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夢野久作《鉄鎚》など彼の作品に「電話」が与えた影響と魅力と - 門司電気通信レトロ館(旧逓信省の建物)|日本の近代文学

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……リンリン、リリリン……リンリン、リリリン……リンリン、リリリリリリリリ……

そんな風に繰り返して断続するベルの音を、青年は何となく緊張した態度で見守っていた。そのベルの継続のし方が、ちょうど鉄道か警察の呼出信号に似ていたからであったろう。

 

(角川文庫 短編集「少女地獄」(2012) より「女坑主」夢野久作 p.248)

 

参考:

田畑暁生「メディア・シンドロームと夢野久作の世界 」NTT出版

門司電気通信レトロ館|NTT西日本

 

 

 

 市内一通話、一圓。

 

 

 こういった自働電話で料金が「紙幣でも差支えありません」と書いてあるのは初めて見た。

 明治の頃、多くは10銭や5銭の硬貨が投入口に落ちる音の高低を交換手が聞き分け、相手に繋ぐ手順があったのだが、後の時代になって登場したお札も投入できるタイプの場合はかなり判別が困難だったはず。

 実際、昭和15年に「新硬貨」が登場した際も混乱があった。従来の硬貨と重さが違うので、音が変わってしまうために。

 タヌキやキツネが葉っぱを入れても分からなかったのではないだろうか。

 

 電話という道具、通信の手段は、100年前に比べれば随分と身近になった。電波の届く場所でならほとんど、いつでも誰とでも会話できる便利な状況が、むしろ煩わしく感じられる程度には。

 現代に存在する電話を嫌いな人の数は少なくない。会社にいるとき頻繁に利用する私も、別に好きではない。

 けれど改めてこの「奇妙な道具」自体の性質について深く考えてみると、面白い要素を沢山挙げることができるのだった。特に電話開通から間もない頃、まだそれがどちらかというと「特別な存在」であった時代の文学作品を通して見れば、なおさら。

 

 

 近代日本の表舞台に登場した電気通信関係の技術は、電話もさることながら、これに先立つ「電信(明治初期には現在の「電報」とほぼ同義で使われていた言葉。テレガラフ)」も含めて、一般市民からは妖しい存在だと思われていた。

 飛田良文「明治生まれの日本語」には電信に対する人々の不信感や、その結果、電信柱や架線に対して破壊行為を実行に移した彼らの様子や証言が載せられている。

 

明治四年八月には電信寮が設置され、[...] 五年九月には東西京間の通信ができるようになった。この間には、電信に対する妄想から電信線を切る騒ぎがあいついだ。

(中略)

「切支丹の邪法」とか「処女を強奪し、其生血を取て之を架線に塗らんとする」など、今日では信じられない話である。

 

(角川ソフィア文庫「明治生まれの日本語」(2019) 飛田良文 p.30-31)

 

 電信技術や設備が当時どのように認識されていたかを知って読むと、電話の登場する近代文学はさらに楽しめる。

 なかでも夢野久作の「鉄鎚」はとても好きな作品なので、著者の出身地へ赴き、そこで何か参考になるものを見られないかと探した。

 

 

 九州は福岡県、門司港に「門司電気通信レトロ館」がある。

 

 大正13(1924)年に建てられた逓信省(ていしんしょう)門司郵便局電話課庁舎、現NTT西日本九州支店の1階に展示物を並べ、無料で一般に公開されている小規模の資料館(「逓信」とは駅逓と電信から1文字ずつ取って造られた言葉)。

 鉄筋コンクリート造3階建ての目を引く佇まい、垂直の線に細長い窓が挟まれた印象に残る外観は竣工当時のままで、通信機器に必要な設備も大正時代から受け継がれてきている魅力的な近代建築だった。通常の官庁や邸宅などの建物よりも重視されていた要素は、例えば防火装置や、防塵に秀でた内装など。

 ここに新型交換機が導入され、袴を身に着けた交換手たちが日々の仕事に励んでいたのだという。「先進的な感じ」がかなり人気の職業であったらしい。

 

 

 夢野久作が福岡県に生まれたのは、明治22(1889)年のこと。その翌年、東京と横浜の間に電話線が開通しており、彼の生涯はまさに電話発達の初期段階とともにあった。

 短編「鉄鎚」に登場する児島愛太郎は、父から生前「悪魔だ」と繰り返し聞かされていた叔父の店に引き取られ、簿記の学校を出てからそこで働かされることになるのだが……

 彼が最も得意としていたのは他でもない、電話だった。

 

 

 

 

叔父に電話をかけて来るお客の声を、モシモシのモの字一字で聞き分けたり、受話機の外し工合で男か女かを察したり、両方から一時に混線して来た用向きを別々に聞き分けて飲み込んだりする位の事はお茶の子サイサイであった。世間の人間はみんな嘘を吐く中に、電話だけは決して嘘を伝えない。

(中略)

それは誰に話しても本当にしてくれまいと思われる電話の魔力であった。

 

(角川文庫 短編集「瓶詰の地獄」(2011) より「鉄鎚」夢野久作 p.128)

 

 生身の人間の声や仕草からは読み取れないものまで、電話は炙り出してくれる。そういう魔力がある、と愛太郎は思う。空想・想像に長けた彼には特に、その機微を読み取る素質が備わっていた。

 考えてみれば、電話において相手に聞こえる音というのは人間の喉からの声ではなく、スピーカーの振動である。受話器越しの声を「肉声」と表現される場合もあるが、厳密には違う。一度は別の波形に変換されて、電線を伝わり、再び吐き出され誰かの耳に届いている音……。

 なかなか亡霊じみている。目の前にはいない人間の声、正確には声の模造品を聞く、ということは。

 

 

 田畑暁生「メディア・シンドロームと夢野久作の世界」でも、電話コミュニケーションにおける虚構性、つまりは生の声ではないシミュラークルをやり取りしている事実に触れられている。

 電話越しの声から情報を読み取る特技を活かして、雇い主である叔父の財産を増やし、自分の俸給も上げ、部屋に帰るとますます空想の世界にのめり込んでいく愛太郎だったが、これまた「ある一本の電話」をきっかけに彼の人生とその周辺人物は大きく動かされることになる。

 

「あの……あなたは……失礼ですけど……愛太郎さんでいらっしゃいますか……」
「ハイ……児島愛太郎です……あなたは……」
「……オホホホホホホホホ……」
 ……受話機のかかる音がした。
 私も受話機をかけたが、そのまま電話口のニッケル・カヴァーを見つめてボンヤリと突立っていた。私の電話に対する敏感さをスッカリ面喰らわされてしまったまま……。

 

(角川文庫 短編集「瓶詰の地獄」(2011) より「鉄鎚」夢野久作 p.139)

 

 虚構の世界に半身を投じた彼が、最後に直面した「真実」とは何なのか。

 それが「鉄鎚」という物語の終局に待ち構えているのだった。

 

 

 ちなみに前回投稿した「女坑主」に関するブログ記事内では触れていない要素に、電話を用いた逮捕劇から受ける印象、ある種の「スピード感」があった。

 維倉門太郎から話を聞いた後、すぐに電話をかけてダイナマイトを手配するフリを見せた新張眉香子。偽装された倉庫主任への電話、そして警察へと瞬時に伝わった意図により成された維倉青年の確保は、のろしや手紙しか遠隔意思疎通の手段がなかった時代であれば、考えられない速度で行われている。

 また「少女地獄」を構成する一編「何んでも無い」の姫草ユリ子に目を向けると、作中で他の人物によりこう表現されているのが印象に残った。

 

「ところがユリ子は、その日の午後には病院にいなかったそうです。昨夜、君の病院の看護婦に電話で問合わせてみたのですが、何でも君が出かけられると間もなく横浜駅から自動電話がかかって、直ぐに身支度をして横浜駅に来いと命ぜられたそうですが……」
「ヘエ。驚きましたな。あの女は少々電話マニアの気味があるのです。よく電話を応用して虚構を吐きます。そんな電話が実際にかかっているように受け答えするらしいのです」

 

(角川文庫 短編集「少女地獄」(2012) より「何んでも無い」夢野久作 p.87)

 

 肉声、生の声、ひいては真実を扱うように見せかけて、実のところその存在こそが虚構じみた道具、電話。

 電信や電線が妖術の権化のように扱われていた時代から、間もない頃に書かれていた小説に描かれる姿は、現代の電話よりも幾分かおどろおどろしいだけに魅力も増して見えるのであった。