参考サイト・書籍:
洋館長屋(仏蘭西館)(公式サイト)
世界の美術〈19〉アール・ヌーヴォーとガウディ(週刊朝日百科〈139号〉)
増補新装 カラー版 西洋美術史(著・高階秀爾 / 美術出版社)
木造2階建てに下見板張りの白い壁。明治41(1908)年に竣工、それから細部は変化しつつも同じ場所に存在している、かつて集合住宅だった建物。
北野通りに面し、英国館(旧フデセック邸)とベンの家(旧フェレ邸)に挟まれて建つ横長の異人館が「仏蘭西館(旧ボシー邸)」だった。一般には洋館長屋と呼ばれており、本記事中でもそのように表記する。
洋館長屋で見ることができる家具類や工芸品の目玉は、アール・ヌーヴォー(Art nouveau)の流れを汲んで19~20世紀に制作されたものの数々。
アール・ヌーヴォーは表面的に言うと、多くの機械工業的製品とは対照的な、植物や生き物を思わせる造形と、そこから醸し出される妖しい雰囲気が魅力的な様式である。
視覚的に愛でるだけでも十分に楽しいものだが、もう少し踏み込んでその面白さを考えてみたい。見学した洋館長屋内部の写真と一緒に。
目次:
概要・名前の由来
アール・ヌーヴォー(Art nouveau)……
19世紀末に興ったこの芸術工芸運動の名はフランス語で「新しい芸術」を意味し、はじめは1880年代にL'Art Moderneという雑誌の中で、特定の作品群を評するのに使われた言葉だった。まだ、様式を指すまでには至っていない。
これを一躍有名にしたのがハンブルク生まれの美術商、サミュエル・ビング。
彼は1895年、アメリカのシカゴ万博に立ち寄り、建築家のルイス・サリヴァンやティファニーのガラス細工に新しい芸術の潮流を見た。
そして同年の12月、ビングはパリの一角に開いた自身の美術店の名を「アール・ヌーヴォー」とすることに。
店の内装は画家から工芸家に転身したアンリ・ヴェルデに依頼をし、絵画を展示するかたわら、ガレやラリックの宝飾品を扱い、アメリカで見聞きした事柄に関する書籍も出版したという。
1900年、パリ万博でアール・ヌーヴォーのパビリオンが成功を収める頃には、その名前はすでに人口に膾炙していた。
アール・ヌーヴォーの思想の根幹には、このブログでも過去に言及したイギリス人ウィリアム・モリスと、彼が中心となったアーツ・アンド・クラフツ(美術工芸)運動の影響がある。
画一的で無味乾燥な意匠、時に性質も粗悪な、産業革命以後の大量生産商品。
それらが世を席巻するのを憂えたモリスは、生活にかかわる物品の製作について「手仕事(craft)」の精神と時代に立ち返ることを提唱する。日用品や住まいをはじめとした領域に、より民衆の生活に近い芸術を、と……。
後にアール・ヌーヴォーはそこから離れて、皮肉にも様式を模倣するような様式と単なる装飾趣味の坩堝に陥り、衰退の一途を辿るのであるが、20世紀の後半に再びその価値が注目されるに至った。
特徴など
エミール・ガレの手による花形のランプが洋館長屋の1階に。
アール・ヌーヴォーの様式に属する作品群の多くは、曲線的なぬるっとした造形要素を持ち、入り組んでいるという意味で奥行きを持つ意匠のものが多い。そのような視覚的な意味でも、機械工業ではなくより自然へ回帰する思想の点でも、植物はよくモチーフとして選ばれた。
ほかに古代ギリシア、北欧、日本で用いられてきた伝統的なデザインに影響を受け、それらを広く取り入れていたところも特徴として挙げられる。
ふたたびガレのランプ。棚に展示されている工芸品にもアール・ヌーヴォーの趣がある。四方八方に伸び増殖していく、流れるような蔓や花房の形状、花びらの重なりは妖しくも美しい。
それからクジャクなどの動物や虫——彼らの羽が持つ色合いや文様、も好んで採用されたモチーフのひとつ。ラリックの製作したトンボのブローチ(グルベンキアン美術館蔵)は特に有名だと思う。
表現にあたっては木のほかにガラスや、鉄をはじめとした金属類といった新時代の素材が用いられ、ただ単に機械文化を拒絶するだけのやり方ではなく、先へと続く様式と思想の発展を志していたことも見逃せない。
下の写真、座面が花のように広がるソファも当時のもの。
広義のインテリア・デザイン的な考え方の基盤は、アール・ヌーヴォーの時代に形作られたといえるかもしれない。
ひとつの物だけでなく、カーペットや壁紙、家具類、そしてテーブルに載せる食器や小物に至るまでを包括して、調和するように整える。これもアーツ・アンド・クラフツ運動の源流から受け継がれている意識であり、ウィリアム・モリスが抱いていた動機のひとつであった。
モリスは自邸を設計する際、市場で上の考えに合致する調度品を探し出そうと試みたが、琴線に触れるものがなかった。それゆえ自ら総合的なデザインをしようと思い立ち、モリス商会を創設するに至ったのである。
モリスが提唱した「生活の芸術」の理念はアール・ヌーヴォーへと継承されたが、やがて先鋭化していく装飾へのあくなき欲求ゆえか、あるいは世紀末という時代の潮流によるものでもあるのか、堅実であったはずの様式は形骸化した。
たとえば家具であれば、真に追及すべきはその機能を最大限に発揮させるために造形的意匠を付与するはずが、すっかり装飾の方が主体となってしまったのである。いわば生活感情の喪失——。
これが誰かの家や部屋の中だけで留まるものであれば、さしたる問題もなかっただろう。しかしこれは国際的な風潮であった。
その魅力が再度発見されるまでにいくばくかの時間を要したのも必然で、やはり個人的な趣味の範疇を越えて運動となった芸術様式には、すべからく社会の背景が関わっているのだとわかる。
月末に旧朝香宮邸を見学する予定なので、その記録記事ではアール・デコの方の話をします。