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彷徨する自由帖

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旧山邑家住宅(ヨドコウ迎賓館)- フランク・ロイド・ライト設計の見学可能な建築(3)|兵庫県・芦屋市の重要文化財

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前回の記事:

 

 吐く息が煙のように目の前で漂う。その向こう、芦屋川の上流にぼんやりと白く、部分的に青く煙った六甲山麗の峰が見えていて、やはり気温の低いときにここへ来て良かったと心底思った。

 たとえば猛暑の中であんな景色を眺めたとしても、きっと今ほど敬虔な気持ちになれはしない。

 いささか険しい坂を、あまり急がずに上った。比較的静かな心で、好奇の炎が勢いよく燃えそうになるのを、できるだけ抑えつつ。

 

公式サイト:

ヨドコウ迎賓館

 

 

 どうしてそんなことをしなければならないのかというと、あまり対象の建物に対する気持ちが大きすぎると、折角の良さをかえって見逃してしまう場合があるから。

 事前に詳細を調べ、可能な限りの場所に目星をつけておくのも賢い方法だと思うが、個人的には実際に訪問してから後でいろいろと調べる場合が多かった。我儘ゆえに、答え合わせよりも宝探しの方をしたかった。

 もっと違う意味で「きちんと」建物を鑑賞している人の方が世の中には多いだろうけれど、私はあまりそういう風にできない。

 

 

 魅力を言葉で伝えるのが、非常に難しい性質の建物。

 写真があって良かった。

 

 

 大昔の遺跡か、未来の何かの基地。

 面白いことにどちらともとれる外観の建物は、海の側から川に沿って道を歩いていくと、丘の中腹に見えてくる。不思議な四角い形の塔がその屋根から空に伸びていた。ざらついた大谷石の部分に施された、幾何学模様の装飾がすばらしい効果を発揮していて震える。

 かつては個人の別邸として建てられた旧山邑家住宅。

 現在はヨドコウ(株式会社淀川製鋼所)の迎賓館として公開されているこの建物は、フランク・ロイド・ライトによる設計で、彼が米国に帰国してからも弟子の遠藤新と南信の施工監理によって建設が進められた。

 大正13年に竣工しており、鉄筋コンクリート造りの住宅では日本で最初に重要文化財へ登録された建物になる。平成7年の関東大震災では被害を被ったが、その際に大規模な調査と修復工事が行われ、現在に至った。

 

 

 この家、その内部の広さと奥行きからは想像もできないくらい、玄関扉が小さい。上の写真の左側に写っているのがそれ。

 半ば玄関を塞ぐようにして横に突き出ているのが水盆になる。昔は雨どいに繋がっていて、石柱を伝って上から水が流れてきていたそうだ……それを聞いたときにはひどく高揚した。こんなにわくわくする仕様ってあるだろうか。今の水盆は水道から引いた水を湛え、中には魚が泳いでいる。

 入場料を支払って侵入した建物の中、細い階段からはじまる空間の、独特の雰囲気に呑まれそうになりつつ足を動かす。床はカーペットに覆われていて温かい。

 やはりここ、同じライトによる設計であっても、他の自由学園明日館や旧帝国ホテルとは様子が明白に異なる気がした。ヨドコウの迎賓館になる前は個人の別邸であったことを改めて考える。すなわち、誰かの牙城とも呼べる領域に、いま私は踏み込んでいるのだと。

 

 

 応接室への戸口も狭い。説明によれば幅は約62センチメートルほどとのことで、やはり秘密の基地みたい。

 そこから体を滑り込ませれば、解放感と落ち着き、両方を兼ね備えた部屋へと出る。

 どこの何から言及するべきなのか迷ってしまうが、ひとまず置かれている家具へと目を向けた。五角形をしたテーブルはヨドコウ迎賓館時代になってから制作されたもので、ライトのデザインを参考にしている。よく見ると椅子も同じ形で統一されているようだ。

 ひとつの机を複数人で囲む、類似の座り方なら丸テーブルでも用は足りるが、このほとんど直線で構成された部屋に丸い家具はそぐわないだろう。壁の球形の照明は例外という感じがする。

 縦長の空間を挟むのは、車窓を思わせる大きな嵌め殺しの窓だった。なんだか、ソファの置かれ方も電車の座席に似ている。いまにもガラス越しの風景が横に流れ出しそう。そして、壁の上部で帯のように並ぶ、小さな扉のついた窓にも気が付いた。

 

 

 そう、ひとつひとつの小窓に扉がある。

 もちろん開閉可能で、今はガラスが嵌められているものの、建設当時は通気口としても機能していたらしい。雨などが吹き込むと建物の保存に影響するため、現在こうして閉じられている。

 設置した意図も面白いが、これは視覚的、造形的にも稀有なものだと思う。ずらりと一直線に並んでいるのを実際に目の当たりにすると、圧巻だった。ちいさな長方形によって部屋のために切り取られた光。

 周囲の環境や自然のものを無理に動かしている感じではない。けれど、確実に何かの仕掛けによって、各要素を建物に合うよう変換している印象を受けた。

 なお、小窓はここだけでなく他の部屋にも設けられている。建物の内側から見るのと外側から見るのとではかなり様子が異なるのだが、後で屋上バルコニーに向かうときそこにも注目してみよう。

 

 

 

 

 3階には長い廊下があり、それがこれまた細長い和室に面している。

 特徴的な青緑色をした銅板の装飾は植物の葉から着想を得ているらしい。錆びたような質感になっているのは、単純な老朽化によってではなく、あえて理想の色合いに近付くよう意図的になされた仕様なのだ。

 ガラスの窓は外に向かって開くことができ、それにより自然、建物の外部と内部が接続するようにというライトの考えが現れている。当時のアメリカで一般的だった上げ下げ窓だと、開口部はできるが空間同士のかかわりが生まれないということなのだろう。

 和室に関して特筆すべきなのは、これは元の設計の際には存在せず、後に依頼者であった山邑氏の希望で設けられた部屋である点。ライト帰国後も弟子の遠藤新と南信が設計を引き継いで尽力した。

 やはり畳の部屋があると落ち着くものだろうか。あるいは人を迎える際にも、客人の好みや、催事の性質によって和室の方が適していることもあったかもしれない。実際、茶道の会などはそのような部屋でないと行えないだろう。

 

 

 同じ3階、廊下の階段の奥へ進むと洗面室に至る。近代建築の水回り好きとして、どうしても見逃せない空間。

 嬉々として足を踏み入れ、お風呂場のタイルと手洗い場の白い陶器、それから……と視線をせわしなく振り回していたら、「すごい」ときめきに遭遇してしまった。もはや遭難ともいえる邂逅だった。流し場に並んだ、透明なガラス棒である。

 ……流しに透明なガラス棒。

 著しい言葉の乱れを今だけ許してほしい。

 だって、すごすぎる……!

 

 

 私は旧山邑家住宅ではじめてこのような意匠に出会った。

 調べてもあまり該当するものがヒットせず、TOTO㈱のサイトで紹介されていた八木邸(建築家・藤井厚二による)くらいしかその存在を明記しているページに行き当たらなかったので、結構珍しいものだと思う。

 透明なクリスタルのドアノブと並んで、今後も建築探訪の際には積極的に探していきたい存在のひとつになった。またどこかで出会えるのが楽しみだ。

 

 そこから同階に位置する家族寝室(こんな小さな部屋にも暖炉がある)を経由して、もうひとつ上の階へ歩を進める。

 4階に続く北側の廊下の壁に採用されているのは、日本の木造建築における伝統的な工法の土壁。建物全体はコンクリート造りの中、その一部分に紛れ込ませるようにして点在しており、他にも和室の西側の壁などが土壁のようだった。

 

 

 階段の先に満ちているのはどこか神聖で、厳かでもある気配。

 私が大好きな暖炉もあるのだが、食堂に関しては暖炉単体というよりも、空間全体に呑まれた。ここで薪に火をつけるとき、他の部屋で同じようにするのとは明らかに違った意味を持つ行為に変わるのだ。

 四角錐に近い形を採用した天井、また木の装飾から受ける印象によって、この食堂の機能を理解……させられた、と言ってもいい。

 外装に施された大谷石の部分の彫刻と同じく、ところどころに見られる幾何学的な紋様は別の国の村の家のような、違う世界の建物から持ってきた飾りのような、不思議な表情をしていた。

 天井の三角形をした窓からは、夜なら星も見える。

 

 

 言葉にできないどきどきする感覚は、バルコニーでその極致に達するのだった。

 食堂の横から外に出ると、あの扉付きの小窓を外の側から確認できる。石の飾りで覆われて、遺跡の半地下から繋がる通気口のよう。さらに視線を前に向ければ四角い塔がそびえていた。きざはしになった中を通り抜けて、芦屋の街を一望できる端に立ち、俯瞰する。

 振り返ればさっき通った塔の向こうに建物の本体が見えた。

 そもそもこの四角いやつ、一体なんなんだろう……と思っていたら、説明に暖炉の煙突と書いてあってうっかり陥落してしまった。……ずるい。これだけ暖炉があるなら確かにたくさん煙突は出ているはずなんだけれど、まさかこういう形だとは予想していなかった。

 本当はもうちょっと抵抗する意志を持ち続けていたかったものの、少しの間、せめて滞在中くらいは膝を折っても良いと認めざるを得なかった。

 

 

 思想のある建築を見学するとものすごく精神力を使うが、それもきっと醍醐味のひとつなんだろう。

 私はいつも個人的な暖炉への執着をぶつぶつ呟いてるけど、前はさほど関心を払っていなかった故に、ライトという建築家がこれほど暖炉に執心していたとは全く知らなかった。でも、彼の作品に惹かれた。実際に外から眺めて、内部を歩いてみて、良いと思ったんだ。知らなくても。

 うん。これは、運命だね(別に運命ではない)。

 

 帰り際、三度目の修復工事の際に露出したという竣工当時のレンガ擁壁を見ていたら、建物周辺の落ち葉を払っていた係の方が少しお話をしてくれた。季節ごとに展示などもやっているので、機会があれば見に来ては、とも。

 この建物が愛されているのが伝わってきて、単なる訪問者の立場でもなんだか嬉しかった。

 

 

 たとえ同じ箇所でも、違う方向から眺めたり通り抜けたりしないと分からない部分とか、さりげなく配された形のおもしろさがあって、何度でも周回したくなる。

 複雑な魅了の術がかけられている……。