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彷徨する自由帖

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水の町・大垣に建つ城と 謎多き関ケ原ウォーランドへ……|岐阜県南部旅行(4)

 

 前回の記事の続きです。

 養老を辞してから大垣駅に戻り、そのまま付近のホテルで一泊した。これが岐阜県で過ごす初めての夜になる。

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大垣の夜

 本格的に暗くなるまでの間、五階のからしばらくカーテンを少し開けて外を覗いていたが、窓枠に切り取られた日没時の空の色と山々の稜線はまるで絵画のようだった。

 翌日の目的は二つある。まずは、松尾芭蕉の残した「おくのほそ道」の終着点である大垣の町や城を散策すること。その後、電車に乗って関ケ原の地を訪れ、怪しいテーマパーク《関ケ原ウォーランド》へと足を踏み入れることだ。

 後者に関しては、怪しいもの好きな友人(以前ピラミッド元氣温泉にも同行してくれた)にすすめられて存在を知った、謎多き施設。どうやら武将や兵士たちの人形が敷地内に所狭しと並び、関ケ原の合戦が再現されているというのだが、果たして……。

 想像が及ばないので却ってわくわくしてくる。

 ちなみに出発前のホテルの朝食バイキングでは、昨日の昼にも同じものを食べたことを失念し再びカレーを選んでしまった。引力には逆らい難い。ちなみに、後ほど関ケ原で食事をとる際もまた、うっかりカレーに心を絡めとられてしまう未来をこの時点で私は知らない。……まあ、単に少し抜けているだけな気もするが。

 散策を始めよう。

参考サイト:

水都旅(すいとりっぷ)(大垣・西美濃観光ポータル)

関ケ原ウォーランド | warland(公式サイト)

 

大垣の城下町

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青空の下

 外を歩けば目に入るのは、町並み全体を俯瞰する城が一つ。言うまでもなく大垣城である。

 今では本丸と天守の周辺が公園となっている程度の広さだが、かつてはその三倍以上もの面積を誇る、堅牢な一大要塞だった。町中にグルグルと張り巡らされた水路もその名残だ。

 流れを覗き込めば底に生えるが光を反射して色鮮やか。密集したそれらが水の軌道に沿って葉を揺らす様子は、まるで巨大な動物の背か、その美麗なたてがみを眺めているようだと思わされる。あるいはでも沈んでいるのだろうか。

 そこまでとは言わずとも、以前は城を守る堀でもあった水路の数々だから、敵襲に際しては兵の道を阻む存在として目覚め立ちはだかったのだと考えれば面白いし、妄想が捗った。城へ向かう道の角に面した地点で木の橋を渡って、浮足立つままに靴音を鳴らす。

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綺麗な水

 現地観光ポータルも、この水のある町の特徴を前面に押し出している。たらい船での川下りなどはその最たるもの。江戸時代に編纂された「おあん(おあむ)物語」の中で、石田三成の家臣・山田去暦の娘おあんが大垣城から逃げる際に用いたタライが、現在毎年4月に行われている催しの由来だった。いつか乗ってみたいものだ。

 大垣城は、関ケ原の合戦時には三成の本拠地として機能したこともあり、この地での戦いもたいそう苛烈なものであったそう。いま周囲を見渡せば八重咲きの花桃とせせらぎの音、弥生の風に包まれて、悲惨さや血腥さはほとんど感じるべくもない。

 広場では子供たちが遊んだり、近隣の人々がベンチで憩ったりしている。

 側に鎮座していたのは昭和初期、戦前に建てられた大垣消防組員頌徳碑。水盆に施された文様やふくらみを持たせた12本の柱、そして上部に戴かれた銘と図案が厳かで美しい。同時代の優れた建築を連想させる要素が多分に集まっていて魅力的。

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 城は昭和20年の頃、天守閣をはじめとして、国宝指定されていた艮隅櫓(うしとらすみやぐら)を含む多くの貴重な遺構が戦災により失われた。それは残念ではあるものの、後の昭和34年には再建が行われ、当時のまま残る門の一部は移設されて佇んでいる。

 時に、城壁に設けられた無数の小窓――狭間(さま)がどうして丸・三角・四角のような形状を採用しているのか、私は最近まで知らなかった。

 調べると、利用する武器の種類によって対応する穴の形が変わる、とある。例えば弓なら縦長の四角、銃なら三角や円といったように。また、敵から視認できないようカモフラージュされているタイプもあるとのことだ。納得した。

 そんなことを考えながら門をくぐった先にあるのは史料をもとに再現された天守。四層構造になっており、国内でもかなり珍しいものなのだと聞けば、現存していないのがさらに悔やまれる。息切れしながら一気に階段を上れば、最上階から遠くの山まで見渡せた。

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時の太鼓

 天井から釣り下がるのは、表面に九曜星のあしらわれた太鼓。これは昭和51年に寄贈されたものだった。

 館内の説明によれば、江戸時代には大垣城の門のうちの一つ・俵町柳口門に太鼓が設置されており、城下町全体に時刻を伝えていたという。大垣の人々が口ずさんでいた古謡の中にもその存在を確認できる。

天気よければ大垣様の

時の太鼓の音のよさ

 城を辞する際に足を止めて耳を澄ませば、どこからか、時を告げる太鼓の音が聴こえるような気がする。幽かに遠くの方から。ふと、静かな町の一角に何か人ならざるものがいて、両手でバチを振るう様子を脳裏に浮かべた。その響きでわずかに震える空気はきっとこの世のものではない。

 実は最近、城のある町にまつわる怖い小説を読んでしまったので、似た要素を持つ場所を歩くのは少しだけ恐ろしい。たとえ隣に友達がいても、だ。

 外に出て、馬に跨っていた大垣藩初代藩主・戸田氏鉄公の像の前を通ったので、そっと挨拶をした。

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金蝶園總本家

 水路沿いを歩いて辿り着いた大垣駅の前には和菓子屋さん、金蝶園総本家の本店がある。ここで試しに季節のいちご餅を買ってみたのだがとても美味。粉をはたいた、柔らかな餅記事の内側にクリームチーズが充填されていて、核となる部分を占める苺は大粒で甘い。舌にしつこく残らない食感と味はまるでのようだった。大満足。

 夏は店頭で、名物の水饅頭が水槽に並ぶのを見られると聞く。暑い日などにぜひ訪れたいものだ。

 ここから電車に乗って関ケ原へ、いざ出陣。

 

関ケ原ウォーランド

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古戦場跡にできた駅

 JR東海道本線、関ケ原駅。鉄橋の上からぐるりと見渡すかぎり何も無い。唯一、改札を出て少し歩いた場所に咲く水仙が可憐で、荒涼とした大地に春の訪れを告げていた。

 関ケ原ウォーランドはそれ自体が興味深いB級スポットだが、所在地も駅から徒歩約25分程度となかなか微妙な距離にある。特に険しい坂や歩きにくい道などは無いので、周辺を散策がてら現地へ向かうのが個人的にはおすすめ。途中に首塚や資料館などもあって楽しめる。

 少し離れた場所に目を凝らすと、戦国武将の甲冑に身を包んだボランティアの方々が、ゴミ拾いや清掃をして下さっているのが確認できた。あまり近付きすぎたらきっと討ち取られてしまうので遠巻きに。さすがに関ケ原の井戸で自分の生首を洗いたくはない。

 根気よく歩みを進めれば右手の方角に山々と、左手の方角にはずらりとが並んでいるのが見えてくる。入口で入場料(500円)を払い、好奇心に震えながら門をくぐった。一体何がこの先に……?

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襲撃あり

 丸腰でいたら早速兵士に襲われた。ここが、関ケ原ウォーランド。すなわち修羅の国――。

 一万坪を誇る敷地内には、岐阜県中津川市出身のコンクリート作家・浅野祥雲が遺した、膨大な数の等身大人形が設置されている。その数は二百を超えるという。日本国内にはウォーランド以外にも彼の作品を拝める場所が幾つかあり、ほとんどが、祥雲氏が30代の頃に移住した愛知県内に集中している模様。

 ひとつひとつが手作りで造形と彩色の施された人形は、佇まいといい表情といい、実に言葉にしがたい印象を鑑賞者の胸に深く刻む。見開かれた眼、半開きの眼、あるいはぎゅっと引き結ばれた口元……。合戦時のまま時の流れを止めたこの場所で、彼らは今日も戦い続けていた。

 写真の枚数に限りがあるので、全ての兵士の姿を紹介できないことが悔やまれる。

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 作者の想像力の賜物か、水しぶきのようなものを纏いながら敵に突進する騎兵もいた。力や勢いを表現しているのだろうか。

 上の作品からも解るように、園内の人形たちは関ケ原の合戦の縮図とはいえ、決して単なる再現になっているわけではない。陣形や陣幕、配置こそ史実を踏まえたものではあるが、それを作者なりに解釈し、また別の舞台の一幕へと変貌させているといえる。

 あまり長居しすぎると夢の中に大量の顔が出てきそうだ。恐ろしい。

 ちなみに、係の人に言えば甲冑や模擬刀、火縄銃などの装備や小道具を借りられて、実際に身につけたり持ち歩いたりしながら散策と写真撮影ができる。都合が合えば館長じきじきに解説をしてくれる場合もあるそうだ。それもウォーランドの名物なんだとか。

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信玄公

 また一角には、実際の戦場には存在することのなかった武田信玄の「亡霊」が、声高にノーモア関ケ原と平和を叫んでいる。

 没してなお、負の連鎖を生む戦いを繰り返すなと告げるために蘇った彼。その教えを念頭に置きつつ私達は先へと進んだ。ちなみに流れているBGMもほら貝や雄叫びなど、戦場を強く意識した仕様に統一されており、こだわりを感じる。

 気になるのは敷地の端の端、石田三成率いる一団が陣を構える空間。高架下の落書きのような「大一大万大吉」の表記に迫力があった。滋賀県のCMなど、何かとネタにされる機会の多い三成だが、大垣城の歴史解説ムービーを鑑賞した後だとさらに理解が深まった。

 彼の大いなる企ては失敗に終わったものの、こうして後世に末永く名を残し、地元の民に愛された彼は今頃どんなことを思っているのだろう。まあ私達には知る由もないが……。

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家康と首

 そんな関ケ原ウォーランド。興味がある人も無い人も、訪れて損することは多分ない。

 後ほど、近隣の土産店に併設されていたレストランで近江牛乗せカレーをいただいた。これが結構おいしくて嬉しい。お腹も一杯になった。記事冒頭で書いた通り、一泊二日の岐阜滞在中、計三食が図らずもカレーになるという判断ミスはあるものの後悔はしていない。そもそも一口にカレーと言ったって具も味も違う。だから、家に帰ったらまた違うカレーを食べたいと唐突に思った。

 腹が減っては戦ができない。とはいえ、満腹になるまで食事をしたらすぐには動けなくなる。ならばもう牛になるまで寝るしかないではないか。私がいま目の前にしている牛肉も、ひょっとしたらそんな風にして牛に姿を変えてしまった人たちの成れの果てなのかもしれなかった。

 食べたら時間を置いて運動が鉄則。うっかり、家畜として捕まってしまわないように。

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近江牛カレー

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