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彷徨する自由帖

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旅館時代のバーを利用した喫茶室「やすらぎ」- 起雲閣・再訪の記録|熱海の近代建築(大正~昭和初期)

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参考サイト:

熱海市公式ウェブサイト

 

 

 前回の見学記録:

 

 先日、熱海の起雲閣にもう一度足を運ぶことができた。ちょうどよい機会があって。

 内田信也の別邸として大正8年に竣工、その後、根津嘉一郎の手に渡ってから大幅な増築が行われた和洋折衷の館は、玄関にあたる表門から庭園に至るまで余さず魅力だらけの場所。

 やがて桜井兵五郎に所有権がわたり、この建物が旅館「起雲閣」としての営業を開始したのは、昭和22年のことだった。太宰治谷崎潤一郎をはじめとした文豪の数々に愛され、令和になっても日々多くの見学者を迎えている。

 

 そして、今回再訪した最大の目的はここ。「やすらぎ」という名前の与えられた、素敵な喫茶室を利用してみたかった。

 

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 まず何に魅了されたかといえば、部屋全体を支配する落ち着いた緑の色だ。

 ソファは青みがかった布張り、カーペットはミルキーな薄緑、他の部分は黄色っぽく温かみのある感じ……になっているが、同じ空間に存在しながら喧嘩せずきちんと調和している。

 アール・デコの趣がある大きな天井の照明が意匠の白眉だと言えそう。

 直線と曲線、それらが組み合わさって綾なす文様と色面は、どこまでも単純な要素の集積であるはずなのに、驚くほど単調にならない。奥行きのない平面図形が不思議な重層感を生む。

 本当に怜悧なデザインだ。眺めているこちらはすっかり陥落してしまう。

 

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 カウンターの上に並んでいた、天井部分のものとはまた異なる花形の照明。薄い玻璃のはなびらが電球を包んでいる。

 現在の喫茶室「やすらぎ」は、昭和期にここが旅館だった頃、バーとして利用されていた空間をそのまま使っているのだそうだ。珈琲や紅茶はテイクアウトもできるとのこと。

 実際に訪れてみて、びっくりするほど居心地が良いと思う。窓から広い庭園が望めるのも楽しいし、かつては宿泊客が夜にここで杯を傾けた情景を想像すると、目の前が幻の紫煙でかすむから心が躍る。

 提供されているコーヒーはオリジナルブレンドのもの。香り高く、セットでついてくる和菓子の、最中と黒餡の甘さによく合う味が嬉しかった。強すぎずまろやかで。

 

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 カウンター側に設置してある椅子は、ソファのある壁側のものと比べて高さが異なるだけでなく、背もたれのデザインも違う。ずっと座っていられそうな優しさがあった。

 

 そして再訪ということで、喫茶室を出たら、また数年前のように起雲閣の館内をぐるりと見て回る。

 いわゆる「サンルーム」に対する並々ならぬ執着を持つ人間として、根津嘉一郎の所有時代に増築された玉姫の間、そこに付随しているガラス張りの空間には何度でも心を囚われてしまう。

 ちなみに解説いわく、天井以外の透明なガラスは当時のイギリスから輸入したもので、通常よりも紫外線を多く透過する(カットするのではない)仕様になっている、特別なものだとのこと。

 

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 太陽の光は浴び過ぎれば害だが、身体の成長には欠かせない。メラトニンやセロトニンなど、健康の増進に必要な要素を日光浴で補うため、根津の一家はときおりここに集ったのだろうか。

 床の正方形のタイルが相変わらず美しい。

 これなら庭の水辺で遊んで、そのままサンルームに入ってきても大丈夫そう。水が染み込まないから掃除が楽そうだ。隣の空間の、稀有な装飾が施された折上げ格天井に関しては前回の記事を参照してもらうとして……。

 

 今回改めて発見したのは、旅館の客室部分の良さ。

 

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 旅館の「広縁(ひろえん)」が好きな人の数はかなり多いはずだ。かくいう私もそのうちのひとり。

 上の写真の空間は、比較的面積の大きな広縁。腰をかけようものならもう二度と立ち上がれなさそうな、ふっくらとした綿が座面と背もたれに詰まっている椅子が、左右に二脚ずつ。籐の棒が交差するひじかけの部分をよく見ると、間に置かれたテーブルの意匠にも似ている。

 空間そのものもさることながら、この陽の光の射し込み方なんてあまりにすばらしい。足を踏み入れて休んだら最後、きっと待っているのは浅からぬ眠り。午睡の甘美さ。

 

 現在は起雲閣と呼ばれているこの建物が、何度も所有者の名を変えながら、それでも竣工当時から内部の雰囲気を損なわずに増築され、整備されてこれまで使われてきたのは本当に喜ばしいことだ。

 歴代のオーナーも、やはり単純にここが好きだったと見える。当然、熱海の土地と屋敷が欲しいだけの理由で買う場所ではない。

 

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 それでは金剛の間に設置された暖炉の上、ガンダーラのレリーフで今回はお別れします。

 熱海に行くならもう絶対、起雲閣に寄らずには帰れない。

 

 

 前回見学時の記事:

 

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