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彷徨する自由帖

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とても端正な近代化産業遺産、桃介橋の尊顔 - 大正時代に竣工した美しい吊橋と木曽川|長野県・木曽郡南木曽町(1)

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 晩春にこういう景色を見られたのが、夢のよう。

 私は森と川と、山と空が好き。

 

目次:

 

名古屋から南木曽へ

 

 6月の頭に名古屋駅、中央線のホームから乗車した、特急しなの号という電車の383系。

 以前はワイドビューしなの、という名前でも呼ばれていた。

 

 

 これは検索すれば代名詞のように「よく揺れる」の一言が添えられている種類の電車で、一体どうしてなのかと調べると、車両が採用している機構にその秘密が隠されているらしかった。なんでも振り子式……といって、急なカーブでもスピードを落とさずに走行できる仕組みなのだという。

 複雑な地形を駆け抜ける電車ならではの工夫といえる。

 実際、よく揺れた。あまり乗り物に酔う体質ではなくて良かったと、私は胸をなでおろす。しかしせっかく大きな窓があり、山間部の眺望を楽しめる仕様になっているのだから、もうちょっと窓ガラス部分がキレイだと嬉しいのだけれど。

 目的地の南木曽駅までは無数のトンネルを通過する必要があった。

 面白いのが、ひとつ、またひとつと暗い穴を通り抜け、再び陽の光の下に出るたび、みるみるうちに周辺の様子が変わっていくところ。当たり前のことなのかもしれないが、何度も潜り抜けていくトンネルは要するに山を越えた先へ行くための設備であり、土地の境界線、異なる世界を隔てているものだと言ってしまっても、決して大げさではないと思う。

 

 

 特急しなのには、南木曽駅に停車するものとしないものがある。旅程と時間帯によっては中津川駅で中央本線に乗り換えが必要になり、そうすると1時間20分程度で到着。今回は幸運にも都合の良い電車があったので、一度も下車せずに約1時間の旅となった。

 短いものだ。けれど出発地点の名古屋とは、こんなにも視界に入る要素が違う。景色だけではない。風も、空気の味も、湿度も。

 絵画でいう空気遠近法的に青くかすんだ山の輪郭や稜線は、いつも私の目を喜ばせる。季節としては好まない夏が地上にもたらした、美しい彩り。たっぷりと水分を含んだ木々と葉の集合体には思わず腕を伸ばしたくなる魅力がある。大きな手を広げて表面にやさしく触ってみたい。

 でもそれは、こんな風に遠くから眺めているゆえに抱ける感想であって、山岳を構成する、それぞれの枝葉が区別できるほど近くまで行くと、その様相はまた大きく変化する。実際に分け入れば、いつも羨望と憧憬を向けている青緑の塊の、異なる側面が見える。

 無論、今日はそこまで行かない。

 

 

 駅舎を出たらまず、目の前の木曽川まで歩いた。南木曽町立南木曽中学校の校舎も見える。

 本当に美しい流れ。形容しがたい色の水だけでなく、川辺に転がっている大きな白い石の数々もその一部で、川もそうだし向こう側に見える山もエメラルドみたいだった。あるいは本当に宝石でできているのかもしれない、砕いて散りばめたり、溶かして流したりして……最後は白い石や雲で飾られる。

 そういう場所が実際にあるのかもしれないと思わされる。

 あるとき、手を引かれて歩いていると「川の上流の方に」って横の誰かが喋りだすんだろう。背の高い人。「家も道も花も、全部が碧色をしている街があって、その真ん中を通り抜けてきた水だから、こんな風に光を透かしている」とどこか遠い声で語られたなら、幼い自分は心から喜ぶはず。

 いつか必ずひとりで川上へ行ってみますね。そんな風に返事する、絶対。

 

 

 

木曽川にかかる桃介橋 

 

 整っている。

 あまりにも、顔が良い。これが第一の感想。

 そもそも南木曽に来た理由の筆頭は、付近にある福沢桃介記念館を訪問することであり、この橋の方はそのおまけくらいに考えていた。ところがどっこい。桃介橋、素晴らしいじゃん。こん……っなに造形が整っているなんて聞いてない。顔が良い。最高……本当に悔しいんだけれど、これは膝を折る。

 きちんと認める。木曽川にかかる君が、美しいってこと。

 桃介橋は大正10(1921)~11(1922)年の間に建造された、主塔部分が鉄筋コンクリート造りの木造吊橋。橋長は247.762mと、国内に現存する木橋のなかでもかなり大きなもので、老朽化によって使用取りやめとなった後の平成5(1993)年に復元された。今では近代化遺産として、国の重要文化財に指定されている。

 

 

 桃介橋を建てたのは福沢諭吉の義理の息子、婿養子として家に入った福沢桃介。彼については後日更新予定の福沢桃介記念館の記事に記載する。

  彼が社長を務めていたのが、当時の電力会社界でもかなり影響力を持っていた、大同電力株式会社だった。大正~昭和初期に興ったいわゆる「五大電力」のひとつに数えられる。

 その水力発電所建設に必要な資材を運搬するため架けられた橋が桃介橋で、建設当初の役割を伝えるため、復元後もトロッコのレールの跡が足下に再現されている。ちなみに川の下流にある「読書発電所」というのがその発電所なのだが、これの名前は「どくしょ」ではなく「よみかき」。地名から取られている。柿其水路橋が、主な導水路。

 読書発電所の外観の主要な特徴は窓のアーチであると思うが、桃介橋を構成するいくつかのアーチにも感嘆の息が漏れる。

 

 

 一番大きな曲線の上に、小窓のような空きが3つ。さらに上の方へじっと目を凝らすと、貫通はしていないがレリーフのように表面に彫られたアーチが6つ。橋の主塔自体の輪郭は直線で構成されているから、これらのアーチによって、心地よい視覚的なリズムが追加されていた。

 橋の形態には、19世紀アメリカで建造されたものとの類似点が少なからず見られ、かつて米国留学中に福沢桃介が視察してきた事柄の片鱗を伺わせる。

 私は何年も前に、ニューヨークのグランド・セントラル駅からビーコン駅まで電車で移動した際の風景を思い出した。地形こそ大きく異なるが、確かにあのハドソン線も同名の河の脇を走り抜ける電車で……そう考えると、特急しなの乗車中の奇妙な既視感にも納得がいった。窓から木曽川が見えるあの感じ、多分、少し似ていたのだ。

 主塔が3基あって4つに分割されているから、桃介橋は4径間になる。橋桁のトラス構造は少女の三つ編みのよう。揺れる吊橋、揺れるお下げ、どことなく民謡の歌詞のような連想だと思った。

 

 

 中央橋脚には階段があって、そこから水辺に下りられる。

 ちなみに桃介橋はこの周辺一帯でも最も川幅の広い場所に架けられていて、より対岸との距離が近い場所を選ぼうと思えば選べたはずだが、そうしなかった部分に桃介氏の人柄が伺えると記念館の職員の方は仰っていた。面白い。機能はもちろんのこと、見栄えにも意識を向けるのは実業家・投資家らしい視点だと私は思う。

 現在では「桃介橋」と呼ばれているが、実は建設当初、周囲からこの命名に反発されてやむなく「桃之橋」にしたとされる逸話が残っており、それには笑った。復元時にめでたく改称された結果を、彼は遠い場所から満足げに眺めているだろうか。

 この、復元前の木材やワイヤーの一部は山の歴史館の脇に保管されていた。

 次回の記事はそこから始める。