近代遺産
整っている。あまりにも、顔が良い。これが第一の感想。そもそも南木曽に来た理由の筆頭は、付近にある福沢桃介記念館を訪問することであり、この橋の方はそのおまけくらいに考えていた。ところがどっこい。桃介橋、素晴らしいじゃん。こん……っなに造形が整…
目黒にある東京都庭園美術館では、毎年「建物公開展」が開催されている。美術館と名付けられ、通常は展示物を引き立てる空間として機能しているこの旧朝香宮邸の、建築様式や内装といった建物自体に着目するための企画。作品保護のために閉め切られていた窓…
東海館は昭和3(1928)年、稲葉安太郎という人物によって創業された温泉旅館であった。彼は伊東の材木商。それもあってか、館内の各所に使われている木やその加工には確かなこだわりを感じるし、増築時にはわざわざ各階の意匠を評判のよい棟梁へ依頼しているよ…
目黒駅より徒歩数分。ホテル雅叙園の「百段階段」は昭和10(1935)年に完成した、敷地内に現存する中では最も古い、唯一の木造建築。正式には、ホテルの前身である「目黒雅叙園3号館」のことを指す。料亭の明朗会計を売りにした雅叙園は、細川力蔵とその相棒、…
大正期に建造された洋館付きの日本家屋は、時に文化住宅と呼ばれる。近代の文明開化期において、「文化」という言葉が最新だとか、あるいは先進的だとかいう意味も兼ねて使われていた頃の影響で。東京は台東区上野、池之端の三段坂に面する岩田邸は、和館部…
えの木ていは近代の西洋館を利用した洋菓子店で、予約すれば2階の個室を貸し切りにでき、何にも気兼ねすることのない空間でアフタヌーンティーが楽しめる稀有な場所。ふつうに西洋館の一角でティータイムを、というのももちろん良いが、部屋自体を貸し切ると…
今回は運良く、以前から入ってみたいと渇望していた客室、本館西棟の「あららぎ」に滞在することができた。横手館内でも最も格調高いとされている美しい部屋。値段は他の西棟の客室と特に変わらないため、偶然にも割り当てられたら、建物好きとしては実に嬉…
宮本百合子、高村光太郎、森鴎外。他にも数々の文化人にゆかりある千駄木の土地には、戦前に建てられ、空襲被害や倒壊を免れて今でも建っている住宅が多くある。そのうち島薗家住宅は昭和7(1932)年に竣工した個人邸であり、先の5月1日はその一部、和館の部分…
黄昏の深く青い空を切り取って、大きな星を埋め込んだみたいな天井。等間隔に椅子が並んだ円形のシガールーム。どこだかもう憶えていない場所で写真を見たときから、ずっとこの部屋に入ってみたかった。先日その夢を叶えられたので嬉しい。4月26日に開催され…
何度も訪れている地域だが、私がこの旧公衆衛生院の存在に気が付いたのはつい先日のことであり、こんなところに随分と大きな近代建築があったものだ、と感心して東側から正面入口の方に回った。昭和13年に竣工した鉄筋コンクリート造りの建物。設計は、かつ…
タイトルの通りです!雑多な記録や言葉による表現など、それらとは分離しておいた方が今まで訪れた近代遺産の見返しが楽だったので、既存アカウントとは別にもうひとつ作りました。建物の名称と建築年代、わかれば設計者、また簡単な特徴を添えて写真を投稿…
ゲーム中に元ネタとして散りばめられている要素を見つけるのとか、今までに訪れた近代遺産が背景スチルのモデルとして登場するのに気が付くのとか、シナリオ以外の部分でもわりと楽しめた。公式サイトの「奥付」ページで読める後日談、実際にはもうほとんど…
本館、正面入口から伸びる大階段。青いカーペットをできるだけ優しく踏んで上った先には、エレベーターの扉と、盤面の周囲に美しい石の彫刻が施された時計がある。壁の画は「天女奏楽之図」で、川島甚兵衛が製作した綴織だった。時計、といわれて私が真っ先…
洋館長屋で見ることができる家具類や工芸品の目玉は、アール・ヌーヴォー(Art nouveau)の流れを汲んで19~20世紀に制作されたものの数々。アール・ヌーヴォーは表面的に言うと、多くの機械工業的製品とは対照的な、植物や生き物を思わせる造形と、そこから…
神戸の異人館街には、瀟洒な下見板張りや、暖かみを感じさせるハーフティンバー風の外壁を持った近代の洋館がたくさん建っている。だから初めて「うろこの家」を目の当たりにしたとき、きっとこの邸宅の特徴的な壁——愛称の示すとおり、魚の鱗に似ている——も…
京成電鉄金町線、柴又の駅から徒歩約6分。東京と千葉の境を流れる江戸川、その矢切の渡しにほど近い、柴又寅さん記念館と通りを隔てて建っている施設が「山本亭」だった。もとは、合資会社山本工場を創立し、カメラの部品を製造していた山本栄之助という人物…
受付に座っていたのは、随分とクラシカルな服装に身を包んだ小柄なメイドさんだった。彼女の佇まいに少し驚きつつ入場券を買ったとき、「この異人館には、他とは大きく違う特徴がひとつございます」と言われて、まばたきをする。さて一体なんのことだろうか…
伝兵衛が東京都浅草で「みかはや銘酒店(現・神谷バー)」を開業してから、かねてより計画していた醸造場の建設に踏み切り、それを完成させたのが明治36(1903)年のこと。彼は茨城県、牛久市の一角(昔の稲敷郡岡田村、女化原)を開墾してブドウ園とし、醸造…
稲毛に別荘を建てた神谷伝兵衛(傳兵衛)は牛久シャトーや、電気ブランで名を馳せた神谷バーの創設者であり、商才を持つと同時に洋酒への比類なき情熱を抱いて生きた実業家だった。建物は平成9年に国の有形文化財に登録されている。正面の外観を視界に収めて…
伊東のハトヤホテルに泊まってみようと思ったのは、今度は営業中の豪華ホテルの館内を見て回り、感想を綴りたくなったから。その存在は友達に教えてもらって知った。立地的に、ニューアカオが海なら、ハトヤは山……そんな印象を受ける。ちなみに昭和50年に新…
先日、熱海の起雲閣にもう一度足を運ぶことができた。ちょうどよい機会があって。内田信也の別邸として大正8年に竣工、その後、根津嘉一郎の手に渡ってから大幅な増築が行われた和洋折衷の館は、玄関にあたる表門から庭園に至るまで余さず魅力だらけの場所。…
大昔の遺跡か、未来の何かの基地。面白いことにどちらともとれる外観の建物は、海の側から川に沿って道を歩いていくと、丘の中腹に見えてくる。不思議な四角い形の塔がその屋根から空に伸びていた。ざらついた大谷石の部分に施された、幾何学模様の装飾がす…
//);//]]> 前回の記事: 公式サイト: 博物館明治村 | 愛知県犬山市の野外博物館 大正12年に竣工した、フランク・ロイド・ライト設計の帝国ホテル中央玄関。 開業日はなんと関東大震災の当日だったというから驚きだ。 これは当時、東京都千代田区……かの鹿鳴…
JR池袋駅、山手線のホームから改札を出て大通りを渡ったら、少し入り組んだ細い道を進む。この先数百メートル……という看板は親切に出ているものの、本当にこんな住宅街の中に学校が建っているものなんだろうかと訝りつつ、曲がり角が多いので対向の車や人間…
鳩山会館も、時に音羽御殿と呼ばれることがある。大正13年に竣工、空襲被害や老朽化を受けて大幅に修復され、現在も文京区に建ち一般に公開されている邸宅。地下鉄護国寺駅の5番出口から、講談社、光文社と有名な出版社のビルが両脇に並ぶのを過ぎて、関口台…
過去に内部を歩いた近代建築を再び探索するのはかなり面白かった。昨年は思いもよらなかった箇所に目が行ったり、隣に立つ誰かの意見を聞いたりと、初見の時には咀嚼しきれなかった要素をたくさん味わえたために。普段は新しい邸宅の魅力を探すのに血眼にな…
現在神戸文学館として公開されている建物は、明治37年に建てられたものだ。もとは関西学院の礼拝堂、ブランチ・メモリアル・チャペルで、イギリス人建築家ヴィグノールの設計と、吉田伊之助の施工で完成したものだった。それから関西学院が上ヶ原へ移築され…
大正10年から建設が始まり、同12年に竣工した、旧田中家住宅。国の重要文化財に指定されている。スパンドレルのある窓の並び方も、壁の飾りも実に魅力的で、この館の付近で暮らすことを夢想せずにはいられない。私は朝早く起きて一度、また夜眠る時にも一度…
八幡堀の手前には旧八幡東学校の校舎が残っている。現在では「白雲館」と呼ばれている、疑洋風建築である。白雲館(旧八幡東学校校舎)は近江商人の集めた資金により明治10年に建てられた。そのほとんどが寄付で、当時の値段にして約6000円だったという。設…
八幡堀の南側に広がる区域は特に整然としていて、碁盤の目とまではいわないが、地図を眺めてみると似た形の四角がたくさん並んでいる。JR近江八幡駅から徒歩約30分。体力温存のためにバスに乗っても良いけれど、運河に至るまでの周囲の様子を肌で感じながら…