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彷徨する自由帖

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合法的邸宅立入は罪にならない - 千葉市ゆかりの家・いなげ(旧武見家住宅)大正初期|稲毛区の近代建築

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 家宅への、正当性なき侵入は違法な行為。

 加えて侵入後の住民への加害……具体的には殺傷や、金品の窃盗、果ては覗きに至るまで「勝手に他人の家に上がり込んで何かする行為」は法律で明確に罪と定められており、そのような犯罪を犯したことが露呈すれば当然、刑に処される。

 さて。

 私は自分のものではない建物、大規模な公共施設などもさることながら、とりわけ個人が所有していた古い邸宅や別荘の内部を「合法的に」ウロウロと歩き回るのが好きである。住民のいない家の中を、とてもお行儀よく、でも好奇心に満ちた眼をくまなく細部にまで向けて探検する。もちろん何もいけないことをするつもりなどなく。

 これが可能になるのが「見学」というもので、日頃から公開されている邸宅もあれば、特別な機会にのみ一般の人間を受け入れているところもある。入場料がかかる場所もそうでない場所も。当ブログの近代遺産カテゴリーに投稿している記事の大半は、そういった建物の内部を実際に歩いた記録である。

 

 合法的邸宅立入、もとい、建物の見学はやめられない。

 

 

 千葉県千葉市稲毛区、旧神谷伝兵衛稲毛別荘から歩いて数分のところに、旧武見家住宅がある。見学は無料で、所定の休館日を除けば年間を通して公開されている施設。現在は「千葉市ゆかりの家・いなげ」という名称で市に管理されている地域文化財。

 大正2(1913)年頃の建築といわれており、庭付きの主屋に小さな洋間と離れが増築された、海辺の別荘らしく風通しのよい佇まいの邸宅だった。

 ここにはかつて、中国清朝最後の皇帝(ラストエンペラー)であった愛新覚羅溥儀の弟・溥傑という人物が、妻・嵯峨浩と共に半年ほど滞在していた記録が残っている。彼らの新婚当時、昭和12(1937)年のことだった。嵯峨浩は自伝「流転の王妃」のタイトルでも有名。

 ゆかりの家で過ごした穏やかな日々は、その記憶にも幸せな思い出として刻まれていたのか、溥傑は浩が亡くなった数年後にこの場所を訪れて過去を偲ぶ書を寄贈している。

 

 

 見学できる保存建築の多くは日頃から綺麗に整備されているし、時にはまだ人が暮らしているかのような演出(家具や小物を並べたり、音声を流したり……)が加えられていることもあるが、訪れた「千葉市ゆかりの家」は特別なものが何もなくても常に誰かの気配を感じる場所だった。

 引き戸の玄関に廊下の先の洗面所、離れの棟に続く飛び石など、どこに目をやってもどこに立っていても。

 稲毛付近の海岸が埋め立てられていなかった頃は、もっと近くにあったのであろう海。そこから流れてくる空気が、現在と遠く離れた時間のものまで運んでくるようで、縁側から庭を眺めてみると自分のすぐ隣に座っている者がひとりかふたり居るように思える。湯呑みなんかを手にして。

 振り返れば主屋の広い部屋にある天井は格調高い格天井で、欄間の亀甲格子をアレンジした組子細工や、鴨居の上の透かし部分などからは、高級な意匠の感じがした。しかし肩肘張った堅い印象は薄く、つい上着を脱ぎ鞄を下ろして畳に転がりたくもなる。その程度には落ち着く。

 

 

 屋内に差し込む光は穏やか、かつ柔らかい。決して鋭くはない。

 きっとそれは、障子の張られた戸や欄間、結霜ガラスを通して濾過された明るさだからだ。開放的ではあるけれど陽の眩しさは巧みに避けられるようになっている気がする。良い意味で陰があり、しばらく過ごしていても光の強さに落ち込まない。そのやさしい暗がりが見学者をこの空間に留まらせる。

 昼間でこういう雰囲気なら、夜にそっと電燈を灯してみた時に広がる明かりの色は、また質感は、どんなものになるのであろうか。「ゆかりの家」は照明器具の形にも種類がある。他の近代邸宅の多くと同じで魅力的だった。

 天井から釣り下がる金具の形も、飾りも。花の蕾に似て茎から伸びているような廊下の照明も、多角形をした半透明の傘に柄がついている電灯も、全部。古めかしいスイッチまで含めて。

 

 

 この家にとって赤の他人でしかない私でも、公開されていれば見学という名の侵入が合法的にできるし、心ゆくまで中を覗くという目的も果たせる。今は自治体の持ち物でも、かつては誰かの私的な所有物だった空間を。

 これほど心躍る楽しみってあるだろうか。

 再び玄関に向かって建物から去る時までには、自分が家を観察したのではなくて、むしろ家の側がこちらを気まぐれに飲み込んでから適当に吐き出したのだ、という気分にもなる。どうしてだか。

 そういう感覚は以前にも下の記事内で言及しているので、読んでみてほしい。

 

 

 

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