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彷徨する自由帖

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葡萄の意匠とタイルが光る「旧神谷伝兵衛稲毛別荘」そして電気ブランのこと|千葉県にある国の登録有形文化財

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公式サイト:

旧神谷伝兵衛稲毛別荘 | 千葉市民ギャラリー・いなげ

電気ブラン|オエノングループ

 

目次:

 

 JR横須賀線の電車がそのまま総武線に直通し、船橋と津田沼、検見川を越えて、やがて稲毛駅まで辿り着く。

 西口のバスロータリーを出てまっすぐ進んだ先が、海。

 かつては稲毛駅から15分も歩けば浜の砂に爪先が埋まったようだが、現在はその距離が倍以上になっていた。

 理由は地図を広げてみれば明らかで、住宅街に名前のみが残っている稲毛海岸の地域から海側にかけての道は、ほとんどが意図的に整然と並べられている。昭和20年代以降に大規模な埋め立て、浚渫工事が行われた証左であった。

 

 それゆえ、令和の稲毛を歩く際に何より必要だったのが、想像力。

 明治に開通した鉄道を利用して、この土地を訪れた人々が歩いた浜や、眺めたり泳いだりしていたであろう海の、当時の姿を考えてみる。それから大正から昭和にかけて、避暑地や保養地としての性質がいっそう強まり、多くの別荘が建ち並び旅館も軒を連ねた頃の稲毛を。

 幅の広い国道14号線の脇に立つ。

 そこで往時の風景を思うとき、全ての遮蔽物はどこか彼方に消え去って、海までの距離はたちまちゼロになる。

 

旧神谷伝兵衛稲毛別荘

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 稲毛に別荘を建てた神谷伝兵衛(傳兵衛)は牛久シャトーや、電気ブランで名を馳せた神谷バーの創設者であり、商才を持つと同時に洋酒への比類なき情熱を抱いて生きた実業家だった。

 建物は平成9年に国の有形文化財に登録されている。

 正面の外観を視界に収めてみて受けた印象は、几帳面な感じ。並ぶトスカーナ式の柱が支えるアーチや部分的な装飾は規則正しく並び、けっして退屈ではないながらも、視覚的に整い瀟洒なすまし顔で佇んでいる。

 設計者は不明だが、私は外壁に張られた白いタイルや、窓の上部分に施されたひし形のデザインを見て、名古屋にある旧豊田佐助邸を脳裏に浮かべた。共通点があると思った。

 

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 コンクリート造りの別邸は大正7(1918)年に竣工。関東大震災を経験しても倒壊しなかったことで、その丈夫さが際立つ。

 開放的な吹き抜けの玄関ホールは階段を擁している。ゆるやかで優美な曲線を描いており、敷かれたカーペットの深い赤は、どこかワインを連想させる落ち着いた色だった。というのも、神谷伝兵衛が特に葡萄酒(ワイン)の醸造で事業を発展させた人物だから、尚更そう感じるのである。

 そして三叉に枝が伸びる電灯、その天井の中心飾りにブドウの半彫刻が蔓を絡めていて、彼の功績とこのモチーフに対する愛着を改めて思った。簡素ながら魅力的な、四辺を飾っている持ち送り(モディリオン)の意匠も気になる。

 アール・ヌーヴォーやゼツェシオンの影響も受けているところが、有機的かつ優美な部分と、幾何学的な部分との調和を生み出しているのかもしれない。

 

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 右手に進むと寄木細工の床を境に、空間は玄関ホールから洋室へと変わった。この1階は応接室とし、客人を招いたのだとか。

 全体的にあまりごてごてしておらず、四方を囲む壁のうち二面がほとんど窓なのも相まって、雰囲気的な意味での風通しが良い。レールから垂れ下がるからし色のカーテンも重苦しくなかった。その向こうの上げ下げ窓は、網戸も上下に開閉ができる仕様。

 部屋の隅っこにシェーズ・ロング風の長椅子が置かれているのにどきどきした。あれが似合う人間を探してきて、ぽんって置いておきたい。あるいは自分自身がそれに見合う人間になってみるとか……。それはちょっと難しそう。

 暖炉は絵の描かれたヴィクトリアンタイルのほか、大理石のマントルピースの両脇に灰色の柱(オーダー)が立っているのが、他ではあまり見ない形なのでとても惹かれる。

 まだ1階部分しか見学していないのにこの情報量、喜ぶほかなかった。

 

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 そうしてすっかりウキウキしながら2階に上がってみたら、さらに圧倒的な天井が待ち構えていて、良すぎる、すごすぎる、としか言えなくなり数分間無心でいた。文字通りに活動を停止していた。

 メインである書院造りの部屋、折上げ格天井なのだが真っ先に煤竹で飾られている部分に目が行く。別邸の2階部分をこういう意匠にしようと思う、その感覚自体がもう洗練されていて……実業家の建てた良質な建築物を見学するたび、いつも心から感心する。

 ときめく箇所があまりに多くてどこから言及すればいいのかわからない。

 特に葡萄の古木の床柱は本当にずるいと嘆息した。そんなことをされたら好き以外の言葉が出なくなってしまう、一体どうしてくれようかと。

 ブドウ、ハチ、トンボはどれも伝兵衛の作った洋酒にゆかりあるモチーフ。1階玄関ホールの天井のように、他にもあるので館内を探してみよう。

 

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 例えば和室の欄間の竹柵によーく目を凝らすと、そこには紐のように絡んでいる何かがある。実は、これも葡萄の蔓なのだそう。凝っているし愛を感じた。

 近代建築に滞在しているとこういうものをずっと浴び続けるから、本当にいい意味で狂う。ひとりで最高最高ってぶつぶつ言いながら徘徊していたので、周囲に誰もいなくて良かったと胸をなでおろした。

 洋風建築にある和室をうろついていて感心する部分は多いが、なかでも窓と障子が壁の厚みを挟んで重層になっている部分はいつ見ても楽しい。この二重構造のおかげで、外観はタイル張りの洋館でも、内側から見るとすっかり和風の空間になるという仕掛けだった。

 ちなみに埼玉県の旧田中家住宅にも同じ種類の窓がある。鑑賞者は完全に魅了されて、逃げられない。

 

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 広縁の廊下突き当りにあるたまらないアルコーヴや、一枚の板からくり抜かれた木瓜の窓も深く印象に残った。

 ちなみにこの魅力的な別邸を建てた初代神谷伝兵衛、本人がここで過ごした期間は大正7~11年にかけての4年間と、比較的短い。

 その後は昭和16年頃に清朝最後の皇帝、愛新覚羅 溥儀の妹であった韞嫻と韞馨の二人が暮らしたり、第二次世界大戦の影響で疎開してきた伝兵衛の子孫(田島一家)が移り住んだりと、さまざまな住民を迎えた。

 戦後は旧山田家住宅のようにGHQにより接収され、進駐軍の将校が滞在するにあたって、増築が行われた。あくまでも別荘であったこの家には、生活に足りない設備も多かったためだ。

 

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 最後に振り返ると、人心を惑わす魔の電灯や、杉の一枚板の吹き抜け天井から下がるシャンデリアの存在に後ろ髪を引かれてどきどきする。

 これでは家に帰れなくなってしまうかもしれないと心配になった。

 まあ、普通に電車に乗って帰宅できたので安心した……。

 

 

 

 

噂の電気ブラン

 ワインの原材料であるブドウのモチーフがそこかしこに用いられていた、神谷伝兵衛の別荘。

 彼が蜂印香竄葡萄酒(通称ハチブドー酒)をはじめ、醸造に力を入れていたのは有名だが、もうひとつ代表的な製品を明治26(1893)年の頃に生み出している。それが電気ブラン。古いラベルでは電「氣」ブランと表記されることもある。

 これは、伝兵衛が創設した神谷バー(旧・みかはや銘酒店)を中心として提供されている、ブランデーをベースに他の酒類や薬草などをブレンドしたリキュール。

 

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 現在はアルコール度数が30%と40%のものが販売されており、写真のものは後者、なおかつ360mlの小さなサイズになる。

 ボトルは色々な場所で購入できるのだが、せっかく上の別荘を訪れたこともあり、ゆかりある稲毛の地で取り扱っている店を探した。調べると駅周辺に2店舗ほどあり、そのうちの片方へ行ってみることに。

 せんげん通りにある、天鷹並木酒店。

 自動ドアが壊れているのか結果的に手動ドアとなっており、震えながらおそるおそる入ると薄暗く静かな店内におばあちゃんがいて、電気ブランを売ってくれた。

 

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 その際に「どうぞ持っていってください」と無料で譲っていただいたのが昔のグラス。

 たくさん種類があって迷ったが、最終的にmitsuya(おそらくは三ツ矢サイダーのミツヤなのだろう)の文字と波の模様が入ったものを手に取った。なんともレトロで趣がある、とても素敵なもの。本当にもらってしまっても良いのだろうかと思うくらい。

 

 電気ブランを果たしてどう飲むのがおいしいのか、いろいろと試してみたけれど、個人的にはそのままが一番なのではないかという結論に至った。何かを混ぜたり薄めたりはしない方が私は好きだ。

 舌がびりびりして喉が熱くなる、この刺激が楽しくて、満足感をおぼえる。甘さと渋みが共存した味わいは著しく空腹を誘うのでごはんが欲しい。

 ちなみに名前に「電気」とついているのは、かつて最新の商品を猫も杓子も「文化」と称していたのと同じで、目新しいものを表現する謳い文句だったようす。近代日本史の資料集にも載っている「文化包丁」みたいなものだろう。

 むかし提供されていた電気ブランはアルコール度数が45%あったそうだから、これよりももう少しびりびり感が強かったと推測される。

 

 明治大正期に思いを馳せ、当時の雰囲気に浸ってみるのにぴったりの飲み物。

 その味を知ってもう一度別邸の方を訪れるのも、きっと面白い。

 

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 蒔絵の下飾りに麒麟がいた。