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彷徨する自由帖

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日帰り滋賀県・近江八幡散策(4) 明治に建てられた小学校の疑洋風建築 - ステンドグラスのある白雲館

 

 

 

 

前回の記事の続きです。

 

参考サイト:

(一社)近江八幡観光物産協会

 

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 駅から歩いて池田町の洋風住宅街を散策する際、街角で上の写真、宇宙船みたいな窓の美容室に遭遇して嬉しくなった。加えて短めのサインポールと、その先にある白く丸い照明にも心ときめく。鬼火みたいで。宇宙船ならば信号に相応する部分だろうか。

 地面から人知れず浮き上がり、大気圏を越えて、またここに帰ってくる船。

 

 付近にある八幡小学校の校舎も見ておきたかったので、不揃いな「焼き過ぎ膨張レンガ」の美しい壁を堪能した後に、足を向けた。

 それらしい意匠が見られるのは、大通りではなくて細い道に面している方の側。現在の正門は反対側の新築部分のようだ。近付くと、松の植木の向こうから容貌が伺える。

 学校自体は明治初期の設立だが、現在の建物は大正時代、1917年に新築された校舎が改装を経て現在に受け継がれているものになるという。設計は田中松三郎で、この人物の詳細はあまり明らかになっていない。

 

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 周囲はとても静かで、敷かれた砂利を踏むときの高く細かい音が妙に緊張を誘った。自分とは無関係な学校の敷地内だから当たり前なのかもしれないけれど。門が開放されているのは、こうして建物の外観を見に来る人間がたまにいるからだろうか。

 白い校舎は左右対称。なんとなく、車寄せ部分を支える太い柱に思いきり体当たりしたくなった。安心を誘われる剛健な感じがして。学校らしく受け止めてほしい。

 校舎の屋根、建物にとってのいわば舳先部分には大きな棟飾りが屹立している。懸魚の下の破風には、半円形のファンライトを要する小窓、両脇にはレリーフ状の装飾があって、ほとんど直線で構成された建物の正面に適度な動きが加えられていた。

 

 そこからしばらく歩くと、八幡堀の手前には旧八幡東学校の校舎が残っている。現在では「白雲館」と呼ばれている、疑洋風建築。

 長野の旧開智学校に少し背格好が似ていた。

 

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 白雲館(旧八幡東学校)は、近江商人の集めた資金により明治10年に建てられた。そのほとんどが寄付で、当時の値段にして約6000円だったという。設計者は蒲生郡の大工であった高木作右衛門。

 木造2階建ての瓦葺き校舎で、国の有形文化財に登録されている。中央部から顔を出す六角形の塔屋が何より美しい。今ここは観光案内所兼市民ギャラリーとして活用されており、基本、誰でも無料で見学ができるのが嬉しい点だった。

 母屋から左右両脇に、正面玄関を囲うみたいにしてコの字型の空間が形成されている。2階部分のバルコニーなどは温泉旅館のような趣で面白い。赤錆を思わせる落ち着いた赤、これは唐破風だ。浴衣を着た人間が引き戸から顔を出しそう。

 

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 それから、門の石柱から伸びてランタンを支える金属のつるが、白雲館の呼称のとおりに空に浮かぶ雲の図案を思わせる意匠だった。漆喰塗りの白い外壁も、その質感ゆえに柔らかな印象を与える。石やレンガのような、硬質なものとは明らかに違う。

 薄緑の柵を観察してみると、先についた棘のところが星を3つ組み合わせたようになっていて惹かれた。1本だけ引き抜いてみても良いかな? 駄目だよね。

 中に入って細い階段を使うと使うと2階部分にも上がれる。

 時代的に、階段踊り場の窓は「ステンドグラス」ではなく、あえて「ギヤマン張り」と言いたくなる趣があった。色彩も、柄の意匠も。疑洋風建築に施されている色ガラスはみんな、周囲の空気を吸い込んで妖しく光を透かす。

 

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 ちなみに、この建物の前には「ある存在」がいる。正面玄関から歩道を渡った、ちょうど向かいのところに。人工の無機物だから確かに生きてはいない、なのに生きているかのように感じられる、不思議な何か。実は滋賀県が発祥の地とまことしやかに噂されている。

 近江八幡の地で何度も繰り返し現れたそれについては、別の記事にて。

 

 散策記録は次に続きます。