ全貌を見下ろすことができる。フィールド内には大小の日本列島が5つ配置されているといい、そのうち幾つかの位置は比較的すぐに分かるが、残りは隅々まで探索してみないとなかなか出会えない。

 私がこの作品で特に気に入っているのは、日常生活にも多く登場する机や椅子、寝台などの物品がその辺に散らばっていたり、構造体に侵食されていたりする部分。

 まるで不条理な白昼夢か、幼い頃に頭で思い描いた世界にうっかり迷い込んでしまったような気分になるからだ。

 

 

 

 

 周辺にソファーの散らばるオブジェは実際に《白昼の混乱地帯》と名付けられている。座る面が地面と平行になっていないので、腰掛けた時の違和感がすごい。作品の大きな特徴といえる。白い壁にめり込む台所のシンクもなかなか。

 他にも《陥入膜の径》《もののあわれ変容器》、《宿命の家》の内部で生活の痕跡に遭遇した。宿命の家では硝子板の下に謎の生活空間が埋まっている。日が昇ってから沈むまでの丸一日をここで過ごしたらきっと面白いだろう。ぜひキャンプをさせて欲しい(夜間の怪我人が続出しそう)。

 歩きにくい場所であっても、通常のアスレチックのように手足を掛ける場所が用意されていることはなく、時には全身を使ってバランスをとりながら移動する必要に迫られる。普段は意識しない自分の体に潜む可能性や、簡単には通れなさそうな地形に直面した際のひらめきが開花しそう。

 地形を通して自分が世界に接続される感じ――といってもなかなか伝わらないと思うが、本当にそう思えてくる。

 

 

 蔦植物に覆われてなお目立つ黄色い入り口《地霊》のもの。ここに、敷地内に複数ある日本列島のうちの一つがある。とはいえそこに辿り着くのは容易ではないのだが……。

 地霊の内部は文字通りに真っ暗だ。また、迷路のように入り組んでいるため来た道がすぐ分からなくなる。純粋に幅が狭い。やっとの思いで最奥部に至り、天窓に現れた形を眺め、そこから戻るのも一苦労。彷徨っていると結構不安になる。

 この難易度を数段階上げたような存在が対角線上に位置する《切り閉じの間》なので、慣れてきたら挑戦してみるといい。慌てず慎重に、足を滑らせないように。壁を両手でしっかりと触りながら。

 

 

 養老天命反転地は、目を開いたままでも没入できる白昼夢。

 記事冒頭で触れた「養老」の地名の由来と、荒川+ギンズの手がけた世界の奇跡的な融合に触れられるこの場所へ、新型ウイルスの脅威が薄れたらまた遊びに行ってみよう。

 

"ぼくが、そう、マドリン・ギンズも言い始めたけど、建築的身体を作るっていうことは要するにお化けを作るってことなんだ。私の延長になるお化けを。僕はそれができるってことが分かったんだ。いいか、生命は見つけるものじゃないんだよ、作り上げるものなんだよ。"

by 荒川修作

 

 

ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー

 

 岐阜旅行記事は次に続きます。