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【宿泊記録】憧憬を抱いて横手館 本館西棟客室「あららぎ」へ - 大正浪漫の趣ある木造旅館|群馬・伊香保温泉

 

 

 

 

 

 伊香保温泉の石段街。

 最下段に位置するアルウィン公園からまっすぐ上へ歩いて7分ほど、斜面に立ち並ぶ店々の側面を一望できる高さに来たら、和風のカフェがある通りを左折する。そうすると見えてきた。コの字型の空間、少し奥まった場所にある入口。

 4階建ての佇まいには圧倒された。表から見える部分はほぼ全面がガラス窓で構成されており、外に突き出た各階の細い庇を化粧垂木が支えていて、梯子か神様の通り道みたい。

 周囲が暗い夜に前を通りかかると、内側からぼんやり、橙色に発光しているようにも見えるのだった。でも今は静かに息をひそめている。

 

 

 ここは、古式ゆかしき名湯之宿、横手館。

 平成28(2016)年に国の登録有形文化財として認定された、大正時代の佇まいをほとんどそのまま残す木造旅館建築であり、実際に宿泊することのできる近代遺産でもある。

 今回は運良く、以前から入ってみたいと渇望していた客室、本館西棟の「あららぎ」に滞在することができた。横手館内でも最も格調高いとされている美しい部屋。値段は他の西棟の客室と特に変わらないため、偶然にも割り当てられたら、建物好きとしては実に嬉しい。

 いつも追いかけている近代の建築の魅力、しかし今回は洋館や官庁舎などとはまた違う、旅館の和室の魅力を隅から隅まで味わった。

 

公式サイト:

 

目次:

 

横手館 伊香保温泉

  • 概要・本館西棟

 

 横手館には大きく分けて3つの棟がある。

 それぞれ「本館西棟」「本館東棟」「別館 常磐苑」と呼ばれ、今回宿泊したのが本館西棟。客室内部が全面的に改装された東棟とは違い、西棟のみどころは、大正時代の趣が損なわれず保たれている部分。もとは2階建てで、昭和にかけて3階と4階が増築された。現在は国の登録有形文化財。

 ちなみに明治44(1911)年から旅館営業していた建物が現在の姿になったきっかけは、大正9(1920)年の大火事。その後、東棟と西棟が順に完成した。どちらも総桧造りである。

 本館西棟の部屋は全部で14室あり、宿泊人数やプランによって割り当てられる部屋は異なっている。到着したら台帳に氏名や住所を記入して、案内とともに客室へ向かう。その際にホールとロビーを少し見た。

 

 

 ホールの吹き抜け空間に揺れるシャンデリアや柱の装飾、ロビーのステンドグラスなどが洋風で、和風の木造旅館の中にそういった意匠が混在するところなどまさに大正ロマン。楽しくなってしまう。

 朝、ここに下りてくるとセルフサービスのコーヒーが用意されている。3月末はまだ外が寒く、太陽が雲に隠れると上着を着ていても身震いするくらいだったが、早い時間からストーブが焚かれていたので助かった。後述するが客室も十分に暖かい。

 チェックイン前でも荷物を預かってもらえるため、おすすめなのはお昼頃に伊香保に来て横手館に大きな鞄を置き、石段街を散策したりご飯を食べたりする動き方。玉こんにゃくやお饅頭のほか、各種カフェも充実しているので身軽になっていろいろ回ると面白かった。

 そのあとは客室まであらかじめ荷物を持って行ってくれるので、自分で運ぶ必要はない。

 

  • 客室 - あららぎ

 

 3階まで上がると部屋名の表札にときめかされた。観察していて気が付いたのだが、宿泊者がいる部屋だけが発光し、誰も滞在していない部屋は光っていないみたい。なるほど分かりやすかった。

 私達が宿泊したのは客室「あららぎ」。

 フロアの角、例のコの字になった建物入口部分の内側に位置し、外から見上げるとガラス越しに回廊が視認できるタイプの部屋となっている。回廊、広縁、副室を除いても10畳とゆったりしていて、2名くらいで泊まるのにはちょうどいい。古い木造建築の窓など元からあるものはそのまま、内側に新しい引き戸が重なるようにして、防寒仕様になっていた。

 そのため暖房から吐き出される温風は外に漏れ出ることなく、きちんと客室を過ごしやすくしてくれる。ちなみに本館西棟の客室にクーラー設備は存在しないため、夏場の滞在に関しては様子を見て判断するのが吉。

 私のような人間は近代建築に泊まれるのなら何も気にしないが……。

 

 

 鍵を開けて入室するとすぐ待ち構えているこの空間。びっくりした。構造的に、まるで部屋の中にもう一つの部屋があるみたいだったから。あまりに素晴らしかったため、しばし言葉を失う。手前に置いてある灯籠のような明かりも良い。

 木造建築にあるガラスの扉らしく、カラコロ音が鳴る引き戸を開けた地点から、突き当たりを曲がったところの広縁まで、まさか美しい「回廊」が伸びているなんて普通は夢にも思わない。でも、確かに目の前に存在していた。本当のことだった。

 いつも夜な夜な、一体何がここを通るのだろう。温泉にゆかりある神様とか、近くの森の動物とかだと、とても心惹かれる。

 スリッパを脱いで、そのまま広縁まで行ってもいいし、畳の敷かれた副室の方から中に入ってもいい。魅惑の選択肢である。延々とここを行ったり来たりしていたいくらいには。抜け出せなくなりそう。

 

 

 黄緑と碧のいいとこ取りをしている色合いの壁はざらついた質感が魅力的だった。時間帯によっては翠色の風合いも感じる壁、この部屋自体、完成当時から今までずっと残っているもの。そこに、組子細工の施された障子の紙で濾過された光が染み込んできて、風が吹くと竹林の中の四阿を思わせる。

 床の間横の細工の意匠は魚をとる網と、川や海の底に仕掛ける罠を模った図……なんだろうか。本当に繊細。欄間の透かしにも魂を囚われてしまってだめだ。妖怪になって棲みついても良いか……?

 外が暗くなってから部屋の明かりを灯すと、襖の方の意匠の扇形(うち一つだけが菱形)の影が、浮かび上がるようにして空間を飾る。なんとなく眺めていて、ありもしない箏の弦が遠くで爪弾かれるのを耳にした気がした。もといた場所から違うところに迷い込んでしまい、初めて開けた扉が繋がる異空間みたい。

 反対に朝、外から光が入るとこれまた雰囲気が変わる。

 

 

 

 

 なんだか明るくなっても完全には消えない夢のなごりを思わせる光景だった。ほんの少しの間だけ宿り、談笑の声が潰えればあっさり通り過ぎていく夜の袖を掴まず、淡々と出掛ける支度をする寂寥も温泉の醍醐味なのかもしれない。どこに行っても慣れないけど。

 そうして再び欄間と広縁に囚われる。備え付けのお茶を淹れて、お菓子の「こんにゃく絹餅」を食べた。群馬はこんにゃくが名物なのだ。

 これは余談なのだが、普通に布団で寝ていたら夜中にいきなり目が覚めて、枕元の時計を確認したところ、なぜか3時ぴったりだった。文字通りにぴったり00分。うーん、怖い、と思いつつ、2時みたいなもっと怖い時間帯じゃなくて良かったことに安堵し、うす暗い館内をふらふら散歩してみた。

 この稀有な感じ、レトロな字体が実に素敵。

 

 

 静かにぐるぐる歩いて、また部屋まで戻ってくる。そして寝て起きたのだった。

 私達の泊まった部屋の名前になっていた植物「あららぎ」は、別名「イチイ(一位)」とも呼ばれており、そこからも特別な意味合いが伝わってくる。改めて空間を見回した。職人たちが工夫を凝らした魔性の客室、仮に別の場所にある部屋を全く同じ設えにしても決して複製のできない、何かがある。

 近代の、少し古い旅館ってよいものだ。瑕疵のほとんどない最新の宿泊施設よりも個人的に好き。

 そうそう、書き忘れていたのだが、本館西棟の客室ごとに用意されていないものは冷房のほか、個々のバス・トイレ。これらは部屋の外に出た廊下の先にある。都度部屋から表に行かないといけないのは多少面倒だが、洗面所やお手洗い自体はかなり清潔なので、利用しやすかった。これが嫌な人は東棟や別館へ泊まろう。

 

 

 新しさをとるか、雰囲気をとるか、それは宿泊客の好み次第。

 上で述べたような空調や洗面台など、設備の関係で、面白いことに全客室の中でも本館西棟にあるのが最も手軽なお値段の部屋であること、建物好きとしてはこれ以上ないほどにお得だと感じるのだった。だって最新のものが趣味なら、わざわざ横手館に来ることもないだろうから。

 他では見られない建物である要素を考えると、伊香保温泉の中で、朝食と夕食をつけたとしてもかなり素敵な価格帯の宿だと判断できるのである。

 

  • 夕食と朝食

 

 食事にもいろいろ選択肢があって、今回は「上州特選会席 ダイニングプラン」を試してみることに。本館一階の食事会場にて提供されるのだが、夜6時ごろに下りていくと私達のほかには誰もおらず、情勢に対する懸念もあってかなり得した気分になる。他に、基本プランだと部屋食も選べるので都度要確認。

 お酒のメニューが置いてあるので食事中に何か好きなものを飲める。私は谷川岳のとび辛というものを頼んでみた。お会計は、チェックアウトの際の支払いと一緒に。

 地元、群馬県でとれた食材と、季節・旬のものを中心に構成されているのが特徴。肝心の味の方はふつうにおいしい。

 品目はこんな感じだった。

 

 

【梅見月 山の会席】

・食前酒 いちご酢酒

・先付  うるい、ふき、ゆば有馬煮

・前菜  こんにゃく旨煮

     山菜天ぷら

     筍土佐煮

     鳥松風

     公魚かわり揚げ

     三食団子

     天豆蜜煮

・御椀  沢煮椀

    (牛蒡、牛肉、独活、人参、芹)

・造里  紅鱒土佐〆花仕立て

・焼物  武尊サーモンホイル焼き

・煮物  もち豚角煮、芽キャベツ、里芋

・鍋物  雪見上州路

・食事  鶏めし、香の物、赤だし

・水菓子 抹茶ぜんざい風

 

 それから、朝食。

 焼き鮭と大粒の黒豆納豆がメインで、席で熱したあたたかいお味噌汁の芋がおいしい。

 ここでは提供される卵の調理方法が選べ、私は温泉卵、友人は卵焼きに。サラダの野菜も地元産なのだが、そこに四角い野菜チップスのようなものが混ざっていて面白かった。上からドレッシングをかける。

 

 

 私達以外のお客さんは7時半以降の朝食時間を選択されていたのか、ダイニングはガランとしていた。食べ終わる頃に人が入ってきた感じで。

 朝ご飯を食べてからでも食べた後でも、チェックアウトの時間まで温泉に入ったり、あるいは惰眠を貪ったりとゆっくりできる。またチェックアウト後に街をしばらく散策したい場合も荷物を預かってもらえるので、お土産を物色するか最後の最後まで食べ歩きをするかしても楽しい。

 広縁に座って身支度をしていると人の少ない表通りが見えて、温泉街独特の午前の静けさが心地よかった。建物の隙間から、ずっと遠くの方に山が見える。

 

  • 温泉の特徴

 

 この写真、実は館内に3つある貸切風呂の入口のひとつである。引き戸を擁した砂色の壁の、えも言われぬ絶妙なくり抜かれ方……まさかこんなに魅力的な形をしているなんて。

 横手館にはこういう、思わず「あ」と呟いてしまうような意匠が各所に点在しており、本当にちょっと徘徊するだけでも面白かった。貸切風呂に関しては別途の料金なども特にかからず、他の利用客との兼ね合いで、空いている時間ならいつでも利用が可能。

 そして大浴場には2種類あり、それぞれ折鶴の湯、月光の湯と呼ばれている。男女入れ替え制。

 提供されているお湯は伊香保温泉の「黄金の湯」で、これは硫酸塩泉であるそうだ。茶褐色の湯色と、そこに浮かぶ湯の花が特徴であり、鉄の成分を含有するため香りも金属らしい独特のもの。横手館の湯は源泉かけ流しで加温のみが行われている。

 ちなみに入浴後、白いタオルで体を拭くと布がちょっと黄色くなる……!

 

 

 近代の木造旅館が好きなら、その雰囲気と伊香保温泉、両方を楽しむのに適した場所だと思う。サービスも行き届いているので余計なことを考えずに過ごせる。

 私はもう一度くらいここに泊まりたい気がした。今度は「若竹」や「白梅」など、本館西棟にある別の客室も見てみたい……。当ブログ以外だと貸切温泉どっとこむさんのページでもこれらの部屋が紹介されていて、俄然行きたくなってしまった。組子細工も良いし、壁の色とかも最高。

 伊香保石段街散策については追ってまた記録を掲載する予定なので、ご興味のある方はお楽しみに。