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彷徨する自由帖

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フローラ - 豊穣の女神のサロンに並ぶしましまの椅子|東京都・墨田区のレトロ喫茶店

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 フローラ(Flora)。

 聞くと、梶井基次郎の小説「城のある町にて」の一節が頭に浮かぶ言葉。

 これは春の季節と豊穣を司る女神の名前で、さらに、墨田区東駒形に存在している小さな喫茶店の店名でもあるのだった。開業する時お店の繁栄を願いつつ、占いの結果をもとにして選ばれたという「フローラ」のカタカナ4文字は、女神の纏う衣がなびくような曲線を描いて外の看板に刻まれている。

 ティーサロン……の下、フロ~ラ、と。

 看板は暗くなるとぽうっと光る。そしてその時間帯になると、上部の角が丸くなって横に3つ並ぶ窓から、あたたかそうな橙色の光が漏れてくる。実際に店内はとてもあたたかい。漂う空気と店主の人柄と、ふたつの側面で。

 

 

 店主ママ、佐知子さんがおひとりで回されている喫茶店は、営業日時も開店時間も不定。しばらく前まで体調不良で長くお休みをされていたのだとか。

 最近(2023年4月現在)では基本的に水曜日~土曜日の週4日程度で開店していると伺った。だいたい14時30分頃、場合によってはそれ以降から営業を始め、早く閉める日もあるけれど、最長19時くらいまで明かりを灯しているという。

 ご実家の横、駐車場だった土地を利用してお店を構え、看板を掲げて約44年。地域に親しまれ、墨田区が舞台の作品のロケ地(ドラマ版「主に泣いてます」の「純喫茶カトレア」やゲーム「パラノマサイト FILE23 本所七不思議」の「黒桔梗」等、聖地)にもなったり、各種ミュージックビデオの撮影にも利用されたりしながら、決して大々的に宣伝しているわけではないのにこの空間は多くの人を惹きつける。

 かくいう私も、フローラの雰囲気にすっかり魅了されたうちのひとり。

 

 

 昭和54(1979)年の開業当時、喫茶店の設計や、調度品を含む内装を考案したのは佐知子さんのお母様だった。すごいなぁ、洗練された感覚をお持ちだったのだな、と感じる。

 だって入店した瞬間に分かる、この空間にある見どころの多さ!

 なんといっても特徴的なのは布張りの「椅子」だった。縦のしましま……ストライプ模様の施された背もたれは、まるで西洋の盾を逆さにしたように、とんがりのある輪郭。茶色と黄色に見えるけれど、実は茶色と白色が本来の姿であって、40年以上の歳月を経て白が黄に変化したのだと聞いた。座面の黒い部分も含めてかつては全てがしましまだったのが、さすがに破れて、いちど張り替えられたのでこうなった。

 結果的に一層おしゃれになっている。

 経年による変貌が汚れではなくて、きちんと味になっている偶然もなんだか愛おしく感じられた。ちなみにカウンター側の回転椅子も、背後からだと黒い部分しか見えないが、くるっと回すと座面が同じしましまになっているのだった。

 

 

 こんな素敵な椅子一式をどこで探し当てたのだろう、と尋ねれば、浅草界隈で有名な「かっぱ橋道具街」とのこと。確かにあの場所なら、それは魅力的なものが沢山あったはずだと納得する。ただ、しましまの椅子を買ったお店に関しては、もう無くなってしまったのだとか。

 メニュー表の掛けられている壁、これは大きな銅板を贅沢に使った仕様。踏むと部分的にカタカタと鳴る床は、正方形のウッドブロックがひとつひとつ、タイルのように埋め込まれている。さらに天井板が並行ではなく斜めになっているのは空間を広く見せるための工夫……詳細を聞くほどに楽しい!

 注文する前からすでに満足度が期待値を超えている。もちろんワンオペなのでお忙しい時は難しいのだが、客足がまばらで空いていれば心躍るお話をたくさん披露してくれる、人間が好きなのだと語る店主ママさん。

 コーヒー豆の価格が高騰を続ける中、2023年4月現在でもブレンドの値段を400円のままに設定するなど、頑張っているのだという。それでも味を度外視して安いものを仕入れるより、きちんと自分でも美味しい、と思ったものしかお客さんに提供したくない矜持をお持ちだった。

 

 

 

 

 ご飯系の提供は現在停止していて、それでも飲み物以外だとアイスクリームやパフェ類を頼むことができる。また、アプリコットスカッシュなどのジュースはその上にアイスを乗せた、フロートの状態にしてもらうことも可能。

 アイスクリームや生クリームは牛乳屋さんから仕入れているおすすめらしいので、両方とも楽しめるパフェを頼んでみることにした。ちなみにメニューではバナナパフェとチョコレートパフェが区別されているものの、この頃は「もうどっちも一緒にしちゃってる」と語る佐知子さん。こういう感じも最高にlovely(イギリス英語的な用法でお願いします)だった。

 ありがたくも「気持ち大盛り」にしていただけた、バナナ的でチョコ的、素朴なパフェ。決して甘すぎないところが好みに合って嬉しかった。

 他にお客さんもいらっしゃらなかったので、食後にぐるっと店内を見学させていただく。ご実家の建物と店舗部分の境目が扉の向こうにあったり、試しにカウンターの内側に立たせてもらい、それで周囲全体を眺めたり。こぢんまりとしているのに広がりがある喫茶店の空間を楽しんだ。

 

 

 お手洗いが黒いタイル張り、かつ洗面台横に重厚な鏡が設置されているのもお母様の意向で、今はシンプルな照明器具も昔はシャンデリアだったのだとか。

 こだわって厳選されたシャンデリアは不運にも、お手洗いのドア外にストッパーが取り付けられていなかった頃、お客さんが思い切り開いてぶつけたことで粉々に割れてしまったらしい。とても残念そうだった。古くからずっと維持されているものと、対照的に入れ替わっていく要素、長い喫茶店の歴史にはそんな一幕もある。レトロな良さのバランスはそうして醸し出されているのではないだろうか。

 お手洗い近くに掛けられた「CAFÉ FLORA」の表札は、ドラム(楽器)の打面をリムから取り外してペイントしたおしゃれなもの。

 その背後の木目が印象的な壁……これがなんと黒松の一枚板だそう。銅板に並んで贅沢な仕様だと感心した。資金を投入して、良い素材で創り上げたお店がこうして残っているのは、一介の「少し古いものファン」として嬉しいことだった。

 

 

 不定休で、ときどきやむを得ず長く閉める期間もありながら、今後も可能な限りお店は続けていく予定だと語ってくれた佐知子さん。喫茶店のお仕事と並行して、過去にはTBSラジオ「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」にも出演されている。

 ふらっと立ち寄ったところから非常にあたたかく迎えていただき、常連の方々とお話しできたり、印象的な思い出やお店自体についていろいろ伺うこともできたりと、値段には代えられない時間を過ごすことができて嬉しかった。連絡先まで交換してしまい……また空いていそうな時間帯に付近を通りかかったら、何か飲みに足を運びたいと思う。

 所在地は墨田区東駒形、2丁目7番地12。最寄り駅は本所吾妻橋。

 ひとりでも安心して過ごせるおすすめの喫茶店。