筑前と豊前の間に位置し、それらの頭文字を取って筑豊(ちくほう)と称されるようになった地域。
明治28(1895)年に開業した豊州鉄道をはじめ、筑豊周辺の鉄道路線は「炭鉱」の隆盛と共に発展したのだと調べるほどに実感する。石炭を船に積んで川を下った頃から、蒸気機関車の出現を経て、現在まで路線が受け継がれてきている……。
今回、田川市石炭・歴史博物館へ行くのに利用した「日田彦山線」もそのうちのひとつ。
小倉駅で乗車し、そこから南小倉駅までは日豊本線の区間(直通)で、城野駅を越えると本格的に日田彦山線の領域に入る。
非電化の路線なので、いわゆる「電車」ではない。かつては急勾配を、神奈川の箱根登山電車のようにスイッチバックを用いて越えていたという。
博物館の最寄り、田川伊田駅で降りた。
ちょうど牧村健一郎「漱石と鉄道」を読んでいて、もしも田川伊田駅で平成筑豊鉄道・田川線の方に乗り換える時間があったら、あの駅に立ち寄れたのだなとふと思った。東犀川三四郎駅……。
夏目漱石「三四郎」の主人公と、そのモデルと言われる人物、小宮豊隆の生まれはこの筑豊地方。三四郎は物語で田川線の行橋から門司に出、連絡船で下関に渡ってから鉄道で神戸に至った。東海道線に乗り換えたと考えられる。その様子を想像する。
田川伊田駅のホームに立っていたら、鳥笛にそっくりの、甲高い金属的な鳥の鳴き声が耳に届いた。
風の強い日だった。
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