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護国寺から江戸川橋までを結ぶ道は、驚くほどまっすぐに伸びている。
実際に歩いてみてそう感じ、帰ってきてから改めて地図を見たけれど、やっぱりそうなっていた。神田川の流れる場所まで、迷いようのない直線の音羽通り。17世紀後半、人名にちなんで名付けられた「音羽」の地名は、響きがきれいだ。
これから訪れる鳩山会館も、時に音羽御殿と呼ばれることがある。
大正13年に竣工、空襲被害や老朽化を受けて大幅に修復され、現在も文京区に建ち一般に公開されている邸宅。
地下鉄護国寺駅の5番出口から、講談社、光文社と有名な出版社のビルが両脇に並ぶのを過ぎて、関口台公園の先……鳩山会館の門は左手にあった。
印象よりも傾斜の度合いが大きく、U字を描いた坂。上ると目当ての建物が視界に姿をあらわす。
全体的にイギリス風の様式が採用されており、そのため駒場の旧前田家本邸との共通点も少なからずある。
平たい煙突、バルコニー、玄関に接続されているのは車寄せ。三方向を囲むアーチから覗き込むと、天井に交差したヴォールト(穹窿)が確かめられた。
外界と建物の玄関を結ぶのは階段を擁した空間で、境目となる入口の欄間にはステンドグラスの細工が施されている。鳩山家の家名を意識してか、イオニア式の柱が並ぶ間にハトをあしらった図柄の、細長い色ガラス。
小川三知という、静岡県出身のステンドグラス作家がこれを手掛けた。
館内で小川三知の作品を見られるのは、玄関以外にも大階段の踊り場や、応接間と大食堂に面したサンルームなどの場所。
特に階段踊り場、大きな五重塔を描くものは構造が二重になっており、その重厚さや繊細さに目を瞠った。瓦も一枚一枚丁寧に表現されている。作者は明治38年にアメリカへ渡って職人としての修行を開始し、同44年に帰国するまでの間、現地のガラス工場で働きながら技術を磨いた。
その後は東京に住居と自らの工房を構え、個人邸や教会などの建物をはじめとした多くの建築物に作品を収めている。だが現存しているものは意外に少ない。
ちなみに、横浜にある氷川丸、一等特別室のステンドグラスの原案図を担当したのも彼だ。
この鳩山会館、通称・音羽御殿を設計したのは、建築家の岡田信一郎。依頼をした鳩山一郎とは幼少期から親しくしており縁があった。
彼は他に琵琶湖ホテルや明治生命館といった建物の設計も行っていて、大正から昭和初期にかけて日本の建築界で活躍した、代表的な人物のうちのひとり。解説によれば、岡田は国外でも自分の見識を深めたかったらしいが、病弱な体質ゆえに洋行が叶わなかったのだとか。
鳩山会館は前述したとおりにイギリス風で、なおかつ鉄筋コンクリート造りの邸宅となっている。関東大震災の翌年である大正13年の完成、同時代の多くの建物と同じく、耐震や防火に意識を向けた比較的丈夫な家。
全体的に開放感のある趣が特徴で、それは例えば応接間や食堂などの空間が折り戸で仕切られており、開け放つとひと続きの部屋のようになる部分からも伺える。
また、引き違いの戸などが採用されていることもあって、洋風の建築でありながら自国らしい要素を積極的に取り入れているのがわかる。
私は基本的にサンルーム狂なので、この一角に惹かれないわけがなく、半円形のファンライトを視界に入れた瞬間に魂が現世から強制的に引き離され、あらぬ場所を彷徨っていた。
テーブルにお茶会の用意をして、知り合いを呼び寄せ、空間に流れる全ての時を止めたい。たとえ天変地異で外界のすべてが消えても……。
横の応接間で談義を行った人たちも、きっとこのサンルームに出たがっただろうし、なんならわざわざ場所を変えてお茶をしていたかもしれない。イギリスの新古典主義、アダムスタイルを意識した空間から、細かなタイルが床に敷かれた一角へ。
庭園の側から振り返って仰ぐ、ドーマー窓を頭に乗せた鳩山会館の姿は、どこか風変わりな懐かしさを胸に喚起するよう。遠い日に読んだ英国のお話に出てくる館と、慣れ親しんだ生国の空気、両方を纏っている。
たとえ赤の他人の家であっても、どうしてかこの場所を知っている、と感じさせる力が多くの近代建築にはある。庭の薔薇が、不意に耳元で思い出を囁いてくるみたいに。
余談だが、鳩山会館は「明治東亰恋伽」や「アイドルマスター」などの作品に登場する聖地でもあるらしかった。
この館で最も眺めがよい場所は、玄関・車寄せの真上にある2階のバルコニー。
まるで主人にでもなったかのような、不遜な錯覚を抱かせてくれる、とても気分の良い一角。
鹿の頭の像が何よりも目立つが、真に注目すべきなのは両脇の白いハト。やはり、鳩山会館の装飾はハトなのだ。
音羽の高台に建つ邸宅だけあって、柵越しに俯瞰した眺望は下の道路を歩いていた時のものと全然違う。現在は各ビルやマンションがひしめく界隈、大正13年当時だとより視界が開けていて、もしかしたら護国寺まで見渡すこともできたのでは。
過去の様子に思いを馳せながら屋内に戻り、もう一度入ってみた大広間は、さっきまで居なかった無数の人影で溢れている。
意識を今ではなくて、どこか昔の一地点に合わせるようにしないと、空想もろくに湧き上がってこないもの。さっきベランダに出てみたのが功を奏して、周囲では音もなく、質量もなく動き回る人々の面影だけが窓から出入りしている。
鏡張りの柱。頭の中は賑やかだ。実際は、こんなにも伽藍としていて静かなのに。
話し声は聞こえない。でも、吐息は風になって耳に届く。小さい頃に見た「アナスタシア」を思い出した。ワンス・アポン・ア・ディセンバーの曲とともに、ロシア革命以前の舞踏会の様子が映し出され、少女はかつての父とともにしばし踊る。
"踊る熊たち、描かれた翼、誰かがさる12月に口ずさんだ歌"。
このシーンの映像表現、音楽も併せて卓越していて昔から大好きだ。他にも作中で流れる歌には名曲が沢山ある。成人してからではなく、子供の頃に鑑賞できて良かったと思えるもののうちのひとつ。
そうでなければ、近代の邸宅を訪問して得る印象も既視感も、おそらくずっと違うものになっていただろうと予想できるから。
物心つくかつかないかの時期に触れた作品だからこそ、こうした形で自分の胸に不思議な郷愁を残していった。
地上のどこにいても、大広間に足を踏み入れるたびその幻影に囚われる。
鳩山会館を去る頃には、見学して網膜に刻んだこの建物が私の中で勝手に増殖し始めて、史実とは無関係の人間と物が集まる洋館となり、最後には立体的な図鑑の1ページに記録された。
これからこの洋館を、原型は留めたまま、脳内でどんな風に利用しようか考えている。
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