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彷徨する自由帖

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旧公衆衛生院(港区郷土歴史館)- 円形の吹き抜けホールに心も吸い上げられる、昭和初期の「内田ゴシック」建築|ゆかしの杜

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公式サイト:

港区立郷土歴史館

 

 名建築である旧朝香宮邸(東京都庭園美術館)の入口から、歩いてものの十分と少し。

 何度も訪れている地域だが、私がこの旧公衆衛生院の存在に気が付いたのはつい先日のことであり、こんなところに随分と大きな近代建築があったものだ、と感心して東側から正面入口の方に回った。

 昭和13年に竣工した鉄筋コンクリート造りの建物。

 設計は、かつて東京大学(旧帝国大学)の総長を務めたこともある内田祥三で、東大本郷キャンパスに存在する大講堂(安田講堂)も手掛けている。作品のうちいくつかは「内田ゴシック」の通称で呼ばれ、独自の様式の特徴を持っているのだった。

 

 

 建物の正面側に立つと、両脇を固められている印象が強くなる。その建物の特徴的な形ゆえに。カタカナの「ヨ」の字の真ん中の棒をごく短くし、さらに上下の直角を平らに削り取ったような姿が、それをした地図上では顕著にわかる。

 左右に翼を広げて、少し丸めて、入退館する人々を囲い込む風にして佇んでいる。

 2002年に国立公衆衛生院が国立保健医療科学院として改組され、本拠地を和光市に移して以来、この建物はしばらく廃墟状態になっていたのだという。その後、2018年に複合施設「ゆかしの杜」として整備され、港区郷土歴史館を内包して一般公開されるに至った。

 日常的な手洗いなどを普及させ、国民の公衆衛生意識と生活水準を向上させるための研究が進められていた施設。それゆえ、館内の各部屋には必ずと言っていいほど洗面台が設けられていて、職員がどこでも流水を使って手指を清潔に保てるようになっている。

 

 

 この建物に存在する大きな見どころのうちのひとつは、内部に足を踏み入れてすぐに現れた。

 格調高く、光沢のある石の素材が壁や床などそこかしこに使われ、照明の明かりと窓からの光を受けて反射する中央ホール。研究施設ではなく舞踏会場かと見紛う空間を歩けば靴音が響き、大階段も相まって城にでも迷い込んだ気分になった。

 瞠目したのはそんなホールの吹き抜けと、頭上の円周に配されたレリーフの意匠。近代建築物のフリをした大きな宇宙船みたい。

 ビスケットか額縁を連想させる図形は何とも言えず子供部屋のようで、まったく異なる設えであるのにもかかわらず、氷川丸の一等児童室を思い出した。あの部屋は天井の電灯が円形に配されていた。

 

 

 実際に館内を歩いてみるとかなり面白い感覚を抱くことになる。

 前述したように、角ばって弧を描く形をした建物は、内部の廊下が折れ曲がりながら横に長く伸びている。突き当りには大きめの空間。

 見学可能な1階から6階までがほとんど同じ構造をしているため、一体いま自分がどの階の、どの場所に居るのかを容易に見失ってしまう。同じところを2度も通ってしまったり、両脇に部屋が並んでいるせいで廊下自体には窓がないから、外が見えずに時間の感覚が狂ったり。

 人の少ない時間帯を選んで行くとなおさら自分の足音が耳につき、それがだんだんずれて二人分、三人分に増えていくのではないかと不安になる。

 建物が整備されてこういった施設になる前の様子をぼんやり想像した。研究員ら職員が館内から消えて久しく、もう誰も立ち入らなくなった廊下に不意に響く話し声や水音。それを観測する者が誰もいないから、そこには長らく人っ子ひとりいなかったことになっているだけ。

 

 

 

 

 廊下の先で両開きの扉がふたつ並び、開け放たれていた。やっぱり生き物の口みたいだし、同時に罠みたい。心奪われる危険がわかっていてももちろん進む。

 旧公衆衛生院、公開されている部分でおそらく最大の広さを誇る空間が、4階の旧講堂であると思う。階段状の床に340の座席が配され、木の格子と太い梁の上には天井板が載り、特徴的な円盤状の照明器具が張り付く。中央ホールの吹き抜けに吸い上げられた魂はきっと自動的にここへ送られるのだろう。

 声が聞こえる。深いビリジアンの黒板の前、壇上に誰かが立っている。さっきまでは誰も座っていなかった座席の列に無数の後頭部が並び、視界が晴れるように雲から顔を出した太陽の光が窓から差し込んできた瞬間、それらはすべて消えてしまった。

 黒板の両脇上部に飾られている丸いレリーフは、明治30年に山形で生まれた彫刻家、新海竹蔵のもの。大正元年に上京し、数々の作品を残した人物。

 

 

 

 3階に下っていく。すると旧講堂のような迫力はないものの堅実な重厚さを持つ部屋、旧院長室が旧次長室の向かいにあるのだとわかる。

 空間を構成する大部分の素材はベニヤ、床には寄せ木で文様が描かれていた。大きなラジエーターの上には中央ホールにあるのと同じデザインの時計が壁にかけてある。

 格式ある印象の中でも抑圧を感じさせないのは、きっと壁の二面が窓となって開放的な要素を取り入れているためで、差し込んでくる光は実際に美しかった。

 他にも旧公衆衛生院内部には心躍る地点が多数存在していて、それらは小さなものであっても確実にこの建物の経てきた歴史を証明するものだった。例えば古いエレベーターのボタンや、その上に存在する漢字カタカナ交じりの表記、大理石の床に残るお手洗いの痕跡など……。

 痕跡はとても好きだ。もうないものの影が、そこに焼き付いているみたいで。みたいというか文字通り実際にそうなのだろう。

 

 

 1階というとはじめに降り立った中央ホールの場所だと思ってしまいがちだが、実はあのフロアは2階である。そういう造りもどこか訪問者の感覚を惑わせる一因のはず。

 本当の地上階には、階段を下ったところに採光窓が設けられていた。タイルのようにお行儀よく敷き詰められたプリズムガラスのブロック、これは建設当時まだ心許なかった地階の照明を補助する目的で、ここに据えられたもの。

 ガラスブロックはつい積み上げたくなるから大好きだ。

 この裏側から天井を俯瞰したら、どんな光景が目に飛び込んでくるだろう。ガラス越しに注がれる光は、おそらくその上の近くを誰かが通るたびにわずか揺らぎ、まるで水中にもぐって水面を眺めるような、魚か何かになったような気分を人に抱かせるに違いない。

 今はそこまで降りていくことはできないけれど、私も十分に回遊魚の気分を味わった。何層にも重なって繰り返される、幾度となく折れ曲がった研究施設の廊下を歩いて。

 

 

 例の吹き抜けに吸い込まれてからふたたび吐き出され、佇んでいると不思議な音に気が付いた。定期的にどこかで、カシャカシャいう。

 黙って耳を澄ましていたら視界の端に動くものがあり、首を向けた先、そこには時計があったのだった。分針が動くたびに空気が震えて鼓膜に届く。カメラのシャッター音をごく軽くした感じ……と表現したくなる音だった。

 旧公衆衛生院の建物は無料で見学することができる。

 郷土歴史館の展示は300円で観覧することができ、地域の歴史の概略を掴めるので、そちらも良かったと記しておく。